迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“命乞い”する人ほど惨めな者はない…

正月三が日、SNSではとある芸人の発言を巡って様々な意見…というか、批判が相次いだ訳だが、あの“真意”は、単なる“命乞い”でしかないと見ている。要は、万一戦争が日本と周辺国間で起きた場合、日本政府が(憲法を理由に)“守ってくれない”と思ってるモンだから、つい、相手側の意見に乗ることで、最悪自分“だけ”でも助かる様、言ってみたというのが本音だと思う。で、それに対して一部の海外メディアが“賞賛”したとの情報があるが、本物の政府高官であれば、こういう“戯言”を真に受けて賛同することなどあり得ない…なぜなら、未だ日本に対して銃口を向けてても、本気で引き金を引くことが“できない”最大の理由は、国際社会の監視下であるからこその話であると同時に、他の方法での侵略に“成功”しつつあるからこそである。特に情報戦に関して言えば、メディアの多くで“国籍免除”の動きがあり、それにまんまと乗っかってるから、“言論の自由”を逆手に傍若無人をやってる訳である。だが、ここでちょっと考えて欲しいのだが、テレビや紙媒体の“情報”って、どこまでが“真実”として語られてるのだろうか?答えは簡単…“真実”そのものが語られているモノなど、この世には何一つもない…もっと言えば、“現場”にいた証言といっても、それを“信じる”ことができない以上は、全て“虚構”として否定することが可能であり、自分以外が経験したことがない話など、ほぼそれは“作り話”のレベルとして聞き流されるのがオチである。自分が経験した以上の情報なんてのは、所詮は“他人事”であると同時に、真贋を見極めようと思えば、どこかで、今まで学んできた歴史の資料上における“事実”に対して“違和感”を持って接しないとおかしくなる訳である。だから、どんな歴史にも、教科書や郷土史料には存在しない(というより、漏れてる部分としての)“裏歴史”が必ず存在し、そこから見た時に初めて、史実の“ウラ(即ち、“真実”の一欠片)”が取れる訳である。

さて…言葉で“命乞い”をする人は、どうして“惨め”なのか?それは、“自分だけ”が助かればいいという浅ましさと、“自分”を守りたいという概念が、どっかで歪んでるからこそである。どんな戦争の物語においても、命乞いした兵士ほど、ほぼ真っ先に殺される。勘が良い人なら解るが、自己中心的なモノの考えで命乞いをしてると判断されるからこその話であり、本気で戦ってる相手であるほど、命乞いよりも自決や、仲間(残存勢力)のために犠牲になるケースが一般的な流れであり、極限状態での判断として、あえて“殺さない”という選択肢をとって、話の流れが盛り上がる訳である。逆に、命乞いして助かったとしても、その後の話の流れでは、ほぼ確実に消される…たとえ“存命”であっても、話の舞台上からは“退場”させられた挙句、所謂“ナレ死”で片付けられる訳である。ただ…現実的な話だと、殆どが敵前で命乞いして、捕虜として双方間の“取引”で解決してるトコがあり、そこんトコを語ろうとする兵役経験者が“いない”ってだけの話である。そう…軍人だからこそ“話せない真実”がそこに存在する訳であり、仮にそれを喋ったとして、誰が一体“信じて”くれるのかである。だから、様々な物語で描かれる戦闘の多くは、激突して“命を散らす”内容しかない訳である。

だけど、捕虜になろうが、敵前逃走で営倉幽閉されようが、“生きて”家族の下へ帰れる方が、批判はあれども“最高の結果”であることには変わりない訳であり、戦地に赴いた家族が“無事生還”することは、待ってる家族にとって、多くの戦死者が出たとしても関係ない話とも言えるトコがあって、そういう部分で批判される訳である。要は、戦地で“死なない”こと自体が“不平等”であって、戦時下の日本で自決を“称賛”した背景には、その理不尽な結果で格差を出さないための対策だったと邪推しても、何ら変ではない訳である。昭和のドラマで“岸壁の母”というのがあったんだが、あの内容とて、出兵した息子の帰還を信じ、戦死したという一報を無視し続けた話でもある訳で、帰ってこないと薄々気付いていても、ずっと復員船の到着を待ち続け、その悲しみを共感するドラマだった訳である。だから、生きて故郷に帰る事が、いかに難しい事であって、それができた時、戦争の“結果”なんて、家族にとっては“どうでもいい話”になる訳である。戦争に国として“勝利”しても、出兵した家族が“生還”しなかったら、虚しさだけが残るだけである…だから“命乞い”をする兵士がいてもおかしくないのであって、批判されても家族の下へ“帰還”できる事の方が、戦争の結果が敗戦であっても、自分自身にとっては家族を悲しませなかった時点で“勝利”なのである。

ここまでの話は、あくまで最前線の戦地へ赴いた兵士の話であって、戦地に赴いた事もなければ、被災地での救援活動を現場でやった経験がない人が、ただ単に話の流れで軽口を叩く行為は、たとえ後で謝罪しても言語道断な話である…自分が犠牲になった訳でもないのに、国や軍隊(日本の場合は自衛隊)に対して侮蔑する発言は、いくら平和ボケしてると言っても、世間知らず過ぎて救い様がない話である。だから、“安全な場所”で勝手に“命乞い”をする態度は、バカにされて当然であり、また、戦争を“防ぐ”ために様々な国際間での駆け引きが行われているのにも関わらず、そこを否定して正論を述べたとしても、その事が原因で余計に拗れる事になる。だから、件の芸人が先輩芸人に言われた言葉の意を、きちんと“理解”できてないとマズかった訳であって、その警告を無視して暴言を発した以上、その責任はどこかで、落とし前をつけないといけない…どういう“結果”であっても、それは“自分”が望んだモノだという自覚がなければ、どんな意見も発してはいけない。それが、言葉を職とする者の“覚悟”であり、“責任”の在り方だとオイラは思っている。