迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

YouTubeにある“違法動画”にある背景…

“違法動画”ってことにしてはいるが、ここでいうトコの“違法”は、あくまで放送局が保有する著作権および番組制作会社の著作人格権に関しての部分であって、いわゆるヘイトスピーチや特定機関に対する弾圧等の様な攻撃的なモノではない…ま、そのそもどういう動画を挙げても、規制が殆どないのがネット上での“自由の保障”ってモノであって、嫌なら関わらなければいいて話なんだがw

 

本題に入る前に、考えて欲しいことがある。それは、著作権が仇になって、貴重な映像資料の多くが、動画投稿配信サイトから削除されることがある点である。もちろん、正当な理由として、上記の通り放送局や番組制作会社、更には肖像権の関係で芸能(タレント)事務所が、当該番組に対する著作権および肖像権の侵害を主張してる訳であり、ドラマやアニメの場合だと、更にレコードやブルーレイ等の記憶媒体での販売権があって、そこの問題で配信に際して制限をかけてくる訳である。商売である以上、真っ当な意見だし当然の話だ。しかし…全ての番組や映像が、丸々“商品”として市場に出てるかと言えば、実際問題として稀であって、特に1970年以降で2000までの映像となると、ドラマやアニメ、映画館放映された作品はともかく、一般的なバラエティーやスポーツ中継の類となると、その頭数は極端に減る。プロ野球Jリーグ、オリンピック等の国際大会の種目は“記録映像”として残ってることはあっても、バラエティー番組は、ほぼ“使い捨て”な事が多く、一般家庭のビデオテープに、コアなファンが残してるのが関の山だったりする事がよくあるのである。

 

CM映像もまた然りで、広告が主たる目的であるが故に、ビデオをデジタル媒体にコピーする際にカットしてる場合も多く、それで残ってないモノも多い…これは不幸中のWiFi…もとい、幸いにも、放送ライブラリ公式ページで閲覧可能だったり、大手の大学の研究データとして残ってるのが見られるんでここの部分では恵まれてる…

 

 

しかし、バラエティー番組…特に視聴者参加型の番組となると、映像そのものが残ってるのが奇跡で、生放送以上に映像データが残ってる方が稀で、地上波で紹介する際でも、大概はモザイクが入る…肖像権とプライバシーに対する配慮ってヤツだ。これは仕方ない部分として、芸能界入りした人物や局アナはともかく、そうじゃない“通りすがり”な視聴者の場合、ノーギャラに近い格好で番組出演してる関係もあって、ごく一部では不都合な事情を抱えてることがある。まして、再放送となれば、当時の出演者全員の許諾を取るのも難しい訳で、中には放送後に犯罪者となった者や故人となってしまった人も出てくる…故に、取り扱いが“難しい”という背景に到るのである。

 

 

こういった部分での問題が多く、また、著作権保有する放送局でも、アーカイブスとしてWeb上に公開したくても“需要が読めない”として躊躇するケースが多いから、結果として、一般視聴者だったYouTuberの一部が、自分が保有する資料からアップロードする事態になる訳であり、実に著作権にうるさいトコほど管理と運営が杜撰なのかがよくわかる訳である。その件に対して一石を投じたのが、モンティ・パイソンの“無償”による全作品公開という手法である。

 

 

イギリスのパフォーマンス集団であるモンティ・パイソンは、事ある毎にコアなファンが、YouTubeに過去の放映番組をアップロードするため、その都度YouTube運営に削除依頼を出していたけど、それを逆さに考え、“だったら公式で挙げちゃえw”って事で、著作権を管理してるレコード会社や放送局に喧嘩を売る格好で、アップロードを行った訳である。これにより、違法アップデートが鳴りを潜め、以後、公式以外での動画は存在しなくなったという…そう、“公式”という錦の御旗と、“無料公開”という破壊力は、時として、違法アップローダーの息の根を止める切り札になるのだ。昨今では、申請を出す事でWeb広告の収入を得るためにチャンネル登録に躍起なYou Tuberが多いが、公式も同じ事をやれば、かなりの収益になる上に、今までの制作費を巻き返すこともできる目処が立つ。つまり、世界相手に番組を作ってなかったとしても、インフルエンサーによる拡散力が甚大であれば、自ずと軸足をWebに切り替えても、地上波放送局は生き残れる…それに見合うだけの番組を、過去にどれだけ作ったかにもよる反面、過去の人気番組から、本当に“視聴者が求めてる内容”を学び取り、反映させる事によって、本当に“良い番組”だけが、世界中で愛され、放送され続ける事ができると、オイラは確信している。

 

 

最近の地上波番組が“面白くない”背景は、単に“タレント乱舞”である事に尽きるのであって、クイズ番組でも、実際に面白いのは、一般視聴者の“ガチ勝負”であり、タレントが自分の頭脳の良さを勘違いしてやり合う姿は、正直飽きる。手練れのMCが一般参加の視聴者と一緒になって番組制作を“楽しむ”姿勢が面白い訳であり、それ故に“探偵!ナイトスクープ”がローカルセースルでも人気を博する訳であり、“パネルクイズアタック25”が今でも日曜昼間の定番でいられるのも、根本的な部分は何一つ弄らず、今日まで放送し続けてるからこその話である。ここの部分では、流石ABCテレビらしい姿勢であり、日テレの“笑点”同様に“マンネリ”だからこその拘りを捨てずにやってこれた事自体が奇跡なのである。努兄が昔、“あどラン”本2冊目に記した『視聴率はもとより、視聴質の高い番組を』という概念は、結局は、潤沢な制作費用や、最高品質の機器類を使用する以上に、如何にして視聴者が“腰を据えて楽しむ”かが鍵となる…八方美人な全方位に好かれる内容ってのは、意外と総スカンになりやすく、ニッチでマニアックな方が、実は大衆受けしやすい。それがわかってても“できない”状態になったのは、ごく一部のクレーマーに放送業界のみならず、社会全般が怯えてる、歪んだ感情が支配する社会になってしまってるからこその話ではなかろうか。