迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

まだ続けるのか?こんなこと…

“新たな証拠”が出たとか、自殺者が出たとかで野党側は躍起になって安倍政権潰しをメディアとともにやってる訳だが…どこまで国民をバカにしたら気が済むのでしょうか?先に結論を出せば、国民はすでに飽きてますよ、この話題。むしろ、憲法や国防に関わる問題の方が重要なのに、いつまでこういう“くだらないこと”を続けるのでしょうか。

その一因になっているのは、国家公務員…特に基幹省庁に勤務してる人々の“学歴”と“肩書き”が、大概の場合、政治家よりも“格上”だという、変なプライドからくる苛立ちがあり、しかも、省庁の“一番偉い人”が、選挙で選ばれた政治家だからこそ…といういろんな意味で“どうでもいい”部分での劣等感から不正に手を染めたり、その“責任”を、直属の“上司”として大臣を務める政治家に擦りつけてる訳です。今回の問題も、結局はそこであり、また、大量の自殺者が出たとしても、それは“身から出た錆”です…国民から徴収した税金で、国民共有の財産を、その“肩書き”を悪用して放蕩三昧してる訳ですから、様々な方位から責められるのがしんどいから“逃げる”のです。だから、こういう人達の亡骸って、どういう訳か“穏やか”なんですよね…“逃げ果せた”という安堵感からね。

一口にエリートといっても、単に学歴優秀な人ばかりではありません。中には、現場からの叩き上げで地位を勝ち得た人もいれば、いわゆる“お飾り”で閑職なのに当人が勘違いしてるってのもあって、そこらへんはまさに千差万別。さらに、官職経験から政治家に転職する人もいたら、もっと専門職を磨き上げ、後人育成に心血を注ぎたくて大学に入り直す人もいるほどで、本気で“意識高い人”ほど、自己鍛錬を積み重ね、現場とのパイプ役に徹する人もいます。が、大体ニュースとかで取り上げられやすいのは、そういう“真面目に仕事してる”人よりも、疚しい気持ちを持った、別の意味で“野心家”な人達です。人が羨むような役職に就き、裕福な生活がやりたい一心で、現場を愚弄し、肩書きや学歴を振りかざして傍若無人を働く訳です…こういうのが上司にいると、その配下の人が、結局潰されてしまう訳です。なんせ、自分がせっせとやってきた功績は横取りする上に、一瞥もくれないどころか、悪行三昧の“首謀者”なのに逃げを打つために責任を押し付ける…そりゃ、過労でおかしくなる人が出て当然です。

つまり、自分の肩書きが“いかなる価値か”というモノを理解できてるのであれば問題ないのですが、その逆だからこそ、内容がおかしい訳です。日本人の性格上、肩書きを“表面上”でしか判断できないトコがあり、ゆえに情報に惑わされ、“真実”から目が離れてしまうのです。このはてダでも何度か言いましたが、今の大手メディアの上司、および既存野党の幹部の多くは、半世紀前の学生運動に参加したクチです。言い方を変えれば、就活を棒に振っても“自分達のため”と叫びながら、大学を占拠した上でダダ捏ねしたクチです。ようするに、世界の主役は未だに“自分だ”と、自惚れを通り越えて、子供時代に周囲の大人から相手されなかった哀れさしかありません。ぶっちゃけ、様々な社会の成り立ち、また、その背景にある相互関係などを、“エリート”であるがゆえに、誰も教えてもらえてないんですよねw

それは、阪神大震災でも、東日本大震災でも、その時の政権が、どういう対応して民衆救済に苦慮したかを考えれば一目瞭然。阪神の時の自社さ政権下では、自衛隊災害派遣に対しても、国会での審議を通さなければならなかったことが仇となり、結果、当時の兵庫県知事や神戸市長が伊丹や姫路の駐屯地に直談判して問題となり、その経験から、災害発生時における自衛隊の派遣要請は、被災自治体の長に変更する法律ができた訳であり、東日本の場合は、自治体が要請してるにも拘らず、閣僚クラスが“視察してからw”という本末転倒な行動をとったために、福島の原発が事故った訳です。情報収拾は現場に任せ、それをどうフィードバックするかは関係各省の役人と“責任者”的立場にある閣僚が膝詰め合わせて決めることです。当然ですが、海外からの救援部隊を迅速に現場へ送り込むのであれば、防衛省と外務省が担当大臣込みで協議することであり、そこで取捨選択すること自体おかしい訳です。

今回のケースでも、“責任者は大臣やってる政治家だからw”という格好で、自分がやらかした不始末(学校法人絡みの詐欺に引っかかった)を帳消ししようとしたことが、政府に懐疑的なメディアにバレた挙句、それを利用して政権打倒を企てされたからこそ、一部の良心ある人が、自分の責任と、これ以上しんどい思いまでして生きてることが嫌になったから“消えた”だけです。当然ですが、事件に巻き込まれ、疲弊したが故に悲しい結末を迎えた人は、ある意味“犠牲者”です…が、そんな人の生涯まで持ち出して政権批判してる人達って、何がしたいのでしょうか?むしろ、自死を選んだ彼らは、メディアと“学生運動の残り火”に“殺された”様なモノです。それでも現政権のせいにするのであれば、よほどめでたい神経です…民主主義の“否定”を、自らの意思でやっているという自覚に乏しいからです。

戦後の日本の政治は、結局は今の韓国と同じで、僻み根性からくる“方向音痴な言いがかり”から審議ができないまま今日に至ってる訳です…とても他人を笑えた義理じゃありません。そんなことを目の前でやっているのを見てきた子供達が、選挙に参加したいと思います?