迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“女人禁制”とはいうものの…

大相撲舞鶴巡業で、多々見良三舞鶴市長が土俵上で挨拶を行おうとした際、容体急変で倒れた後、女性看護師が心肺蘇生のために土俵に上がった訳だが、この際に散々アナウンスで“女性は降りろ”という指示を出した件について、たった一言でいえば、日本相撲協会は、なんのために男性医療スタッフを常駐してるんだってことになる。また、宝塚巡業では中川智子宝塚市長がこの件について“なんで市長なのに女性だからといって断わるのっておかしい”という旨の発言をしたが、これは完全に“別問題”であって、これはこれで件の女性に対して、ものごっつい“失礼”なことをやったようなモノである。

では、そもそも“女人禁制”という風習が世界中に至るトコに存在してるのか?それは、共通した“様々な事情”が遠因となってるトコがあって、そこんトコを勘違いしたまま今日に至ってしまってるのと、その逆で、過去に凄惨な事案が発生し、その結果そうせざる得ないという悲しい話も存在する訳である。つまり、前者は時代背景に伴う習慣が、科学の進歩で“常識”から逸脱してしまってる訳であり、後者は現代社会であっても、経験則からの危機管理としての規制であって、どちらも単純な“女性軽視”での差別行為ではない。むしろ、そこんトコの事情や経緯を知らずに、闇雲に“男女平等”を訴える方が不敬行為であり、品のない話と言える訳である。

さて…その“様々な事情”とは、いったい何を意味するか?その答えの一つが、“身柄の保護”という概念の違いからくるモノである。言い方を変えると、“身の安全の確保”に対する認識違いからくる誤解であり、そして一部の疚しい輩による拡大解釈に基づいた、別の意味での“身柄の保護”を確立させる“根元の証拠”である。一番わかりやすい話をすると、今でこそ富士山への登山は、装備と計画ルートの確認さえしっかりしていれば、山の中腹(大体5合目ぐらい)までは、道路や公共交通機関(主に登山バス)が整備されているから、どうにかなる訳であり、登山道にしても、コースによる違いはあれど、余程でない限り、通行できない様なモノではない。(とは言え、装備の不備や天候不順を無理して…等といった理由での遭難事故が発生しない訳ではないがw)だが、これが現代のように情報がある程度蓄積されてない、しかも頑丈な装備や整備も行われていない、ブームとなる江戸時代以前だったらどうだったか?また、高野山もそもそもの参詣道がどんなモノであり、その一部を鉄道(南海高野線)開通で簡略化したことによって、女性でも苦にすることなく参詣できる様になったことを踏まえると、それ以前の“女人高野”ってのは、どういう経緯で存在したかを考えると、自ずとその答えが見えてくる。そう、山岳信仰の“女人禁制”の一番の理由は、当時の概念で言えば、体力が元々非力な女性に、険しい岩山や薄暗い森で迷われたりしたら、信仰どころの話じゃなかったからこその“規制”なのである。つまり、参道の安全が保証できない区間が多いことや、万一の事故が生じたら、それこそ救助や捜索が困難な場所であったからこそ、確実に登山ができる体力を有してる男性のみ入山が許された訳である。当然だが、女性よりも非力な男性…特に子供はちょっとしたことで死傷する危険があるからこそ、女性と一緒に、できるだけ難易度の低いトコに草庵を建て、そこで待機する様に指示した訳である。同じ理屈なら、信貴山金剛山生駒山といった、阪奈間にある金剛生駒山地修験道が、今でも存在する理由と、そこに鉄道を敷設しようとした近鉄や南海の執念は、並大抵の話ではないことを知っておいたほうがいい。

