迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

行政の闇、地方の闇、東京の闇…

このネタは、22日更新のブロマガと連動してます…こっちは政治に関わる話。

 

岩手競馬の馬主協会長の失言に関しては、ブロマガを参照して欲しいが、ここでは“地方自治”に関わる部分と、何で“東京ブランド”信仰が地方自治体…特に都道府県レベルで頻発するのか、そこんトコを推察することにする。正直、この話は、世界規模のイベント誘致や、リニアや新幹線、高速道等の交通インフラ整備事業にも影を落とす問題であり、事柄を俯瞰する推察力や、相対的な感知を要する、非常に厄介で難儀なモノである。

 

 

 

教科書通りの感覚で東北6県を推察すると、総じて首都圏の経済活動に依存してるフシがある。特に東日本大震災以降、太平洋側の3県は、東京電力福島第一原発の事故も相まって、顕著なほどの依存度が高まってる様に思える。ま、福島県は実質“被害者”みたいなモンですから、ある意味で仕方ない部分はあるんだが、それ以外の東北地方の自治体はどうだろう?それこそ、首都圏…特に東京都への依存度が非常に高い様な気がする。逆を言えば、関西や中四国、九州で東北6県の話をしても、それこそ競馬ファンならいざ知らず、関心が薄いのは、あまりにも“遠い場所”だからという感覚がある。

 

更に言えば、沖縄や奄美島嶼地域に住んでいたら、まず“東北?なにそれどこな訳”ってなるのであって、同じ東京都でも、都心の23区内と多摩地方、伊豆諸島&小笠原では、同じ“東京都出身”って言っても生活様式そのものが既に別次元であり、インフラにも格差が出る。

 

では、何でこんな格差や依存体質が生まれるのか?その大元を辿れば、一極集中のツケであり、地域事情に則した整備をするにも、当該自治体の財政が“厳しい”が故に、単独での開発が“無理”ってのがある。実は、ここが諸問題をややこしくしてる“元凶”である。つまり、“大組織”の要である事業でも、“個別単位”にすると迷惑なモノであったり、個々の事情から考えると深刻な状況でも、全体からしたら“無視できる”範疇だったりするからである。この事が、東北6県と首都圏の、経済格差からくる依存の構図が出来上がる訳で、また、関門国道トンネルの新増設工事に対して、一部住民が“イラネ”って発言する要因にもなってる訳である。当然だが、九州新幹線長崎ルート開設ができない背景にも、沿線にあたる佐賀県の経済波及効果が希薄という感覚も同じで、要は、該当する事案の当事者に、何らかの“見返り”があるか否かで意見は変わる訳であり、更に、それが体現できる相手であれば、たとえそれによって実害しかなかったとしても、その時点での取引の“功績”だけが重要であって、後の事なんで“どうでもいい”訳である。

 

岩手県政を“よそ者”がウダウダ言うのは、正直みっともないしバカバカしいが、“日本”という国全体で俯瞰した時、ここで“功績”を挙げたものが成り上がりで国政や他都道府県性を批判する態度…更に、地元を盛り上げようと躍起になった功労者が“女性”である事を理由にバカにするのであれば、その態度が“原因”で岩手競馬だけでなく、岩手県そのものが“時代遅れ”を理由に近隣県民からも相手にされなくなることになる。今の段階ならまだ取り返しがつく状況だが、手元にある県民性あるあるネタの本を参考に岩手県民の性格からして、そんな“はんかくせい”事はできないと思われる。その態度、正直…今の岩手競馬関連番組の担当MCに対しても失礼極まりない姿であり、件の者の“本性”と受け止めた方がいい。当然だが、人気声優がラジオで言った戯言を真に受けて、イベントを無理やりセッティングしてる事自体、当人が“東京出身”とは限らんんのに、“東京発の全国放送ラジオ番組で言った”だけで期待してる事程、依存体質と批判されるのは、愚の骨頂である。

 

 

大きな組織であればあるほど、一見すると“無関係”な事象であっても、実はトンデモナイ重要な事象だったりする。逆に、話題性や規模からして大掛かりなモノでも、その内容や実情を知った途端にバカバカしく思える事象もある…だからこそ、人知れず、水面下で事を進める事案や計画がある訳で、そこを公にしたら、批判が殺到するのは当然である。来年の東京五輪にしろ、2025年の関西万博にしろ、問題点ばっか言って叩くのはいいが、それに似合う“代案”や、地方の経済活性化に必要な整備を“お金がない”を理由にやらないのであれば、いかなる文句も言うべきではない。まして、どうにかして経済活性を促そうと躍起になった功労者の手柄を横取りして、英雄気取りをするのであれば、問題が発生した時には、当事者でなくても“生贄”になってもらおうではないか。それが、事象に対して役職を持つ者が取る“責任”のあり方の一つであり、肩書きの“本当の価値”を示す態度である。それが嫌で逃げた以上、批判は免れないし、潰されても文句言えた義理じゃない。