迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

日本で自然再生エネルギーが定着しない理由…

浄土真宗本願寺派の僧侶が、檀家の減少による収入減を補うために、テラエナジーという電力会社(現時点では販売のみ)を立ち上げたという話があったんだが、基本コンセプトに関して、かなり大胆な挑戦をする意気込みには拍手はするものの、問題は、“自然再生エネルギー”のみで発電した電気を売るという部分…大凡は太陽光とバイオマスがメインでという話になるんだが、日本では大規模発電でそれをやるには、ちょいと“不向き”であることを理解した上で原発反対を掲げてもらわないと困る訳であり、そこんトコの説明を省くと、今回の話から逸れる事になる。

 

では、日本で“自然再生エネルギー”がなかなか定着しないのか?その一番の要因は、様々な“利権”が絡むからであり、また、そういう部分でのいざこざから来る開発の頓挫が、喫緊の課題なのに遅々として進まない一因になっている訳である。

 

根本的な問題として、様々な選択肢があっても、日本人の思考は基本、“単一規格・単一概念”である方がラクなトコがあって、故に“自然再生エネルギー”という概念の選択肢に対し、太陽光と風力ぐらいしか思いつかない人が多い。そのため、東日本大震災による津波が原因で福島第一原発が事故った事を受けて、太陽光発電パネルや発電用風車があちこちで、しかも厳密な地質や環境アセスメント等の調査もないまま急造していったモノだから、台風や長雨による土砂災害や暴風による影響で、次々と太陽光パネルや風車が潰れただけでなく、太陽光の場合、一度設置して太陽光に晒された状態になると、完全遮光しない限り発電し続けるため、破損したパネルを除去したくても、周辺に漏電してる状態になっていて、現場に近付く事もできないという、お粗末な話が散見された。また、集光率を高める目的で急斜面な山肌に、しかも無作為に設置してる事が多く、地盤が緩んで地滑りを起こすと、施設そのものがそのままスライドして近隣住宅地や高速道、線路を飲み込む事態になっていた。(事実、山陽新幹線の一部区間で、西日本豪雨と台風21号による地滑りで、線路脇の斜面に設置してた太陽光発電パネルが流入し、運行に支障をきたした件で、設置を許可した神戸市が、杜撰な施工業者相手にブチ切れた)

 

本来、自然再生エネルギーとして日本で注目すべきは、実は“地震大国”だからこそ湧き出る温泉を活用すべきなのに、なぜかここに手を付けない…その“理由”はすごく単純で、機器のメンテナンスが、他の発電方法と比べて“面倒”だからである。というのも、日本の温泉の多くは、塩化物(特に炭酸カルシウムや塩化ナトリウム)を大量に含むため、噴出時の高温が維持できたとしても、およそ数日で配管が動脈硬化の如く詰まる…有馬温泉の源泉でも、最低1週間に1度は全部の配管を交換しないと供給量を維持できないとされるため、これを発電施設で繰り返すとなれば、その度に発電を止めなければいけなくなる。これがすごく大変なのである。仮に、箱根の大涌谷に大規模な発電施設を作ったとした場合、強羅に排熱水を“温泉”として供給することは維持できても、発電用蒸気タービンに硫黄を含んだ塩化物が付着し、数日で使い物にならなくなるのは想像に硬い。また、単純泉(塩化物を含まない、いわゆる鉱水)であっても、日本の温泉の基準では、湧出時の水温が25℃以上あれば“温泉”と定義されるため、中には水温が低過ぎて発電に適さない源泉もある。ここを踏まえた上で温泉による発電を行うには、(国立公園として保護してる区域もあるため)厄介な問題を解決させなければ無理である。

 

バイオマス発電に関しても、基本は火力発電の燃料が化石燃料から切り替わるだけの話っぽく聞こえがちだが、問題は燃料供給のために起きる“矛盾”を理解してないと無意味である事…つまり、林業従事者のQOLの向上に繋がるのであればともかく、“安価な燃料”として間伐材や材木屑を大量に要求する様では本末転倒であり、また、メタンガスや排熱を利用する目的のみでサイレージ施設を改装するのも間違いである。バイオマスの本意は、あくまで“副産物の再活用”であって、食糧残渣や家畜の糞尿を発酵させて作る肥料の“副産物”としてメタンガスが発生する訳であり、更に発酵熱が生まれるのであり、そこを“再利用”する術としてやる分には、問題として気にする必要はない。当然、発酵技術によって燃料用アルコールや“バイオガソリン”と呼ばれる物質を作るのは結構な事だが、その“後処理”を考えて開発しなければ、結果として大気や土壌、河川(飲料用水)の汚染に繋がる。

