迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

ヴィーガンの言い分は聞き飽きた…酪農をバカにする者は、精神が病んでいる。

Twitterで炎上騒ぎになってる、とあるヴィーガンのバカ発言。牛乳や乳製品の製造過程として、乳牛の虐待があると発言してる様だが、そもそも、食糧である家畜の肥育において、虐待なんてのはもってのほかであり、衛生管理や品質の向上を是とする酪農家を、見下してる時点で話にならん。まして、豆乳やココナッツミルク等の植物性代替乳は、製造したその場で消費しないとすぐ劣化する程品質管理が難しく、パック詰販売されてる既製品の多くは、開封後はその日のうちに消費しないと、牛乳以上に食中毒を起こしやすくなる。故に、長期保存可能な植物性代替乳の多くは、水分を抜いた粉状であり、無調整だとカロリーの割に栄養価が低い。ぶっちゃっけ、豆乳も豆腐に加工出来る濃度のモノになると、モノの数時間で凝固し、腐敗するから、豆腐屋の店頭で販売してるのを持って帰るのは、食品衛生上、危険極まりないんよね。

 

 

 

では、なんでヴィーガンは肉食を批判するかと言えば、凄く簡単な理屈で、肉類は人間以外の動物を屠畜(とちく)して得てるからだという、“命の尊厳”を履き違えた言い訳をしてるだけである。確かに、動物の命を奪わないと、美味しい肉は得られない訳だが、だとすれば、植物とてまた然りであり、人間が貪る為に存在してる訳ではない。果実や種子も、そもそもは次世代に子孫を残す為のモノであって、故に糖質や脂質が高い。草食動物が穀類や豆類を食べると、必要以上に体脂肪が付くのも、植物のみで栄養を摂取する仕組み故の話であり、馬にとって枝豆や玄米なんて、人間で言えばリブロースグリルや中トロ炙りを口にしてるのと一緒である。

 

植物だって“生物”である以上、ヴィーガンの言い分は矛盾以外何モノでもないのであり、それら全てを食する事ができる人間は、それだけ業が深く“生物”として許し難い存在である。しかし…食べるという行為は、“生物”である以上避けられない、宿根の業であり、そこを否定する事は、生命維持の否定にも繋がる。つまり、安易な酪農・畜産農を批判する行為は、人間の生命尊厳の“否定”でもある。

 

そう…飽食に慣れた生活感を改め、環境改善を名目にした粗食生活は、個人でやる分には誰も批判する必要はないが、それを他人に押し付けるのは、たとえ自分の体質に合ってるといっても、推奨すべき事案ではない。宗教勧誘でもそうだが、信仰心がない人に無理矢理儀式作法を教えたトコで、宗派の教えを理解するのは不可能に近いし、余計な誤解を招くだけである。

 

宗教関連の話として、精進料理とハラール(イスラム教の戒律に基づいた食事)とは、単に菜食主義というのではなく、体調面や環境の違いで若干の動物性蛋白質を黙認してるトコがある。故に、精進料理でも、魚介類や鶏肉を用いる場合もあるし、ハラールは調理場を清め用の砂を撒いて、そこで捌いた肉類は口にして良いというルールがある。(特に業務用食材取扱店では、ハラール認証の食材として、冷凍食材が置いてある。)つまり、戒律に従った調理方法や、信徒からの供物(托鉢行等で得た食材)に加工肉や魚介の乾物があった場合、“肉食は禁忌”を理由に廃棄するのではなく、参拝者に振舞ったり、普通に食卓に盛って消費することも“修行”として受け止めるのです。ま、サンドイッチマンの漫才のネタにある“カロリーゼロの法則”ですw 言い方を変えれば、“命を己の糧として頂く”以上、信徒や参詣者の思いが詰まったモノは、一つ足りとも無駄にする事なかれ…という、宗教上の根幹でもある“信心”を試す意義として、たまに肉や魚介を食す事も不可欠な行為とされるのです。ここんトコを履き違えるヴィーガンが多い事…

 

 

 

 

以前にも解説したかとは思いますが、農業は宗教上では一番業が深い職種であり、下賎な存在として見なされる理由に、“命を奪う行為”を生業としてる訳であり、しかし、この“不浄な業”無くして食糧を確保する事は不可能という“現実”が常に付き纏う、人間の欲望の根源的な部分での宿業を支え担う立場の存在です。故に、食糧残渣や排泄物を肥料にして土を汚し、そこで穀物や野菜、果物を栽培して、その“命”を奪って糧としてる訳です。これだけでも“不浄な存在”です…畜産農家は更に、食用として、主に草食動物を飼っているから、余計に非難される存在です。しかし…食卓に上る食材は、この“下賎なる輩”の手を介さないと、口にする事も出来ないのです。当然、“完全菜食主義”を謳うヴィーガンであっても、自らの手を汚さないだけで、畜産農家を侮辱してる時点で、話になりません。むしろ、一番“不浄な存在”なのは、この不条理な業の下において、特権階級ぶった態度で批判してる、ヴィーガン自身ではないでしょうか?だから、真っ当な聖職者程、農家や漁業関係者を丁重に敬うのです。日々の生活を支える、重要な職であり、その苦労は計り知れないぐらい、深くて辛い仕事ですから。