迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

関西(大阪)をバカにする人の心理…

G20サミットの大阪開催に対する、ある意味での罵詈雑言がSNSで散見されるが、最も多いのは、なんで開催を首都圏…特に千葉県や神奈川県でやらなかったのかって話と、そもそもの“大阪に対する価値観”からの齟齬から来てる。ま、敢えて言えば、発言者自身の“社会科の勉強不足”が露呈してるだけの話であり、日程や会場規模、更には警護のしやすさに交通アクセスの良さ等を踏まえれば、東京以外だと関西圏が無難なのは明白であり、加えて現在、東京自体が来年のオリンピック&パラリンピック開催に向けた整備事業でゴタゴタしていて、そこで国際会議やイベントをやる事自体、どんだけのリスク(再開発の遅延や警備上の不具合等)を抱えてるか、想像できない時点で“小学校から社会科学び直せw”なレベルとしか言い様がない。

 

 

 

 

 

 

勿論、その背景には、在京メディアが発信し続けた、“虚構の関西像”ってのが根幹あり、更に“虚構の東京”こそ“本物のニッポン”として紹介し過ぎた側面も見逃してはいけない。海外メディアで日本に精通してる人程、実はこの“虚構”を見破っていて、故に取材でも首都圏を外して地方に行くケースが増えてる訳である。つまり、本来なら諸外国向けに発信してた情報に引っかかってるのは、皮肉にも日本人自身であり、それが1960年代以降、まるで呪いの様に蔓延した結果、多くに若者が東京を目指し、故郷に戻る事すら拒否する事態に陥ってしまってるのである。

 

また、様々な文芸作品(漫画含む)や楽曲でも、関西圏を舞台にした内容の多くが、大体60年代後半〜70年代の大阪…しかも歓楽街周辺(キタ・ミナミ・飛田新地)を舞台に描く事が殆どで、特に決定打になってるのは、はるき悦己のコミック“じゃりン子チエ”のTVアニメ化である。ま、つい最近まで、作品の舞台とも言える西成区では、ある意味でマスコット的存在として扱われてた訳だが、あの作品自体、時代背景が60年代後半の西成区浪速区阿倍野区天王寺区の一部が登場するんで、当時の“大阪の下町”を体感するには面白いけど、そのインパクトが強烈過ぎて、同じ関西人でも、特に西成区に対する誤解と偏見が生じた訳である。敢えて言っときますが、同じ西成区でも、阿倍野区に接してる帝塚山周辺は、関西屈指の高級住宅街…昔からのハイソでセレブなトコっすよ。(住吉大社もほど近い…あそこも、初詣以外に訪れると、とても静かでハイソなトコなんだが)

 

話が逸れたんで元に戻すと、在阪メディアも“東京に喧嘩売る”名目で、あまりにもコテコテなコンテンツばっかり作ったのも原因の一つになってるトコがあり、しかもメインが“純粋な大阪人”ではないのが大きいのである…こういうと、大概の人が頭抱えて黙るんだが、明確に言えば、同じ“関西人”と言えど、“本物の大阪人”がメインを務めてないって事である。“関西のタレント”という名目で紹介される人…特にお笑い芸人の場合、大阪府出身よりも、実は他県民である事が多く、目立つのは京都人や神戸っ子で、純粋な大阪人は、オイラの知る範囲では稀です。局アナに至っては、大阪人はガチで少数派で、大概目立ってるのは他県民です…代表的な人は名を伏せときますが、“生粋の大阪人”からしたら、言葉使いが酷過ぎて、誤解されるのも無理ないかって感じですw

 

 

 

 

つまり、今ほど情報量がなかった時代に、“大阪らしいモノ”を使わないと、情報の差別化ができなかったという背景と、今でも“変わらない風情”を求めるあまりに、大阪に対する固定概念と既成事実が形成されてしまい、ここを改変しようと躍起になっても、それを拒むのです…居心地のいい雑多な、“古き良き大阪”を求めるあまりに、どうしても通天閣大阪城などの、ベタな“大阪のイメージ”を求める訳です。だったら、東京も同じ様に、ベタな風景“だけ”切り取って報じたらいいじゃないですかw そうやっているうちに、なんで息苦しい状況なのかがわかります…“あの頃のままで”と他人に願うから、自分だけ“変革したい”と思っても、周囲がそれを認めない以上、結果的に変な齟齬が因となって紛糾するのです。これが、“大阪dis”の一端と考えていいでしょう。でも…いつの時代でも“あの頃のまま”ではいられないし、否定するだけ無駄です。時間の進行は一方通行である以上、そして、“生きた社会”であり続ける以上、常に変革は続くのであり、それが“成熟”の過程なのです。