 

革新的な技術があっても、その“欠点”のみを突いて潰す以上は、自らが責任を持って不便で窮屈な生活に従事せざる得ない。それを他人の所為にする時点で、無責任な話であり、それこそ“他力本願”の本意を履き違えた概念である。“他力本願”ってのは、自分ができる事全てをやり尽くした上で、それでも足りない部分、届かない部分をどうにかする為に協力を呼びかける事であり、手助けしてもらう事を指す。故に、単に他人に依存する事ではない…それが理解できない人程、言葉の意味を履き違えるのであり、故に哲学の多くが意図して歪むのです。

 

 

昨今の野菜ジュースは侮れない

今週のお題「最近おいしかったもの」

↑って訳で、以前の“トラBAR”感覚でネタを一本…w

 

 

市販の野菜ジュースと聞いて、皆さんなら速攻で、何を思い浮かべます?ド定番のトマト?フルーツミックス系?通販型チルド?乳酸菌配合粉末青汁?ホント、最近は種類や味が豊富で、目移りしますが、昔と違って、多くの製品は、いわゆる“野菜特有”の青臭さが少ない製品が主流でしたね。この背景にあるのは、ジュース用に品種改良された野菜が増えた事や、製造工程が大幅に変更された事などが要因として挙げられるかと思います。また、原料の品質が良くなったという事は、即ち、今までは何で青臭くて飲み難いモノだったのかを考えると、結局は原料である野菜の栽培方法の技術革新があったとみなすべきでもある訳です。

 

現在発売されているマトジュースは、大手メーカーの製品だとジュース専用に開発された、市販の生食用より小振りで、実のしまった感じの品種が使われています。これは、製造工程の際に加熱して、余分な水分を飛ばす時に栄養素の一部(特にビタミン類)が、どうしても抜けてしまうからです。これを少しでも残存させるために、わざと生食ではエグ味やクセの強い品種を使う事で、余分な添加物(抜けた栄養素)の補充をしなくても製造できるのです。しかし、それゆえの弱点として、どうしても青臭さが残ります。だから、他の野菜とのミッックスジュースにする場合、臭み消しと風味を和らげる目的で、レモン汁やリンゴジュースを混ぜる訳です。

 

これが、各地のJAから発売されてるトマトジュースの場合、多くの場合は生食用のトマトを流用してる事が多く、最もポピュラーな品種は“桃太郎”という、エグ味が少なく大粒な果実になるモノが使われてます…ただ、コレの欠点は、大きな実であるが故にジュースにすると水っぽさが目立ちます。だけど、飲み易さという点だけで言えば、JAのトマト産地生産ジュースの方が、生食用の消費を目的にしてるだけあって、変な雑味がないのが特徴といえます。

 

他の野菜ジュースで、昨今目にする様になったのは、ニンジン…セロリやミツバと同じセリ科の植物であるが故に、子供の頃は苦手だった人も多いのではと思いますが、最近の西洋ニンジン(横向き失礼…オグりんが咥えているコレ↓)

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は、皮も薄くセリ科特有の青臭さも少なく、甘味の方が強いため、生でも美味しく食べられるモノが多いです。また、トマトやパプリカと同様に、カラフルな色合いの品種も出回っているため、同じニンジンジュースといえど、色以上に味も違う。

 

しかし、野菜ミクスジュースは今でも、青臭いモノがあるが、それをフォローするミックス素材として、レモン汁やリンゴジュース、昨今ではマンゴーが使われている。その原点は、オイラの記憶が正しければ、ヤクルトから出てた“きになるヤサイ”シリーズ…当時は3種類あって、シトラスセロリ(オレンジとセロリ)、パインキャロット(パインアップルとニンジン)、アップルトマト(リンゴとトマト)があったんだが、正直、臭み等を消すために薄味過ぎて、中途半端だったw だが、これがのちにカゴメの“野菜生活100”シリーズ”の登場に繋がる訳で、いわゆる“濃い味”系のミックスジュースにシフトしたことでブレイクする訳である。そして、野菜のみでのミッックスジュースで革命的なモノとして、伊藤園から“充実野菜”シリーズが登場した事によって、より野菜摂取量を補ってる感が強い製品が、一般的に好まれる様になった訳である。

