迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

弱い相手にしか手を出さない者の心理…

報道で、とある経済評論家の男性が、不釣り合いなほどの幼妻(?!)相手に暴行を働いた事件といい、SNSで有名整形外科医の後妻である漫画家を“慰安婦”と罵ったり…結局それって、女性をナメてるのと同時に、男性に対する“人格否定”と同じである。所詮、“自分は匿名だから”と、あるいは“著名人じゃないから”とナメた態度を取る人ってのは、実社会でも恋愛経験がなかったり、既婚者であってもバツがついてると考えていいし、いくら年の差的に考えて相手の方が“自分より下”と見下すドアホは、故に最後は途方もないしっぺ返しを喰らう…因果応報、等価交換の法則だ。

では、なんで“立場の弱い”相手を狙うのか?答えは簡単…つまらん自尊心維持のためだ。もっとぶっちゃけ論で言えば、以前のネタで指摘した通り、自分が“傷付かない”事を前提に、他人をボロカスに叩く訳であり、自分の不幸は、全て“他人”のせいにしたいだけである。だが、それってひっくり返った言い方すれば、自らの命が“そうなること”を望んだ末の“結果”であって、そこを“否定”してる時点で、他人よりも“弱い”と自分から言ってる様なモノである。底辺の立場だからではなく、自分自身が“望んだ結果”である事に対する自覚が乏しいからこそ、他人を責める事で、自分自身の自尊心そのものをどうにか保とうとする訳である…実に精神的に幼く、ちっぽけで弱いかが、よく解る話だ。

これは何も、個人に限ったことではなく、組織・団体にも言えたトコであり、Uターン・Iターンで越してきた若年層に対して“村八分”な扱いをする集落や自治体が、過疎化でピーキャラいうのは当然の報いであり、何のために“集落のしきたり”があるのかをキチンと説明できない時点で、そういう古い慣習や余計な因習は、とっとと排すべき事案だと気付かなければ、それゆえの衰亡を迎えるだけである。また、企業が賃金の“出し渋り”をやるのであれば、当然だが従業員が去って行くのは想像に堅い…いくら初任給を平均最低賃金よりも劣悪に据え置いても“やる甲斐ある仕事”と謳う以上は、きちんと“労働者の権利”そのものを守ってやるのがスジである。それができない以上、賃金として“対価”を就労者に払うのが、企業の“責任”であり“義務”である。そこんトコを守れない経営者の下で働かざる得ない就労者が、社会を恨んで自死を選ぶのは当然の報いであり、それで叩かれる企業や団体が一向に反省しないのは、そこを“利用”してる人の方が多いからだ。

日本相撲協会の“態度”に関しても全く同じで、彼らは一つも反省しないどころか、法令遵守よりも“しきたり”や“礼儀”が尊重されるべきと宣った時点で、出資してる支援者や後援会は、縁を切ってもいいと思う。なぜなら、一般常識が通じない時点でスポンサーを見下し、国や後援会などの様々な人々に“支援されてる”という感覚がないことを意味してる訳である。だったら、支援者として取る態度は一つ…支援を打ち切るのと同時に金輪際“関わらない”という意思表示を示すことだ。さっきも言ったが、集落内のしきたりを守れないからと、移住者を排斥する様な態度を取る以上は、当然だが、その集落が没落する事を“自ら”が望んでると見做しておかしくない訳であり、他所者だからとか、自分達が苦労したのだからと言って“同じ目に遭わせる”行為をやるのは、所詮は甘えであり、つまらん自尊心のために自傷行為をやってるのと同じである。だけど、その“痛み”そのものが解らないから、余計に他人を責める事以外で憂さを晴らすことができないのである。

“自分は悪くない”という発想、そろそろやめた方がいいよ…“自分が悪い”と悟れた人ほど、矢面に立って傷付く方を選ぶ。なぜなら、最前線でいるつもりでも、まして現役で戦ってるつもりでも、年齢とともに足手まといになってるからだ。自分のせいで迷惑をかけたと自覚してるなら、一線を退く代わりに他の方法で支援することができるかを模索するモノであり、それでもダメなら、完全に退く方を選ぶ。本当に尊ばれる指導者ってのは、ボロボロになっても最前線に立ってるが、それは後進を“守る”為であって、つまらん意地を張ってる訳じゃない。だから、多くの人に慕われ、敬愛されるのである。そこんトコが理解できてない時点で、尊ばれる指導者になれる訳がない。自分の事を、人一倍“褒めて欲しい”と思うなら、まずは目の前の相手を“自分”だと思って大事にする事が絶対条件になる…侮蔑するのも大いに結構、その“報い”を全て受け取る“権利”がある以上、拒む方が愚かである。自分自身が“選んだ”モノである以上は、当然の話だが、他人に対して文句を言う筋合いなど、どこにもないのだから。