迷馬の隠れ家 はてな本館

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メディアとユーザー〜ゴシップ誌が蔓延る原因とリテラシーの問題〜

もう20年以上前から言われてることだが、メディアリテラシー(情報倫理)が日本人は乏しいという指摘。これは何も、日本に限らず、諸外国…特に先進国ほど、こういう情報のあり方に対する倫理的なモノのあり様に関しては、かなりガバガバなトコがある。しかしそれは、“情報の娯楽化”であり、当事者でないことをいいことに好き勝手に風聴してるエンドユーザー(読者や視聴者など)に責任を求め過ぎてるトコがあって、それを“商売”にしてるメディアの堕落ぶりを指してるトコがある。そういう、些細な失態や欠点を、さも“重大事案”として報じてるメディアは、結局“儲かるから”の一言でエンドユーザーが求める“情報”のみしか流せなくなってる訳である。ならば、その逆も然りで、ユーザーは“欲しい情報”のために“必要経費”を払ってるのに、必要な情報“以外”のモノを、しかも大々的に報じてること自体、邪魔でしかないし、これほど“無駄な行為”に付き合わされたくないのが事実である。ここに、重大な齟齬が生じてる訳であり、また、言論の自由の本意は“知る権利”と“選ぶ権利”、そして、“忘れる義務”と“秘匿義務”がセットであることを忘れてはいけないのである。

では何故、ゴシップ誌が蔓延るのか?それは、エンドユーザーの“好奇心”が一つの要因になっているトコがあり、その方向性が“人間模様の悲喜劇”が中心だからである。故に、国のトップが起こした、政治活動とは関係ない“出来事”を暴露することで世間を煽り、著名人の私生活における些細な“不幸”を利用して人格否定の記事を書き、経済活動の動向において、ありもしない“裏情報”を偽装することで騒ぎを誇張して、エンドユーザーの“反応”を誘発させている訳である。そもそも、ゴシップ誌とは、巷の噂話を集めてエンドユーザー(この場合は購読者)の“感情”に刺激を与える目的がある。が、その方向性が、“他人の不幸を嘲笑う”から批判される訳であり、その“情報”を面白がってる購読者がいるモンだから売れるのである。だが、ここからが一番重要なことであって、閲覧(てか、立ち読み)程度の範囲で扱う分にはどうという事はないが、ほんの一部、情報を精査する事なく真に受ける、かなり“お人好し”な性格が、こういう“真偽不明な情報”に惑わされ、激昂したり絶望したりする訳である。“真実”なんてのは、その“現場”にいないとわからないのであって、“情報”の多くは、様々な“ノイズ”が混じってる事が多い…だから、受け手であるエンドユーザーがきちんと精査し処理できる人でないと混乱する訳であり、当事者が事の次第を説明したくても、ユーザーが“求める答え”以外認めないという態度を取れば、口を閉ざさざる得なくなる。

“興味を持つ”事自体は、誰にでもある感情であり、権限である。しかし、その“使い道”を間違えると、双方にとって“不幸”しかない。だから“忘れる義務”と“秘匿義務”が生じる訳であり、当事者にとって“黒歴史”として封じたい事であったのなら、敢えて触れずに無視する事が必要なのであり、また、途方も無い恨みや妬みといった“負の感情”を止めるためにも、情報を“開示しない”という選択肢も必要となる。ここの部分の取り扱いが不十分であると、さらに厄介な話が吹き出る訳であり、そのことによって重大な危機が発生するリスクが増える訳である。いわゆる“ロッキード事件”とて、そもそも論からすれば、米ロッキード社が経営安定化を画策する上で、日本に航空機や交通インフラの売り込みを行うために、日本の有力商社や代議士に便宜を図った訳であり、その“裏取引”が気に食わなかった与党対立会派がメディアに暴露した事で一大スキャンダルに発展した訳であり、それで左派系野党が勢い付いた訳である。そしてそれは、国鉄電電公社日本道路公団などの公共インフラ系国営公社の“解体・民営化”を“税の無駄を削減する”という口実で実行するハメになる…歴史を端的に綴ってくと、こういう事である。仮に、今も国鉄道路公団が存続してるのであれば、消費税に関する話も、なんとなくではあるが、国民も理解する事ができるであろう。が、国営の公社が殆どなくなった状況下になって、消費税が“導入”されたことを踏まえると、本末転倒な事が起きてると気付かないとマズいのである…少子高齢化による医療費高騰で、その負担を軽減する目的と言われてるが、だったらなんで、国営公社を解体し、民営化させたのかって話をしたら、多分、説明がつかなくなると思う。それくらい、実は日本の財政はトチ狂ってるトコがあって、それを誘発させているのが、件のメディアの報じ方であり、エンドユーザーのリテラシーのなさにある訳である。

メディアが肝心な事を報じずに、いらん騒動を誘発させようとしてると感じたら、真っ先に自分の意思で“情報の遮断”を行う事が必要であり、新聞や雑誌を“購入しない”というのも、一つの選択肢として、常に意識する事が重要となる。そして、本当に自分が“求める情報”に関して、どこまで“対価”を払えるかを踏まえた上で、あらゆる方法で収集し、精査する事でキチンとした“情報”として記録し、今後の検討材料にできるのです。そこを無視して何かをやろうとすれば、必ず、その場の感情に流され、自分が掲げた本懐を遂げる事は、まずできません。