迷馬の隠れ家 はてな本館

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“男尊女卑”ってそんなに重要?

東京医大の“女性軽視”な話といい、望まぬ妊娠からの出産で“我が子”をトイレに遺棄したとして逮捕される話といい、話の根幹を問えば、未だ日本は“男尊女卑”という概念が蔓延っていて、ちょっとやそっとじゃ変革できないほど“社会が病んでる”のである。でも、それって本当はみんな、無自覚のままで今まで来てるからこその弊害じゃね?そもそも“男らしさ”の主眼として、人前で泣かないとか、女性よりも体力があるとかいうけど、そんなのは個人差がある訳だし、それが“原因”で体壊した男性ってクズな訳?“女らしさ”という主眼も、家事も育児もワンオペ当然って、どうな訳?いずれの考え方も、途方もない大間違いであると同時に、本当に苦労してる人に対して愚弄したいだけじゃね?

“男尊女卑”って概念は、本来であれば、女性に比べて体力や知性があるという自惚れが生んだ誤解であり、女性が社会的な役割を“家族を守る”ことに集中させることを主眼に蔓延ってるトコがあり、要は男性としては“自由”でいたいだけの話である。家庭に縛られ、組織に縛られ、とにかく、杓子定規な人間関係を断ち切りたい割りに、それに似合うだけのスキルを“他人”に頼ってるのを、世間的に誤魔化したいから生まれた論理であり、宗教哲学の多くも、そこんトコを否定して“女性を大事にしろ”って指摘してるのに、ほぼ聖職者や為政者はガン無視してる訳である。なんせ、この輩は、自分自身の自尊心維持に勤しむあまりに、様々な部分で女性の存在そのものを“排除”した訳である。当然だが、女性に求めるモノは、自己の“快楽”や“ストレス発散”のための奴隷であり、女性もまた、そんな“弱い存在”の為の犠牲は甚仕方ない“宿命”としてきたのが、今日の誤解に繋がるのである。これは、ある意味有史以来の“呪縛”と言ってもおかしくない話である。

もっといえば、なんで男性社会が世界中でまかり通っているのかといえば、女性に対する価値観が、どこまでも“男性目線”で語られ続けているからであり、また、女性もそれに従わざる得なかったトコがある…正確にいえば、矢面に立つ男性の陰で、自分の意のままに社会を動かそうとする女性もいた訳であり、そういう女性が嫁さんだったりすると、当然だが“旦那”である男性は、“自分の嫁可愛い”で騙され、故に他の女性に対しても、ほぼ“同じ感覚”で取り扱う訳である…こういうと“女性軽視”の要因は、結局女性自身が作ってる様に見えるが、本質的にいえば、女性そのものを単一化して見てるからこそ悪いのであり、男性でも身体的ハンデから女性よりも体力がない人もいるし、成長過程での疾患(外傷性内臓疾患とか、栄養失調からのホルモンバランス崩壊による生理不順とか…)が因で、子供を作りたくても“作れない”人もいるし、中には体質的に(特に男性の精子)女児しか作れない夫婦だっている。そこんトコを全部“女性のせい”にして、男性“のみ”で社会を構築して、家庭内で“性処理用に飼う”という感覚で、女性の地位を潰してきた訳である。だから今でも、いわゆる“宗教原理主義”を標榜するテロリストは、事ある毎に知性に富んだ女性を“魔女狩り”してきた訳であり、また、それに似合うだけの報酬を得られる(=女性を大勢、家に監禁しても十分な)様、賃金体系もなってた訳である。しかし…それ故に困った事になる訳で、それは“女性でないとできない仕事”を、女性を排除した分だけ、男性もやらないといけない訳であり、その為の“犠牲”が出たのはいうまでもない。LGBTに関する“歴史”でも、特に俗に“ゲイ”と蔑まされてる男性の中には、性的興味が異性に向かなかったというより、ある意味強引に性的処理をやらされたことがきっかけでそうなった人もいる訳で、今でも幼少期のトラウマが因で苦しんでる人だっている。

話がいらん方へ逸れたんで元に戻せば、要は男性“だけ”で物事が回せたらラクだと考える人が未だに多く、本当に“自分がやりたいこと”に対する障壁の多くが“コレ”であることに気付いてない人が多いだけの話で、看護師や保育士、介護関係を“女性”に縛ってる背景にあるのも、要は男性の多くが“この職は女性のモノ”と押し付けてるトコがあるからであり、また女性の多くも男性看護師や保育士に対する不信感(特に性的被害に対する警戒心)が強過ぎることが一因になってるのです。根本的な部分での“不信感”が拭えない以上、いろんな意味での“男尊女卑”の状況が変わることはありません…そう、マスメディアが面白がって“事件”を取り上げる度、男性の介護・育児従事者が不当に叩かれ、また、女性の介護・育児従事者が悲鳴を挙げても世間が無視し続けるのも、“自分自身”がその立場の人から世話になっているにも関わらず、それが“当然”という態度で接しているからこそ、なにひとつ解決しないのです。

この話の最後に、今は亡き叔母の話を…彼女は長年、某市立病院で看護師をやっていて、婦長まで勤め上げた人である。伯父(=オトンの兄)がテーラー(自宅でオーダーメイドスーツの制作・販売)をやっていたこともあって、常に家には誰かがいる状況だったこともあり、夜勤で留守にすることも多かったし、オイラがオトンに連れられて家に行くと、夜勤明けなのにオイラや従兄弟に付き合って遊んでくれたりもした。でも、そのストレスは相当なモノで、現役時は煙くなるぐらいタバコをガンガン吸ってた記憶がある。(伯父も大概ヘヴィスモーカーだったがw)でも、問題なく子育てができたのは、伯父が“在宅勤務”であることと、近所に親戚(オイラの一族)や縁者が多かったことが大きい。特に近隣住民に顔が通るほど伯父は社交的な人だったこともあり、それ故に彼女は仕事に打ち込むことができたといっていい…母親としてやれることを満足にできたかどうかはオイラは知らないが、少なからずとも、従兄弟家族が家庭を持ち、孫の顔も見れたことは、一番の幸福だと思う。生涯にわたって看護師として働けたのは、周囲の理解と、そして旦那である伯父が不器用ながらも支えてくれたことにあると思う。そして何より、その背中を見て育った従兄弟は、整体師として働いている。辛い仕事でも、そこに“誇り”を持ってるなら、自ずと子孫はその跡を、何らかのカタチで継いで行く…純真な子供ほど、大人の所作をちゃんと見てるから、自ずと自分が進むべき道を選ぶことができる…それを潰す人程、過去において自分自身がそういう目に遭ってるからこそ、自分とは関係ない相手の“夢”を簡単に潰して自尊心を得ようとする。それがいかにみっともないか…今一度、自分を見直すべきではなかろうか?