迷馬の隠れ家 はてな本館

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カンテレとラジ関の“理不尽”な事情、KBS京都の“自由奔放”な事情w

先月のGWにラジニケが放送した“実況アナウンサー大放談”の2日目と3日目で、関西他局代表として、パエリア仙吉とサワブー、コーケンが登場して言いたい放題やってたんだが、この中で、コーケンがラジオブースでwktkしてたと黒米が言ってたが、ま…出身大学の放送研究会でラジオDJの真似事やってて、将来ラジオ局で喋りたかったという旨の話をしてたから、あながち、早い時期にOBCKBS京都が拾うんじゃないかと…w

 

それはさておき、コーケン世代だとカンテレの開局の歴史に関して中途半端にしか学んでない可能性がある。てのも、カンテレも開局から60年も経過した放送局だし、まして余程でないとKBS京都との関係を知る由なんて、イトマン事件関連の存廃騒動が起因だと勘違いされても仕方ない。当然だが、このはてブ読者で過去の“我ラジ”アーカイブ読者なら知ってるCRKラジオ関西との関連性なんて、今の30代以下が理解するには、非常に難解過ぎる。だから、番組放送中に“大先輩のきよぽんに聞け”とSNSで発した次第である。

 

この一言で勘付いた人、もうお解りですよね?そう、カンテレ開局から暫くの間、アナウンス研修の一環として、CRK(当時はラジオ神戸)のラジオブースに入って、ラジオでの仕事に関する研修もやってた訳で、きよぽんや塩田アナクラス(征平ちゃんもギリだったっけ?)は、必ず当時須磨にあったCRKのスタジオで(電波には乗らないものの)喋った経験があった訳であり、後にきよぽんがFM大阪ラジオパーソナリティーとして音楽番組を担当できたのも、(番組スポンサーがJRAだったのも踏まえたら)そういう“伏線”があったからです。

 

コレは、このはてブでも散々解説した、カンテレとCRKの“経営統合”計画があったからであり、コレがご破算となったのが、某オレンジ兎球団関連のいざこざの所為である訳で、それがなかったら、“絶対虎至上主義”サンテレビが誕生することはなかったし、OBCとの結び付きもできなかった…っていう経緯がある。またKBS京都も、カンテレ開局の“生みの親”であり、開局時にCRK程でなくても社員を出向させている。ただ…CRKがあまりに“神戸に関西基幹局を”とがっつくから、KBS京都…というより、親会社の京都新聞社が嫌気さして、だったら“京都の民営放送局”の矜持を維持しようとして、地域局という色合いを強めた訳である。

 

しかし…その概念が“裏目”に出たのが、あのイトマン事件からの存廃騒動である。この時に多くの社員が給料の未払いや休日出勤の強要等を理由に退社し、そのうちの一人が、現在はフリーでCSとかのプロ野球中継やOBCで競馬実況に勤しむ濱野アナであり、寺西アナも一時期、KBS京都での仕事を離れた。(現在は寧ろKBS京都を中心に、スポーツ実況やってるが…w)どうにか総務省に京都所縁のタレントや著名人等が嘆願書出して、首の皮一枚のトコで踏み止まり、経営の立て直し策に手を差し伸べたのがカンテレであり、テレビの部門に関しては、カンテレから社員を派遣し、番組制作を行った訳である。だから一時、お杉や征平ちゃんがKBS京都のテレビ番組でレギュラー持ってたり、かつての“エンドレスナイト”のスタッフが(当然、ばんばひろふみ込みでw)破茶滅茶な事をやった訳です。

 

先日の“よーいドン”で、月亭八光今出川駅周辺をブラついて、途中でKBS京都のラジオスタジオに乱入したのも、その“伏線”として、こういった経緯が、八光の証言以外にも存在してた訳であり、警備云々ではなく、相手が“カンテレのスタッフ”だったって事からの乱痴気だった訳です…つーか、それ以上に、ローカルなトコで関西の放送局って、こういう“カチコミ交流”好きだよなぁw

 

 

ま、あの騒動の一件があって以降、KBS京都のアナウンサーが“自由奔放”な状態に拍車が掛かったのは言うまでもなく、その際たる存在が、現在だとサワブーなんだが、昔も正直、名前は伏せますが、結構破天荒なお方がいらっしゃいまして、競馬実況に限らず、様々なトコでいろいろとやらかしてるんですわ、コレがw あ、ちなみにサワブーの声や姿を確認したい人は、レンタルビデオかストリーミング配信で“鴨川ホルモー”を観賞する事を推奨しときますw