迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

三類の強敵とデマの話。

SNS界隈では、今回の西日本豪雨に対する、的外れな政府批判が飛び交ってるが、そこまで政府の対応を侮蔑した以上は、自衛隊のみならず、警察や消防隊の救援は、一切“邪魔”だからいらないって事で良いよね?自分達“だけ”でできると言った以上は、こっちは“手出し無用”って事で、金銭も含めた援助は一切やらないよ…という、被災現場に“いない”者が勝手に吠えてる訳だが、こういう人に限って、土壇場ではデカい声で図々しくも“先に俺様を救助しろ”とか言い出すのよねぇw 何度も言ってるけど、現場では政府官僚が親族縁者にコネがあって、そこを最優先に救援をやったとしても、利用する現場の被災者にとっちゃ、そういった“裏事情”なんてどうでもいい事であり、いち早くライフラインが復旧したら、再建への道筋が付く訳であって、結果オーライなのです。しかしまぁ…よくもこういう“非常事態”に乗じて、現場に的確な指示を出す指揮官相手に、罵詈雑言ができる事でw

日蓮仏法でよく出てくる言葉に、“三類の強敵”ってのがある。これ、文上だけの意で解説すると、法華経の行者であるからこそ現れる難敵を指していて、現状に則して訳すと、現場で粛々と業務(救援活動)を行ってる役人や団体職員に対して、ここぞとばかりにクレームを吐きまくる、自称“情報通”な人々を指してる。つまり、SNS上で安倍政権を叩いてる人の多くが、大体ここに当て嵌まる訳で、その正体は、混乱に乗じてデマを流す輩と一緒である。“三類の強敵”に関しては以前にも解説したが、改めてざっくりといえば…

  • 俗衆増上慢:一般的に、巷の噂話やメディアの情報に惑わされて暴言を吐く人。
  • 道門増上慢:宗教団体関係者あるいは聖職者として、自己の哲学に則して批判する人。
  • 僭聖増上慢:過去の功績や学術的権威等で著名な立場を利用して、相手を見下す人。

に分類できる訳で、SNS上でも一番厄介なのは、最後に紹介した僭聖増上慢である。彼らは一般的に、学歴や社会的地位で著名であり、それ故に発言そのものの影響力がハンパ無い。が、それ故に“相手”を侮辱することに躍起になっていて、そこにあるのは、単なる自己顕示欲と、誤った正義感に基づく精神的な満足感である。故に、現在有する肩書きの“本分”を弁えずに、自分自身がいかにも“世間から支持された存在”という勘違いから暴言を発してる事に気付かないのである。こういう“勘違い著名人”が発した言葉を鵜呑みにするのが俗衆増上慢であり、救済したくても、相手を異教徒(=余所者)だからと言って追い払う行為に至るのが道門増上慢である。

つまり、“三類の強敵”という存在は、被災者でもないのにその“代弁”を買って出たり、“現場”に居ない事を幸いに好き勝手に持論を述べたり、人々が苦悩してる様を嘲笑いたいだけで騒いでるのであり、ある意味では、平時の際に会社や近所で謂れ無き事を言われ続けてる憂さを、ここぞとばかりに晴らそうとしてる、一番“可哀想”な存在とも言える訳であり、相手にするだけ現場は余計にパニくるだけである。むしろ、本当に必要な情報しか流さない事は、一種の“言論統制”ではあるが、現場の混乱を回避するには、こういった災害時には必要な措置である…“言論の自由”という“本質”は、“摂受折伏時による”と同じで、余計な情報を流さないように制限をかける時と、真実を公表せざる得ない時は、常に“別バナ”として扱うべきであり、そこんトコを既存メディアが“憲法上の保証”を盾にして、ごっちゃにしてるから混乱するのである。それは、安倍総理の被災地慰問に、在京メディアが帯同して訪問した避難所に詰めかけた事でも言える事で、共同取材で“情報共有”していればいいモノを、視聴率や購買部数欲しさに殺到するからおかしいのであり、こういうスタイルの取材方式を許したのは、民主党政権下での話だ。もっと言えば、23年前の阪神大震災の時から…否、33年前の日航ジャンボ機墜落事故の時から、災害時における報道倫理を守れた試しが一つもない。だから、被災地から在京メディアの取材姿勢に対する批判が相次ぐ訳であり、そこに世話になってる自惚れ野郎が、身の安全が確保されたスタジオで傍若無人な与太話をやる度に、好感度が落ちるのである。当然だが、SNSでの発言も、批判の対象になってるのはいうまでもない。

現場の声を聞きたいのであれば、そこへ向かうのがスジであり、それができないのであれば、政府(被災地域の行政)の発表を信じてやるしかない。公式見解が“疑わしい”というのであれば、自分が被災した時、行政やNPO法人などの支援を一切絶った上で、全て“自助”で解決させろって話であり、それこそ“できるモノならやってみろ”な話である。富裕層でも、被災した家屋や所有物の損失は痛いし、再建となれば、それこそ手持ちの財産を手放す度胸が必要となる。一人暮らしの高齢者や、DV等を理由に生活保護を受けざる得ない人は、さらにハンデがデカい…犠牲者の中には、難病を抱えて在宅介護だった人も含まれている訳で、そういった事情を考えずに被災者を叩いたり、被災行政、さらには政府を批判してはいけない。事前に防災・減災のための公共事業を“税の無駄”と言って叩いた以上、こういった犠牲が出るのは“当然の結果”であり、そのツケを払うために増税したとしても、それは文句を言ってはいけない。どうしても文句を言いたければ、その前に“自分にできる事”をすべて、自分自身“だけ”で整えるべきである。