迷馬の隠れ家 はてな本館

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ラジオ好きが惹かれるテレビ局?!

まずは、コレを聴いて欲しい…っと言っても、radikoのタイムフリー機能は放送1週間以内でしか再生されないんだが、おそらくMBSラジオの公式での番組オンデがあるかと思うんで、リンク切れの時は気になった人は検索してくれw

 

で、今回の本題は、豊田アナに限らず、カンテレ在籍のアナウンサーは総じて、ラジオに興味持ってアナウンサーになる人が多い傾向がある。時代背景もさることながら、基本的に、ラジオ番組への憧れが転じてテレビに移行するパターンで、かつ、そのきっかけが競馬に限定すると、ラジニケよりもカンテレに行きたがる…ま、それだけきよぽんの影響力が強い訳だがw

 

しかし、カンテレのアナウンサーの“ラジオ指向”は伝統的な部分があって、その発端を考察すると、確実にCRKとカンテレの“合併話”が絡んでくる事が見えてくる。この話題に関しては、このBlogで散々取り上げてきた話であるから、“われラジ”の過去記事を引っ張り出せば出てくるかとは思うが、カンテレの黎明期は、それこそ、CRKでの合同アナウンス研修が必修であった訳であり、それは当時として、ごく普通の話だった訳である。

 

カンテレとCRKの関係に関しても、過去に何度も取り上げた話なんで、詳細は割愛するものの、黎明期のカンテレアナウンサーは、それこそ今の関西AMラジオ災害協定のルールに応じた格好で、テレビにも臨んでいた訳であり、故に、フリー化する際に一度は、ラジオで番組を持ちたがる訳である。ただ…その関係が崩れてからは、OBCラジオ大阪が補填する格好になった訳で、故に、OBCアナウンサーがテレビに出るとなれば、通常だとカンテレのローカル枠が使われる訳である。ここに関してざっくり説明すると、OBC産経新聞社系のラジオ単営局であり、そもそもの開局理由がNRN(LFニッポン放送とQR文化放送の共同ラジオネットワーク…原則、ここに加入してないと“オールナイトニッポン”や“走れ歌謡曲”などのネット放送はできない)の補完放送できるラジオ局が必要だったのと、その役割をCRKから“剥奪”する“事件”があったことに起因してて、決してCRKそのものと無関係ではないトコがある。

 

CRKからの出向だった松本暢章アナは言うまでもなく、70年代までに入社してるカンテレアナウンサーは、少なからずともラジオ放送の研修を受けていて、それを基本とするアナウンス研修を受けている。この件に関してはカンテレの社史にも記載があって、そのバックボーンがあるから、ラジオへの憧れが人一倍強く、故に、ラジオに出るとなれば、局の垣根など“どうでもいい”的なノリになる訳であり、フリー後に、いとも簡単にレギュラーで番組をガンガンやっちゃう人がいる訳です…ま、その最たる例が征平ちゃんであり、ヤマヒロだったりする訳で…w