迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

三災七難は自分の意思で招くモノ…

年が明けて2ヶ月過ぎようとしたトコで、やっとこ更新ってどうよw ま、眼の問題もあって、Twitter以外の文章作成は、正直、しんどくってね…画面が白いと文字が見辛いんっすよ。(Twitterアプリはダークモードがあるんで、入力時でも眼の負担が軽いんだが…)で、ここんトコ、““radio talk”ってアプリを使って、音声コンテンツを配信してるんだが、(このURL は、radikoとラジニケの話…詳しくは、“まもまもの雑談ラジオ”でggrhttps://radiotalk.jp/talk/223941)こっちはもっぱら、競馬実況や放送の歴史などを中心に更新するんで、喋りたい事は限定した格好でやることにしてるんで、結果的に世相や難しい話は、はてブに集約すべきと踏まえ、こっちはコレで気まぐれに…

 

 

 

中国・武漢が発症地となって、東アジアを中心にパンデミック状態になってる、新型コロナウィルス肺炎…既存メディアが過剰に煽るから混乱するのであって、冷静に考えると、心理的要因で単なる風邪だったのが大事(おおごと)になってると踏まえれば、家でゴロ寝してれば無問題であり、免疫力がない乳幼児や体力が低下してる高齢者、免疫に問題を抱えてる基礎疾患持ち(所謂生活習慣病で病院通いしてる人と妊婦)でなければ、感染しても発症しないし、もし発症しても、インフルエンザより重篤化するのは稀と考えた方がいい。実際、コレで肺炎になってる人でも、主たる原因は免疫力と体力の低下であり、病院や学校での集団感染とて、件のクルーズ船における初期対応のマズさを踏まえれば説明がつくし、中国への渡航歴がない罹患者も、それが集中してる地域に共通してる部分を洗い出せば、自ずと要因が見えてくる。つまり、素人判断といえど、原時点で手に入る情報を精査すれば、現行の防疫関連の法整備や対策が何もできてないから対策が後手に回るし、“究極の選択”を真面目に取り組めば、人権侵害は免れない…ただそれだけの話であり、故に為政者は責任の所在の都合で狼狽えるのである。(だからトンデモ論が飛び交い、余計に混乱する訳である。)

 

日蓮仏法でよく出る言葉である“三災七難”…主に立正安国論で出てくんだけど、この言葉、その最大要因は“人心の乱れ”と指摘してる訳で、今、世界中が大混乱してる根幹も、この教えになぞれば、確実に人々の疑心暗鬼が如実に吹き出した所業とも言える訳である。ちょっとした事なのに、侮蔑される事を恐れ、危害が加わる事を避けたいが為、本来であれば素直に話すべき事案であっても、相手の心根にある闇を勘繰るあまりに沈黙を選ぶ訳であり、その結果、大惨時を招くと、その“責任”を他人に押し付けようとして逃げる…この繰り返しが積もり積もればどうなるか?そこには悲劇以外の何もない。

 

つまり、世間に対して嘘をつくのは、一方では卑怯で裏切り行為に感じられるが、逆さまにすれば、“素直に聞けない”天邪鬼な一面を、誰しもが抱えてるからこそであり、純粋無垢で相手の話を聞き入れらる性分でも、それが相手に通じるかどうかは不確定。だから、経験則からの判断力と即応性が、指揮官に求められるし、臣下もまた同じであらねばならない。もっと言えば、情報に流されるのではなく、今、自分自身で対応可能な物事をやれるかどうかを、自分自身で決めると同時に、他人から過去の失敗事案や対応の悪さを罵られても恐れない勇気が試される。その為に生じる厄災であり、甘んじて受け入れられるかどうかで結果も変わるのである。

 

一過的な恨み事は、その瞬間は心身ともに深く傷付くし、場合によっては現存の命をも奪われる。しかし…こんな事は永続的に続かないモノで、、恒久的な禍根となるかは後世の人々が判断する事であって、現在進行形の勝手な価値観で答えを下すのは間違いである。逆に、当時の判断としては“正解”であっても、俯瞰した時に途方もない因縁となる事は、歴史を精査すると多々ある訳で、それを知って今さら当事者を責めても意味がない。恨み辛みが晴れたとしても、確実に心はモヤったままだ。それが結果として、“何”を生み出すか?

 

 

 

 

 

要は、今回のタイトルの主幹はここであり、自然災害や異常気象、土壌や水源の汚染による農作物被害と、それに伴う食料需給の低下や飢饉、衛生管理の不備や健康管理を無視した就労を課した結果による感染症蔓延と、治癒を急ぐあまりに過剰摂取による薬物中毒、その注意喚起を聞き入れるだけの冷静さと余裕を失い、騒ぎに惑わされるうちに判断を誤り、他人を責め、弱者を邪険に扱う様になれば、三災七難の役満となる訳であり、更に人類の恒久平和から遠退く事になるでしょう。それを望むか、あるいは踏み止まるかは、誰のせいでもなく、一人ひとりの考え方と選択肢次第です。