迷馬の隠れ家 はてな本館

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“シンカリオン ”から学ぶ、共栄共存のあり方。

噂では、夏改編で打ち切りになるという話が出てきてる“新幹線変形ロボシンカリオン  ”だが、ま…そもそも春改編で終了予定が、スポンサーのごり押し…もとい、新作開発がガンガンズダンダンで進んだ為、急遽放映延長となった訳で、物語そのものがgdgd状態になってる訳で…

 

それはともかく、今週放送の話で、(配信待ちにネタバレしない程度に)かなり深い、そして大人になると、どうしてもブチ当たる“問題”が出てくるんだが、オイラの感覚で結論を出すなら、格差や決別の最大要因は、大まかに言えば、相手への尊厳を、無意識のうちに踏み躙っている事と、その尊厳故に自己犠牲という選択肢になる事である…つまり、口で“共栄共存”を唱えたトコで、それを実現するのに、“他者の廃絶”という矛盾と、自分にとって“大切な存在”を守りたい一心で自らを犠牲にする事の本意が、結果として付き纏う“問題”となる。もっと言えば、社会共産主義を唱える人程、“自己の正義”に凝り固まって、結果、理念が合わない相手を排斥したり、自分の意見のみをごり押しして、人心掌握に躍起になった末に、組織崩壊を招く元凶となる訳である。

 

SEKAI NO OWARI の“ドラゴンナイト”って楽曲に、戦う相手にも分相応の“正義”を掲げて刃を交えるという主旨の歌詞が出てくるんだが、まったくもって、その歌詞通りに、人それぞれの“意思”があり、それぞれの“正義”は存在する…宗教間での諍いとて、そもそもは宗派に関係なく共通する理念が根底にあっても、宗派が幾多も分離する度に、その“根幹の理念”の解釈にズレが生じる訳で、その要因も、指導者が掲げる“正義”の方向性が“どこに向いて説いたか?”で歪んでくる訳である。そこを理解し、全てを“ありのまま”に受け止めて包み込む事を説いたのが法華経の肝要であり、これを悟るのは、いかなる賢者であっても“難信難解”と釈尊は弟子檀那に説いた訳である。だから、日本に仏法が伝来した時でさえも、法華経が最上位の経典という認識はあれど、その意味まで解説できる僧侶が皆無だった訳であり、故にチベット仏教よろしくな簡略した、形式だけの儀礼だけになった訳である。

 

主人公は、日蓮仏法でいうトコの“異体同心”という概念を、言葉ではなく態度で示したのに対し、相手が示した態度は、その真逆…自分の意見と同意である事を期待して、且つ、過去の歴史や技術の“否定”に走った訳である。それは、確実に“共産革命”を謳い、多くの民衆を惨殺していった、東欧やソビエト連邦ポル・ポト派等のやった行為と全く同じである。規格の単一化は一見すると便利そうに思えるが、環境や事態の変化に即応できる能力が乏しくなる。

 

だから、新幹線も東海道・山陽の国鉄時代からの単一規格ではなく、JR東日本管内の新幹線は多種多様な形式の車両開発が行われ、特にE7(W7)は走行途中で周波数変動(50hz⇄60hz)に対応して、且つ、急勾配でも速度を維持して走れる車体構造になっている。また、九州新幹線の800系も、ドクターイエローが走行しなくても、架線や線路などの設備の不具合を司令室に感知・通報するシステムを搭載してる為、定期運行で全てをカバーできる体制になっている。

 

更に、新幹線車両開発5社の中でも近畿車輌は、親会社が近鉄だけあって、各種特急車両の製造ノウハウをフィードバックできるだけでなく、様々な軌道に合わせて車体を製造してるからこそフリーゲージトレインの試作を計画してる訳である。(表向きこそ、橿原線から吉野へのダイレクト輸送に適した車両の開発って事だが…)つまり、経験値を稼いで新幹線の“新しいカタチ”を、今でも模索してる訳である。

 

 

話が鉄ヲタ方面に飛んだんで元に戻せば、共栄共存の可能性に関しては、個々の案件で示し合わせているのに齟齬が起きるのは、自分自身を“絶対正義”に位置付けて物事を考えるからこそであり、立場や振る舞い方ひとつで、様々な可能性が模索できる事、それに伴う犠牲を如何にして最小限に抑えられるかが決まるのに、そこを“全否定”すると、自ずと解決の糸口を潰す事になる。“知らない”を知る事は、様々な知識を吸収するきっかけになり、そこで知り得た知識をうまく使いこなせば“知恵”となり、経験値が増えれば、更に“新しい概念”への進化を遂げるのであり、そこには“終点”は存在しない…“タイセツナモノ”を純粋に“守りたい”と思ったからこその決断で、その先に悲劇しかなかったとしても、それを悔やんでいたら“未来”はずっと遠いままだ。物語が今後、どういう結末を迎えるかを、最後まで見届けたいものであるw