相撲に限らず、日本の武術の多くで“女人禁制”である理由の一つは、競技会場の衛生管理がマズかったことが挙げられる。要は感染症に罹患しやすいのが、各種道場の稽古場や競技施設として開放してた社寺の境内にある土俵だった訳で、何分、江戸時代末期まで、公衆衛生の概念が乏しかったことも相まって、食中毒や風邪によって死亡するケースが後を絶たなかった訳である。当然、そんな不衛生な場所で長時間の観戦をやってたら、当人はともかく、体力が衰えてる高齢者や、出産を控えた妊婦などはひとたまりもない訳であり、まして古代史の相撲は流血沙汰(というより殺し合い…)は、日常茶飯事であり、血液を介する感染症(特に性感染症系)の類に罹患したらどうなるか、想像に難くないと思う。つまり、“夜遊び”で罹患したならともかく、それ以外の場所で“変な病気”に罹患したとなれば、どんな名家のお嬢様であっても、多くの男性から軽蔑されるのは必至であり、それを避ける意味でも、できるだけ女性が道場や稽古場に、そして競技会場に出向くことを禁じた訳である。当然だが、遊郭太夫や芸妓・舞妓とて、本気で“夜遊び”する人は稀であって、しかも博学な人が多かった…要は、安易に性行為に応じる様な輩とは、似て非なる存在といって差し支えがない。だから、富裕層の男性が見初めて、分相応の“違約金”を茶店揚屋等に支払って、初めて遊郭を出る事ができる訳だが、それは、教養を身につける手間賃の様なモノであって、正妻として迎えられる事がなくても、様々な芸事の師匠として、あるいは子供の教育係としての役目を得る事ができた訳である。(ここんトコを誤解してる人、結構多いのよねぇ…)

話が逸れたので元に戻すと、今の世の中で公衆衛生や医療技術が向上して、感染症のリスクが減ったからこそ女性の観戦を解禁した訳であって、そこんトコを誤解してる人の多くが、結果として悲惨な事故を引き起こしてる訳である。ゆえに、その“危機リスク”を回避するための措置として、未だに女人禁制を強いてる訳である。これは当然だが、祇園祭岸和田だんじり等の祭事における“女人禁制”にも通じてるトコがあり、その一つは、“祭の華”とも言える、神輿や山車の取扱に関する事で、アレが“女人禁制”なのは、単純に“危険防止”である。言い方変えると、転倒事故や衝突事故が頻発する(というよりお約束なw)場で、万一、嫁入り前の娘が巻き込まれて死傷する事案がでたら、それこそ催事に対して猛反発する、市民団体みたいな自称インテリな輩にフルボッコされるのは目に見えた話。(それでなくても、岸和田市内の電柱や角地に家では、毎年の如くだんじりの“ドリフト遣り回し失敗”からの大破がどっかで発生してる訳でw)故に、人口減少を理由に女子の参加を認めろと訴えても、泉州男児が“がだ断る!!”とツッパ退ける訳である。で、祇園祭における“お稚児さん”役の男児小学生に対して、潔斎精進のために母親と離れて男衆の手だけで世話するのは、一つは元服前の男児に対して、一時的に祭礼の“拠り所”として、神様としての地位を受けるためであり、もう一つは母親から離れて生活する事で、大人になるための訓練を受けるため…つまり、男性だらけの社会にいち早く馴染ませるには、早い段階での“母離れ”を経験させる必要があるという概念がある。故に、お稚児さんの世話する長刀鉾の町内会に在籍する男性諸氏は、祇園祭開催中の7月は、嫌でも擬似的に“子育て”を経験するハメになる。(ワンオペ育児じゃないだけマシだと思えw)

この様に、様々な理屈で女人禁制が行われている訳だが、それは“男子禁制”でも同じ事が言える訳であり、結局、その意味を履き違えた“意識高い系”のアホのせいによって意味が歪められてしまって、本末転倒な状態に陥る訳である。時代云々よりも、そこに至った経緯を知った上で、それでも“おかしい”と思う事案なら、そこから改めればいいだけの話であって、何でもかんでも“解放しろ”という意見は、むしろ事を拗らせるだけでなく、それによって生じたトラブルに対して、責任を負いたくないとダダ捏ねして、周囲への迷惑が拡大するだけである。