迷馬の隠れ家 はてな本館

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“正義感”の罪悪

大阪・住吉区で発生した小学生女児誘拐事件は、思わぬ格好で解決した訳なんだが、犯行理由を聞いた途端、ちょっと厨二病を拗らせたなとしか思えなかった。やった事自体は許されぬ話だが、その“発端”が“正義感”という感情であるなら、完全に人生詰んだ状態…完璧を求めた結果が、ちょっとした失敗や屈辱がきっかけで、自分自身を見失って“犯罪に手を染めた”訳である。当人は“正義”の名の下で起こした行動でも、他者から見たら鬼畜な所業でしかない。が、気持ちは解らなくはない。

 

 

 

 

 

では“正義”という概念の正体とは?あくまで端的な答えでしかないが、一言でいえば“自己満足なお節介”という事である。裏を返せば、“誰かの役に立ちたい”からこその行動力であり、他人からの評価で有能性、優位性を誇示したいからの感情とも言える訳で、その“対象”が誰なのかで変わる訳である。したがって、政府与党の“悪業三昧”を暴露して討伐する事が“正義”だとする概念も、野党の反社会勢力への関与を叩くことを“正義”と称えるのも、実のトコ言えば勝手論でしかない。もっとぶっちゃけると、どんな善悪も表裏一体の存在であり、一見不正のように見える行為でも、その影響がどう出るかなんてのは、一般的には“どうでもいい”訳で、不正を許すなと言ってる一方で自身が当事者となった途端、正当化しようと弁明するからどっちらけになる訳である。いうなれば、“こまけぇ事はいいんだよ、結果オーライなら”って訳で、その捉え方ひとつで正邪に分けるから、話の中身が拗れるのは、日常茶飯事な話になる。

 

今回の事件、そもそもは茨城県の女子中学生が家族に嫌気さして家出した事が発端にあり、そこに児童虐待が見え隠れしてると判断し、そこでSNSを通じて呼びかけて栃木県の自宅に“保護した”と容疑者は考えてる訳で、しかも“家族の下に戻りたくない”と勝手な解釈の下で監禁した訳であり、更に、女子小学生が母子家庭で,なかなか母親が自分に構ってくれないという事情を知った事で、拉致(当人は保護)に向かって、自宅まで連れ込んだ…ま、そこまでなら警察や当該自治体の保護機関に一報入れて事情を説明し、然るべき保護を受ける様にすれば、ここまでの大事には発展しなかっただろうし、そもそも自治体や警察の“民事不介入”という概念が、結果として育児放棄やDVの把握が遅れる要因になってる訳で、保護の遅れや発してるSOSに気付かずに対応が遅れるから事件に発展する訳である。

 

で、容疑者自身が社会に対する不信感と、プラスして“自己の正義感”に酔狂してるのと、厨二病あるあるな性癖(自分より若い、理想的な子を集めてハーレム化したい)に走ったからこそ、スマホを取り上げSIMカードを抜いたり、逃亡されない様靴やその他の所持品(財布や靴等)を捨てたり、部屋も外からしか開錠しないドアにして、監禁した…となれば、もはやその“正義感”は無意味であり、犯罪行為でしかない訳である。当然だが、本当に家庭内暴力から逃げる為に家出をした子を保護してるのであれば、さっきも言ったが警察や自治体の保護機関に一報入れるのがスジであり、施設が使えないとか、行政対応で不備がある場合にのみ、自宅での保護を申し出るのが手順となる。ここの部分は、自治体の関係部署が状況を掌握してる以上、事後報告になってもお咎めなしな訳で、そうじゃないから“犯罪”となる訳である。つまり、負傷した被疑者を匿えば、犯人隠避で保護した人も逮捕されるが、その前に警察から情報があったり、救急車呼ぶまでの間応急処置を施すなどをやってたなら、事情聴取されても被疑者保護(というより、確保)に協力したとして、罪に問われない訳である。

 

 

 

 

 

 

むしろ、土地勘のない場所で、しかも素足同然の格好で交番探して逃げ出した大阪の女児の行動が勇敢で冷静だった方が驚愕であり、それで二つの事件が一気に解決した事を考えると、容疑者は“子供ナメ過ぎ”と言わざる得ないし、自分が掲げる“正義”が世間から“否定”された理由を理解する事はできないと思う。また、防犯カメラで“不可解な格好”をした女児が写ってたなら、その時点て無視するのではなく、警察に巡回を要請して保護する様促せば、もっと早く解決してた可能性はある。それが一つもできてない時点で、日本の治安は、相当悪化したと言わざる得ない。

 

教訓:メディアが流す大量な情報に惑わされ、自分の周囲に対する関心が薄らぐと、すぐそばで発してる“微細な救難信号”を受信できなくなる。犯罪は常に、自分のそばで起きると自覚せよ。