迷馬の隠れ家 はてな本館

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俗にいう“新興宗教”についてw

ま、創価学会も歴史は長いが、既存の仏教や神道等に比べると、まだまだ歴史は浅い。(とはいえ、日蓮仏法の信徒としてカウントした場合だと、700年以上の歴史があるんだが…w)しかし、昨今の新興宗教には、本当の意味で“宗教”というモンを勘違いしてるバカな“教祖”が多い事でw そもそも宗教は、その起源となる哲学があり、それに基づいた教義が存在する訳であり、その“解説”として、神話や寓話が存在する訳である。したがって、八百万の神々や菩薩達等は、各々の宗教の教義を、よりわかり易くする為の“イメージキャラクター”という概念で捉えるのがスジであり、それらが人間の姿を模しているのも、そもそもは人間が内面で持っている生命観を具体化したモノだからという訳である。

ところが、俗にいう“カルト教団”の類には、そこんトコを誤解してるバカが多い訳で、教祖が“神の化身”だの、“仏菩薩の権化”だのと宣ってる様では、本当に宗教活動をしている信徒達の迷惑であり、真っ当な宗教団体すら“カルト教団w”扱いされかねない。つまり、“教祖”と名乗っているヤツ自身が、宗教そのものに関して“無知”過ぎるがために、他宗派までも大迷惑を被っている訳である。
ちなみに、日本の新興宗教の類は大まかに分けると、神道系と仏教系、そして外来宗派系(キリスト教イスラム教等を基軸とする宗派)に分類できる訳であり、創価学会は仏教系(当然、日蓮信徒系)であり、天理教やPL教等は神道系、モルモン教統一教会等は外来宗派系に分類できる訳である。立宗(開眼)のきっかけはともかく、こういった新興宗教でも、一応は基本となる哲学があり、それに伴う教義も存在する。そしてそれらは、異口同音に“人類の安穏と繁栄”をどうやって実現すべきなのかを、様々な視点で説き明かしている訳である。
ところが、いわゆる“オウム事件”以降、新興宗教を名乗っている団体の、その殆どが“いわくアリ”な紛いモンが含まれているモンだから、厄介な訳である。ま、実体のない“宗教団体”ってのは、その殆どが資産家の脱税目的(宗教法人は、法律で納税が減免されている為)の“ダミー”であり、活動実態が無いのが普通であり、信徒がいて、尚かつ具体的な布教活動がある場合、登録のある自治体でも、詳細な把握が困難な場合もある。(オウム心理教によるサリンVXガステロは、宗教法人としての許認可を下した東京都自身も、実は把握し切れていなかった。)
今回、問題になっているRとかKとかの団体も、ぶっちゃけ、オイラから言わせればオウムと同じ匂いがする。つまり、“教祖”は絶対的な“王様”であり、信徒はそれに付き従うべき“手駒”である…昔ながらの主従関係を、無理矢理押し付けているやり方は、まさに“独裁政権”そのものであり、信徒となったばかりに、ほぼ“奴隷扱い”といったトコだ。こういう事を、“修行だから”とか、“懺悔の意味で…”とか、後ろめたい理由付けで縛り付ける様な団体は、およそ“宗教団体”とは言えない。上層幹部も下級信徒も関係無く、宗教哲学に基づいて社会貢献をやっていくのが宗教の“本来の勤め”であり、教祖を名乗る最高幹部が、末端の部下を無碍に扱う様な輩では、“民衆救済”などできる訳が無い。まして、“霊視”とか“予知能力”なんて類は、実際に使えるとしても、それを宗教の“目的”にしてはいけない。何度も言うが、“民衆救済”という大義名分の下で、必要なのであれば使っても差し障りは無いのだが、それをもって“俺様エラいw”とふんぞり返ってる様な態度は、結果として宗教をバカにしてるのと同じである。オイラの“特異体質w”だって、Blogのネタとしては面白くても、信仰と関係ないモンであるなら、自らの意志で“封印”するのがスジ。それも知らずに“宗教”を語るなら、まずは自分の祖先達に頭を下げる事から始めろ…って訳だ。