迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

なぜ日本のアニメ・特撮では“自衛隊”の存在が“否定”されがちなのか?

“新幹線変形ロボシンカリオン The Animation”面白いですよねw 大宮鉄博の地下にある“超進化研究所”が、日本の平和を脅かしかねない存在“エージェント”(原作と言える玩具での設定では“バチガミ”)に対抗する手段として、秘密裏に開発した特殊な新幹線“シンカリオン”で、次々と撃破していく物語は、BBA鉄としては結構良くできた話だと感心してる反面、妙な違和感を抱かざる得ないトコがある…それは、そういう有事に際して、真っ先に動くのは警察であり、そして自衛隊ではないかってこと。言い方を変えると、ゴジラガメラといった特撮映画では自衛隊が必死に攻撃して、なぜか返り討ちに遭って、結局暴れるままにしてるうちに去って行くのが“お約束”な事が多いのに対し、ロボットアニメの多くでは、まず自衛隊が出てくる事がない。また、ウルトラマンシリーズでも、自衛隊よりも先に動いてるのは民間の特務機関であり、そこに所属する隊員の一人が“光の戦士”として変身して怪獣と戦ってる事が殆どである。これはなぜだろう?

そこで一番注目すべきは、放映権を持っている放送局の“方針”である…特にTBS系列に顕著なのは、物語上で自衛隊の存在そのものを“否定”してるトコである。また、テレ朝(というよりABC)で放映してる特撮やアニメでも、自衛隊の存在はガン無視であるw つまり、現実の社会だと、最終的には自衛隊の被災地域に一番近い方面隊所属の隊員が駆けつけて救援に当たる事が多いのに対し、物語上での設定では、“もしも自衛隊違憲団体として法律に則って解体されてしまえば、誰が国民の平和を守るのか?”という根本的な問題を提示してる訳である。また、“悪の組織”として登場する集団の多くは、姿こそ人間を模してても、一応は“人外”である。つまり“現実にあり得ない話”だからこそ、自衛隊どころか、海上保安庁も警察も、物語上では存在が完全に無視される訳であり、それに取って代わる存在として、様々な“民間の特務機関”が登場する訳である。この“伝統”は、恐らくだが、今の時代でいうトコのスパロボ系アニメの元祖と言える、“マジンガーZ”シリーズや“ゲッターロボ”シリーズにも共通してるトコがあり、ゲームのスパロボシリーズでも、自衛隊や警察は出てこない。(当然だがw)

そんな中で、自衛隊がある意味“敵役”としても出てくるのは“新世紀エヴァンゲリオン”の旧作劇場版だったり、新版でも“序”の初っ端部分だったりする訳で、これはこれで、作中でも自衛隊の存在を無視する事なく活躍させている方であり、むしろ旧作においては特務機関であるNERFを、大元であるハズのZEELEの指示で、“戦略自衛隊”が攻め込んで来るという、かなりブッ飛んだ話になっている。つまり、ロボットアニメにおける“常識”を覆し、だけどどこかで自衛隊という存在に対しての“否定”をやっているトコがちらほら見えるのがエヴァの世界観だと考えると、いかに日本のロボットアニメやヒーロー系アニメが、実存する“日本の軍隊”に対して批判的であるかがよくわかる話である。

では、なんで日本のアニメや特撮では“自衛隊否定”が露骨なのか?その背景にあるのが、日本国憲法第9条2項の“いかなる武力も、これを有さない”とする文言であり、ここに反した存在が自衛隊だからという理屈があるからです。でも、このはてダやTwitterでも散々解説したけど、この憲法9条2項の条文は、元々はGHQ(というよりアメリカ)が日本からの“反撃”を恐れて加筆したモノであり、朝鮮戦争のどさくさに紛れて中ソが(ついでに韓国も)尖閣諸島や北方4島等に侵攻したため、それを牽制するためと、国内での災害時において、地元消防団や警察だけではどうにもならない事態に備えての“軍備”は必要という判断から自衛隊は結成された訳であり、故に本来であれば、この時点で改憲論議を行なった上で改正すべきだったのを、今日まで放置した結果がコレなのである。そこを逆手に、司法に精通してる弁護士や学者が、ある意味“金儲けの素”として裁判をやってるから、いつまで経っても“自衛隊否定”がまかり通っている訳である。

ま、どっちにしてもロボットアニメやヒーローアニメの多くは、小・中学生世代が“主人公”であり、特にロボットの操縦に関しては、善悪の分別にこだわらず、単に目の前の“悪者”を退治することに集中できる無邪気さが必要最低条件になってるトコがあって、ガンダムシリーズのようなハイティーン(高校生以上)が主役のモノだと、故にリアルな戦争絵巻に変貌して、血生臭い映像になってしまう訳である。(そこんトコは、エヴァもかなりエグいんだが…)だが、社会人になって、改めてロボットアニメを見ていると、その作中の世界観に対する違和感の“正体”に気付く事が多い訳であり、そこに対してどう捉えるかは、人それぞれではないかと思う。ただ、だからと言って、露骨な“自衛隊批判”を繰り返すのは、あまり健全な考えだとは思わないんだが…。