迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“弱者”を虐める人の心理…

日大フェニックス騒動が、鎮火する気配がない状況において、件の学生が会見を開き謝罪した事について、敢えてここでいえば、メディアを使ってまで、将来有望なアメフト選手を、何の権限で組織は“潰す”方へ向いてしまったんだとしか言えない。それに、こういうのって、諸先輩が築き上げた影響や功績に対して泥を塗り、恥を掻かすようなモノであり、あまりにも惨めだ。

以前にも書いたとは思うが、いじめの構造ってのは、結局は様々な依存症と一緒で、その要因の一つに“絶対服従”という条件が加わる。つまり、指導者自身が自分自身の“思い通り”に組織が機能しないと、その“責任”を、立場的に“弱い”幕下に擦り付けた上で、たまたま事が上手くいっても、その“功績”を横取りした挙句、自分が指導してない話にまで首を突っ込んで自分のモノにしようとする訳である…子供の時なら、それはそれで、周囲の“大人”が事を俯瞰して見た上で注意・指導すればある程度まで防げるが、分別がつけられる世代になると、それを行うのは当人次第に変わる…この時に周囲の“大人”から受けた指導がモノをいう訳であり、ここの部分が欠落してると、当然、その下で指導を受ける学童は、それが“当たり前”になってしまう。

宗教団体でもそうなんだが、人材育成を行う上で、一番重要になるのは、結果論“だけ”で判断せずに、失敗は失敗として認めた上で“次に繋げる”事に重点を置く事であり、その“模範”となる姿勢を、自らの立ち振る舞いをもって示す事にある。故に、盤石な組織ほど、“異体同心”という概念から人材を育成する訳である。ただ…ここんトコを履き違える指導者が一人でもいると、そこから組織は壊滅することが多く、今回のケースだと、まさに、そういう状況に陥った典型的な話になる…指導者に対して“絶対服従”こそが組織として盤石なモノにするという概念で、学生を蔑ろにしたのであれば、もはやアメフト部だけじゃなく、日大そのものが“そういうクズの集まり”という風に見られかねない事態であるってことだ。それは引いては、多くのOB・OGに対して泥を塗る行為であり、背任でしかない。

“異体同心”の概念は、立場や民族の垣根を超えて“一つになる”事を意味し、また、多様性を認め、存在を互いに尊重し合う姿勢でもある。故に、“同じ志”の下において、上下貴賎の隔たりは一切無い事を意味し、条件や立場が違っても、だからこそ“支え合う”ことができる…相互関係が一見希薄なモノであっても、必ずどこかで関連するという意識を持つことで、“相手を敬う”ことの本意を知ることができるのが、この“異体同心”の考えの一つである。故に、自分の“思い通り”にならなくても、結果オーライなら、それが“正解”という訳である。

では、何で件の指導者(監督・コーチ陣)は、将来を嘱望された、自分の幕下に対して愚行を指示したのか?たった一言でいえば、“伝統”というモノを履き違えた上に、過去の栄光に縋って奢れてるからこそ、自分自身がやらかした事に対して逃げようとする訳であり、こういう醜態を晒す輩が“指導者”を騙ってる時点で、組織としての危機管理が全然なってないだけでなく、完全に腐敗してる事を意味する訳である。言っちゃ何だが、まだ成人なったばっかの“学生”が、自分が好きで飛び込んだアメフトから“離れる”という決断を下すことが、どんだけ勇気がいる行為なのか、そしてそれは、他の選手やアメフト関係者を“守る”ために犠牲を払おうとしてるか、そんなことすら気付かないのかって話だ。

もちろん、穿った考え方をすれば、こうでもしないとアメフトを“見てもらえない”という思いがあってやったのであれば、それこそ愚行でしかない。マイナーでもいいんですよ、本当に価値がわかる人だけで楽しんでる分に関しては。けど、もっとメジャーなモノにしたいって思惑があるのならば、それこそ地道に啓蒙活動するしかない訳であり、そこをすっ飛ばして人気者になりたい、著名になりたいと思うのであれば、それこそ重篤な犯罪をやればいい…一発で世間に名を知られ、誰からも注目される反面、その罪の重さ故に、罵られることを覚悟しなければならない。当然だが、犯した罪が消えることもなければ、それ故に世間から四六時中、批判の的になり続ける訳であり、どんなに慈善活動に汗を流そうと、しつこいぐらいに“偽善行為”と批判され、罵倒され続ける事になる。その“尻拭い”のために、関与した者全員がどれだけ苦労し、擁護する度に傷付くか…真の“指導者”であるなら、地位や名声よりも、自分を信じて付いてきた若輩者を守り、庇うために犠牲になる。後陣もまた、その恩義を忘れず、次世代に対して同じ施しをやることができて当然…そこを履き違え、自分自身を“絶対君主”として幕下に傍若無人を働いたなら、その報いは、必ず自身の身だけでなく、属する組織、更には親族縁者に対してまでも、厄災となって降りかかる。自分の振る舞いによって、一番汚されたのは、先人達がここまで連綿と築き上げた伝統と格式であり、師弟という名の“信頼関係”に他ならない。