迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

今一度…自らの襟、正しませんか?

京急の事故の件は、後日、情報がまとまり次第、“旅するオグリんちゃんねる”の動画(音声配信)でやるとして、今回は、そこにもつながる“マナーレス”事情の話…SNS上で女子高生がクルマ買ったり、J1サポとして応援盛り上げようとやった行為にダメ出しして炎上するネタが散見されるが、本気で若者が物事を流行らせようと、古い技術をスタイリッシュにアレンジしようと躍起になる度、必ず“常識はずれだ”とか、“節度を守れ”と言った年配者の批判が飛び交うが、何度も言うが大概の批判は“的外れ”もいいトコな話であり、まずその“批判”する権限は、発言者自身にあるかって事である。言い方変えれば、“自分は特別だから”とか、“他人がやってはいけない”という道理自体、条件が違えば何人たりとて通じるモノではないって事である。常々“襟を正してモノは言え”とオイラは発してるのは、その事であり、自分が本当に“他人を教化させる権限”があると言うならば、分相応の立ち振舞いを見せて手本とすべきではないか。

 

 

 

 

 

 

 

鉄道事故に関して言えば、高速化や車体の軽量化等の因となってる事案を精査すれば、自ずと“利用者”の声を反映させようと鉄道会社が努力と工夫を行なった結果であり、特に福知山(宝塚)線脱線事故は、そもそも論として直接の原因はJR西日本の現場監督責任を怠った(てか、運転士や駅員等の就労者に対して、ありえない様な勤務体制を強いた)事によるものだが、その“遠因”となれば、競合会社との“サービス合戦”で、速達性での優位を選んだからこその話であり、国鉄時代にできなかった事を民営化した事で、様々な手を打つ作戦の一つとして、保守管理がしやすく自重が軽く、消費電力を抑える事ができる、アルミ合金車体にした訳であり、また、東西線直通乗り入れで運行を行う為に、尼崎駅周辺の線路を付け替えた訳であり、それが結局仇になって、あの事故が起きたという側面を忘れてはいけない。(ここから先は、音声コンテンツで…)

 

話は変わるが、競馬のGⅠレース発送時のファンファーレで、特に関東のレースで、リズムに合わせた掛け声を挙げる人がいる様だが、コレはガチな話で止めるべき行為。なぜなら、競走馬の聴覚は非常に鋭敏で、遠くで会話してる声すら聞き分ける能力がある…草食獣共通の認識で、音声情報で物事を判断する習性から、度が過ぎた音量に、大概の馬は怯える事になる。故に、公平なレース施行を営む上で、発走前の大歓声は“御法度”な行為なのである。つまり、自分が“声援”のつもりで発した雄叫びは、却って自分が買った馬券成績が振るわない状態を招く行為でしかない。オイラもつい、関西のファンファーレに合わせて手拍子する事はあるが、アレとて大観衆が一斉にやれば、たとえ発走地点がスタンドから離れた向正面奥だとしても、馬の聴覚からしたら、ガード下で高速通過する電車の走行音を聞くレベルの騒音でしかない。(今でこそ大分静音化した方だが、それこそ30年前だと、かなりの爆音だったわよw)

 

セパ交流戦甲子園球場で、特に千葉ロッテファンがスタンドでジャンプする応援も、本拠地のZOZOマリンならともかく、球場の構造上、着地失敗したらシャレにならん事故につながりやすいから禁止されるのであって、阪神ファンの球場の外で試合後に大騒ぎするのに比べたら大人しい部類である。むしろ、阪神ファン以外の野球好きは、あそこまでバカ騒ぎをするのは、一部の勘違い応援団のみで、そういう輩が“公式応援団”として球団から認められてるから、多くのファンが球場外に逃げて、スポーツバーの様な飲食店に群がる訳である…球場の売上を伸ばすのであれば、場内の飲食施設を拡充するより、そういう“場違い野郎”を出入禁止にした方が早いと思うのだが…

 

 

 

 

ただ…こういう“問題行動”をやってる連中にしたら、要は“居場所がない”からこその、しかも自分に都合がいい場所を“他人に取られたくない”から排斥に走る訳で、また、公共交通機関の重大な事故の多くは、利用者自身の“個人的事情”からくる法令違反が積み重なって発生する訳で、踏切事故の多くは、通勤通学で“遅刻厳禁”としてる関係で、寝坊や他の交通事情でトラブると、故に焦って遮断棒が降りてる踏切に無理矢理突っ込んで、接近する列車ギリギリのトコを通過しようとする訳です。で、“自分の思い通り”に事が進まない事を、ついつい“他人のせい”にして、自分を正当化しようと画策する訳です…でも、その行き着く先は“不幸”のみです。他の利用者が利用できなくなるし、競技に興味あっても、周囲がガラ悪いとなかなか手が出せなくなるし、周囲からの評判も印象も悪くなるのは、当然の話です。

 

 

 

 

 

とあるアーティストは、大勢の観客を前にして、“自分を好きでいるなら、節度を守れ”と叫んだところ、それ以来、ファンを名乗る人々は“好きな人に恥を掻かせてはならない”という意識付けができたと聞きます…コレ、全ての分野で通じる話です。自分が“背負ってるモノ”が如何なるモノであれ、その評価が決まるのは、自分の立ち振舞いそのものであり、その印象だけで、人は物事を判断する材料にします…その意識が乏しい人ほど、YouTuberでも“常識外れ”な行動を取りやすいです。しかし、それを嬉々として見てる我々はどうでしょう?自分の価値観云々ではなく、まず、“人に誇れる振る舞い”ができてるかどうか、意識して見てはいかがでしょう…相手を敬う事は、ひいては自分自身を敬う行為であり、その真逆は、自分はもとより、自分に関わった全ての組織や、好きな物事全般の評価を下げる元凶となりかねません。