迷馬の隠れ家 はてな本館

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貧困児童を救済する術は、宗教的戒律を用いて判断すべき?

大手コンビニが“子ども食堂”を運営するってニュース見て、何気に批判してる人の多い事…だったら、こういう“貧困救済”に関連する事業は、全て宗教団体の施設でやるべきって言わないと、本末転倒な話になるでw 理由は至ってシンプル…宗教法人法で、都道府県に届け出を出してる宗教団体の、信徒から徴収する“浄財”が所得税免除なのは、地域に根ざした奉仕活動の資金として運用される事が前提になってるから。つまり、信仰と関係なく、生活苦で駆け込んで来た者に対して、必要最低限の施しを行う事が前提にあり、その為の場として、宿坊や食堂を構える寺院や社殿がある訳で、災害時の避難所として境内や本堂を解放するのも、その一環である。そこんトコを理解せず、横柄な態度を取る宗教アレルギーな人程、大声張り上げて宗教批判するから困る訳で、個人レベルの支援活動は限界があるからこそ、宗教団体や大企業の慈善団体が協力を申し出るのであり、そこと雇用や賃金の話を絡めるのは、場違いの説法でしかない。

 

 

ま、大企業が慈善活動に乗り出す資金があるなら賃金上げろという意見は、わからんでもないが、そのために物価が高騰したら、文句いうう時点でお察しである…だから大企業ほど(てか、日本の企業の多くが)価格変更の“理由”に人件費を言わないだけで、価格を据え置くには、それこそ“労基法なにそれ美味しいの?”な経営を取らざる得なくなるw つまり、今の景気後退要因の一つに、消費税分の賃金上昇を理由にした価格改定を批判してる人によって引き起こされてる部分があるって事である。逆を言えば、そういう経済の根本的な仕組みを理解し、“物価上昇=賃金上昇”という図式を認めない以上は、貧富の差が更に広がるだけで、結果、歪な社会共産主義の末路と同じになる。

 

以前にも指摘したが、富裕層から資産を巻き上げたいのであれば、分相応の“サービス”を施すのがスジであり、“利用者”として店舗や施設を訪れているのであれば、そこに従事してる関係者各位に対して“報酬”を支払わないなら、どんなに大富豪でも“客人”としての資格はない。まして、“子ども食堂”は、利用対象が小中学生中心で、経済的に支払い能力も乏しいからこその“低価格”であって、万民向けフードバンクみたいな運営をやるにも、守銭奴貧困層に混じって変な文句を言い出したら、どんな慈善活動も運営が頓挫する。

 

また、ハンドメイド作家に対する言い掛かりと一緒で、作品にケチ付けて原価以下で手に入れようとする行為を正当化してる時点で、大企業や宗教団体に喧嘩を売る度胸がないから“弱者”に矛先向ける訳である。とんでもない話ですw 何度も言いますが、今の貧困の多くは、“貧困”を言い訳にして経済破綻を“自らが望んだ”結果であり、本来であれば人件費(=賃金)が高騰してる事を理由にした値上げを認めてやるべきであり、そこを“批判”したから賃金も待遇も改善しないのです。

 

イスラム教の戒律には、富裕層は配下の民に対して最大限の施しを促すモノがある。仏教でも、富裕層に対して供養をケチるなと諭す教えがある…いずれもコレは、欲動しく財産を集め、独り占めしても幸福には至らないとしてる理由に、余計な恨みや妬みを集める一凶としてるからであり、等価交換の理に則して尊重し合う姿勢として、金銭授受や取引を行うべきとしてる訳である。まして、どんなに億万長者として世間からチヤホヤされても、どんなに異性から絶賛される容姿であっても、その精神が餓えた状態…自分が本当に欲してるモノが手に入らなくて、だけど、それが何だったかを忘れてしまって迷ってる状態では、何をしようが感動も歓びもわからないし、勝手に“自分の居場所”すら失って、“生ける屍”になるだけです。コレがどんだけ寂しくて、どんだけ哀れか…

 

“信仰心”とはつまるところ、世間に、あるいは自分の周囲に対する“信じる心”であり、“自分の居場所”をきちんと見定める所作であり、自分自身を向上させる原動力です。それを教え、鍛える場が宗教の本分の一つであり、その一環として、地域との交流と慈善活動があるのです。当然ながら、組織としての企業も然りで、“将来の利用客”に対してできる範囲でのホスピタリティを示すのは、先行投資の意味合いがあり、それを通じて成長を見守る事が地域貢献の一環として挙げられたまでです…そこを批判して見下してるのは、単に“支援の輪”に入れずに僻んでるだけにしか見えません。高学歴で優秀な学者気取りをするのは結構ですが、その前に、自分ができる“貧困救済”を、自らの手で行ってから批判して下さい…目障りですよ、貧乏人から見ても、その態度は。