迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“生産性”ってなんのこと?

LGBTに関する話で、どっかのドアホが“生産性がない”といって問題になってるが、正直言って、いろんな意味で生産性がないのは、今の日本の社会そのものであり、もっと言えば高学歴“のみ”を誇って暴言吐いてる連中自身だと、オイラは考える。なぜなら、性的マイノリティーな人でも、その感受性やセンスの良さから衣料品や生活雑貨で優れたデザインの製品を開発できる訳だし、ユーチューバーやSNS界隈でも人気のある人ほどコミュニケーション力は半端ない。そして何より、中卒でも処世術に長けた人ほど成功者になるのは、地道でも様々な知識を得るために恥を忍んで挑み続けてるからこそであって、そこに“共通”してるのは、どこまでも“相手を想う”という一点に尽きる。当然ながら、身障者(知的障害も含む)でもそのハンデ以上の活躍ができる人ほど、自分自身の立ち振る舞いに対して、細心の注意を払える訳であり、健常者でも、それができない時点で“お察し”なのである。

学歴至上主義に走った結果、結局、業務内容や必要最低限度のスキルが見合ってないのに、有名校やトップレベルの学位という“ネームバリュ”のみで雇ってるから支離滅裂になるのであって、本来であれば、就職希望者が“持ってるスキル”と、それに似合うだけの“業務内容”をマッチングさせることで業績は上がるモノであって、そこを無視した雇用情勢だと、離職者が増えたり、企業の技術力が低下するのは目に見えた話である。そもそも、そこに性的マイノリティーや出自なんて関係あるか?もし、それが“重要”だと考えているのであれば、生産性が上がらない理由もはっきりしてる訳で、要は使い勝手の悪さを他に求めるから拗れてるだけの話である。言い換えれば、功績を求めるあまりに失敗に対する“責任”を、とにかく“自分以外”にしとけば“傷付かない”という考えでやってる訳であり、そういう“誤った他力本願”な態度だから、ある者は“理不尽な鉄拳成敗”に怯え、またある者は“褒められたい”一心で上司の悪行に加担し、そして自分自身の“劣等感”をどうにかしたいから不特定多数の“弱者”を攻撃する訳である。

高学歴な著名人ほど、自分の“学歴”を振りかざして為政者や他の学者、識者の“失策”を叩くけど、そういう人ほど自分自身が“その立場”になった途端にボロが出る。いくら学業成績が優秀だろうが、名門私学出身だろうが、“その先”で他に学ぶべきスキルの習得とかに費やすべきトコを怠った上で、他人からそこんトコを指摘されるとムキになって“言葉”で反論する訳だが、そういう人ほど中身がない…そう、“実際の経験値”そのものが、RPGでいうトコの“レベル1”以下なのに、単に“頭エラい”で天狗になって、相手を見ずに殴ってる訳である。

“相手を想う”とは、それ即ち、自分の身の丈に合った立ち振る舞いをもって接する事であり、それは同じ“レベル1”でも分野が違う時点で話は変わるという事を失念してはいけない事でもある。同じ身障者でも、先天的なモノの人と、事故や病気が原因でそうなった人では“生活習慣”そのものが違う。先天的に欠落してる事自体が“普通”な人にとっちゃどうってことのない事でも、後天的な人にとっちゃ“同じことやれ”と言われてできるモノじゃない…分相応に訓練を必要となるからだ。同じ様に、出自が不明であっても、“同じ場所で戦う”以上は、対等なる存在として扱うのが礼儀であり、その結果に対して一切のイチャモンも付けてはならない。将棋界で“中学生プロ棋士”となった藤井聡太七段に対して、羽生善治名人が対局の際に手を抜くと思います?これと同じです。

高学歴・エリートであるほど、自分より“低レベル”な人が自分より地位が高いトコにいると、非常にムカつくらしい。が、なんで周囲が“自分を避ける”のかを理解してないと、どんなに他人より優れたる存在として崇めよと叫んだトコで、ウザがられるのがオチである。だって、単に自分の“過去”を褒めて欲しいだけで、“現在進行形は?”って問いに対して、何一つ答えられない時点で、他人からしたら“なんの価値もない”のです。だから“誰も相手にしない”のです。それに気付いた人ほど、今の自分の態度が、いかに“恥ずかしい行為”なのかと頭抱える訳です。そこから態度を改められるのであれば問題はないのですが…