迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

財政とインフラ整備の板挟みな話…

まず先に、今年の台風15号、および19号で被災された方にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方に哀悼の意を表します…今回の場合、特に農作被害が尋常ではない件に関し、同じ農家の者として、非常に心を痛めてます。

 

 

 

 

さて…今回は前回のネタで、地方自治体が抱える共通問題の“インフラ整備”と、防災意識は時として、“二律背反”な話になりやすい件について。北陸新幹線長野車両基地が水没して、ツラちゃん…もとい、E7(W7)が一部廃車になる事態となってる訳だが、コレに関して色々意見が散見されるものの、明確な決定打、解決策は残念ながら“存在しない”としか言い様がない。なぜなら、交通網整備事業や通信環境、利水・治水事業の多くを“税金の無駄”と言って切り捨て、財政改善策ばかり求めたからこその“結果”として、甚大な災害が起きた途端に生活基盤そのものも潰された訳であって、それを“選んだ”のは“自分自身”だという自覚そのものが、国民の意識に全然ないから、ついつい政府や自治体、挙句は警察や消防、自衛隊のせいにして文句垂れる訳である。だったら、もう一回社会科…主に近代・現代史と地理、公民を履修しろやと小一時間(ry

 

それはさておき、インフラ整備と防災がなんで二律背反になるのか?その根本原因を精査すれば、“何のための開発整備”という概念に、ズレがあるからこそである。つまり、都市部と田舎で“モノの価値観”そのものが共有できてない事が根底にあり、また、土地開発事業の多くは、旧来の集落住人に対し、立ち退き(移転)も含めた協力が不可欠だからである。しかも“開発反対”の理由が千差万別で一概に言えないから、非常に厄介なのである。

 

もっと言えば、防災のために移住しろと役人に言われる事に対する反発の多くは、“自分に無関係”という認識があって、しかも居住地が現行の地に、先祖代々から住んでて家督を継いだとなれば、その意識故に“ナンデヤネン”ってなる訳である。

 

しかし…物事を冷静に郷土史を精査したり、土木関連学を調べ直すと、自ずと行政からの指示に納得できる話であり、また、計画の内容に意見する事もできるようになる。何故なら、過去の地名の由来や河川(治水)自行の変遷、更には物流に関わるインフラ整備の多くは、地形や地質的特性を活かした上で計画されているからであり、高度成長期において、そこんトコを無視した開発が行われた事情として、急速な戦後復興を求めたが故の弊害が、今頃になって…正確には老朽化による脆弱性が露見する様になったに過ぎないからである。つまり、開発事業の一部は、既存の設備では対応し切れないほど老朽化していて、更新を行う必要性があっての話だし、その為の公共事業を“税の無駄”として切り詰めた結果、憲法が保障する国民の財産保持と生存権が蔑ろになる事態に陥った次第である。もっと言えば、国民自身が目先の金銭問題のみで騒いだ結果、国として保障するとした全てを“無駄”と言って廃棄を求めたのは、皮肉な事に国民自身なのだという、民主国家故のジレンマが見え隠れしてる訳である。

 

 

 

 

 

 

 

ここを踏まえた上で、オイラ流の暴論を言えば、土木・建設業が活況じゃなければ日本の経済そのものがオワコンだって事になる…つまり、公共性に高いインフラ事業を国が発注しないと、土木従事者の人材確保もできないし、品質の良い建設部材を仕入れる事も、新素材を開発するにも、更には原材料となる資材や作物を供給する事も“できない”って話であり、土木以外の職種なら引く手数多といっても、特殊技能が必須だと、結果、それ故に費用がかかる…主たる収入源が枯渇してるのに、賃金を上げられないと言い訳すれば、当然、誰もやらなくなる…といった悪循環を繰り返すだけである。しかし、それを“望んだ”のは国民自身…社会科を疎かにして、暗記や一夜漬けを美德にしてきた教育の堕落による結果であり、不平不満を役人や政治家に言ったトコで、何の解決策にもならない。むしろ、この機会だから、一度腰を据えて、社会科全般を学び直すべきではなかろうか?