“被害者”とは特権に非ず…
ネット界隈では未だに騒がしい、韓国軍レーダー事件。事の発端というか、そもそも、この問題の本質は、在日米軍が掴んでた情報を基に、海自のP1哨戒機が日本海のZEE(排他的経済水域)を警戒のために飛んでた事によるモノであり、その“情報”というのが、経済制裁している北朝鮮に対する物資援助を、どこかがこっそりやってるというモノで、裏付け捜査も兼ねたモノだった訳であり、まさか“同盟国”が裏切り行為をやってるとは、考えたくなかったからこその話であり、ゆえに韓国政府の態度に対し、一番失望したのは、在外韓国・朝鮮人自身である事は言うまでもない。ただ…韓国を擁護するつもりではないが、こういう国際法をガン無視した態度の背景にあるのは、儒教の教えそのものが“都合のいい解釈”に基づいて拡散された事が一因にあり、それを後生大事に受け継いだ弊害であることを哀れむしか他にないだけの話である。
儒教とはあくまで、宗教哲学の一部であって、日蓮仏法も含めた、様々な宗教哲学を学ぶ上でのゲートウェイである。つまり、宗教全般で共通する概念を知るための手がかりであり、あらゆる理念の触りの部分が儒教の本分である。故に、教えの一部には、年配者や指導者に対する敬意を重んじる部分があり、物事において“被害者”は誰よりも優遇すべき存在として扱うべきとされている…実はここが問題点で、韓国・朝鮮人の多くが、ここを勘違いして“正義論”を唱えてるからおかしいのであり、その指摘を何度繰り返しても直らないのも、実はこの“一凶”に尽きる訳である。誤解がない様に説明すると、“加害者”は“被害者”から見た際に序列的に下劣な存在として扱われるという“誤解”が、事を拗らせてる要因の一つにある訳だ。
東京のとある公立高校で、教師が生徒に暴行を加えたとする動画も、事の発端を精査すると、“被害者”は自分の立場を利用して教師を怒らせた挙句殴られてる訳であり、“加害者”として吊るし上げられた教師は、本来であれば“教育指導”の一環として口頭による注意を何度もやったも関わらず、悪態を付いた事から“言葉が通じない”として、言語を音声から拳に変えたまでに過ぎない。つまり、普通の口頭のみで通じる相手ならそこで済む話でも、そもそもの“言語”が違う時点で通じないのは当然で、故に“わかりやすい言語”として用いたのが物理攻撃…って訳である。
これと一緒で、そもそもの“言葉”…つーか、聴覚で認識可能な言語を用いても通じない相手に、何度交渉を試みても通じないのであれば、それ以外の感覚を用いて“対話”するしかないのであり、時としてそれば、物理的な方法だったり、表現力を用いた方法だったりするだけで、その“結果”に関して、双方以外が理解する事は“不可能”である。故に、第三者が介入して事態が収まる事ができる場合とは、双方から見て介入する第三者が“中立”である必要がある。実はコレが一番“難しい”から、大概交渉が“決裂”する訳である。“対話”という方法は、文章としては“話し合い”なんだが、その奥底にあるのは、“言語”を弁えた上での認識を行う所作であって、“相手”が指定した“言語”を用いない限り成立しないのである。
話を韓国政府の態度の戻すと、日本を非難し、侮辱する理由は、朝鮮半島の平和と安寧を“約束”したのに“守ってくれなかった”という被害妄想に縋ってるのであり、今までなら、日韓の間で通じてた話として処理されてきた訳だが、それを“理由”にいつしか自分達が“加害者”の立場になっている事に気付かぬまま、横暴の限りを尽くした訳であり、そこを認めてしまうと、一気に“被害者”として優遇されてきた事柄が帳消しになるjことを恐れるあまりに、国民に対して、そして国際世論に対してまでも嘘を突き通さねばならない程落魄れた訳である。当然だがそれは、中国やロシアも同じで、ただ、大きな違いがあるなら、“過去の遺恨”を理由に相手を見下す行為は、ひいては自分の地位を自身で傷付ける行為だと認識してるからこそである。諺の“負けるが勝ち”の理を、弁えた態度だからこその話だ。韓国の社会は、それが未熟なまま今日まで来てるから、どこの地域でも“トラブルメーカー”扱いされてしまう訳である。
単純に“被害者”と“加害者”ってのは、どこまでいっても一つの事案に付き一組でしかない訳であり、その“関係”も、“一つの事案”のみに成立するモノである。よって、いじめ被害を受けた経験があると言っても、報復すべき相手は過去において、直接の接触があったものに限られるのであって、仲裁に入った者や外部の野次馬は、報復対象から外すのが常である。仮に、相手が弁済責任を認めても、満額受け取る必要はない…他に“被害者”がいない訳じゃない以上、過剰に優遇される必要はないからだ。また、“加害者”とて、過去の事案で他人…しかも事案とか無関係な人から叩かれたら、その時点で“被害者”に化ける。つまりは“等価交換の理”に基づいて、“対等な立場”でない時点で、立場そのものが“逆転”するのである。これを恐れるあまりに、言語を変えてやってる以上、話が通じないのは当たり前で、“対等な立場”で対話をするには、あえて“何もしない”で被害を受け続けるしかない…日本はそうやって“耐えてきた”国だから、第三国から“援軍”がきてる訳である。それでもこれを“特権”というのであれば、分相応の代償は、誰が払うべきか…そこを論じない限り、この問題は解決することなどあり得ない。