 

ちなみに…野菜のみのミックスジュースや、トマトジュースがどうしても飲み難いという人は、カップポタージュスープ(コーンよりもジャガイモや茸がベターだが、そこは好みでw)やコンソメで割ってみることをオススメする…そもそも、野菜ミックスジュースは中南米ガスパチョがルーツになってるトコがあるんで、どうしても材料に使われるキュウリやセロリの青臭さが目立ちがち…また、トマトジュースを使ったカクテルの中には“ブラッティブル”というブラッティメアリーをビーフブイヨンで割ったレシピがあるぐらい、スープの塩味や肉の旨味と相性がいいんで、それで慣らしていった方が、とっつきやすいと思う。また、ミネストローネの時短レシピで、野菜ミックスジュースと加工肉(サラダチキンやベーコン)、水煮豆(最近はミックスビーンズとかがあるんで、それを活用)を一緒に耐熱容器にブチ込んでレンチンすれば、忙しい時間でもしっかり食べられる朝食が出来上がるw

GQ(ガーディアンクィンテット)の健・康・第・イチw 2018年10月号(スマホアプリでチェックチェック)

テ:ども、マーティです。
シ:皆様こんばんは、シンです。

テ:さてさて…以前、ボクが担当してた“まじプラ”を、ちょっと形式を変更して復活させるよって、マスターに連れられたんですが…なあ、シンちゃん、このタイトル、どう思うよ?
シ:(;´審`)=3ま、いつもの迷馬さんらしい洒落というか皮肉というか…w
テ:あ、やっぱりw


気を取り直して…気を取り直して…今回のテーマは、スマートデバイス…ま、スマートフォンタブレット端末に健康管理のアプリが、初期アプリとしてプリセットされてる事が多いかと思いますが、皆さんは活用された事がありますか?
シ:迷馬さんは現在、iPhon 8を利用してますが、この中にも、ヘルスケアというアプリが初めから用意されているのですが、これには、歩数計やランニング等で動いた距離、階段移動での昇降数を、自動的にカウントする機能の他に、Appel Watchに搭載されている心拍センサーと連動して、心拍数や転倒回数等も計測して記録することができる様になってます。また、オプションとして、血糖値や血圧、体温、血中アルコール濃度等、健康診断などで得られたデータをも記録することがカニ打になってます。
テ:つまり、継続して録っておきたい体調変化を記録できるってことだね。
シ:そうですね。迷馬さんも、今回の入院以降、血糖値のデータだけは、測定後に血糖値自己管理ノートの記載漏れを防ぐ目的で、使ってるみたいですよ…ただ、その時に使ってる“合言葉が…
テ:つまり、このタイトルにもかかってるって訳か…w

(削除注意…w)

 

シ:ま、そういうことですねw
テ:今回はiOSのアプリのみの話でしたが、Androidスマートデバイスでも、同様のアプリが存在してます。また、また、服薬の記録をつけ服用してる薬を記録する、“おくすり手帳”のアプリもありますから、これらを活用することで、嵩張る記録紙に悩まされる事は、ぐっと減るとは思います。しかし、あくまで電子媒体である以上、放電や機器のトラブルによって記録してたデータが、完全に消えてしまうこともありもあります。ですから、バックアップを常に行うことと、医療機関にかかる時は、常にそのデータの掲示ができる様、デバイスを使いこなせる様になってください。特に音声入力で記録してる場合、デバイスによっては正確に聞き取れないで誤訳することがあります。機械化で便利になるのは良いですが、それらが使えない時のためにも、アナログ的なそれらが使えない時のためにも、アナログ的な記録の付け方でデータを残すこともお忘れなく…dそれでは、また…お相手はボク、マーティと…
シ:シンでした…

血縁者であっても他人は“他人”

SNSで、真贋不明ではあるが、こんな話が流れてたw

 

学会員感覚で言えば、“折伏”を理由に他宗派…特に創価学会を排斥しようと躍起になってる宗教団体の長の子息が、“宗教的理由”から反抗して、組織から離脱してる時点で因果応報な訳であり、むしろ“正しく宗教を理解してんじゃん”と褒めてやりたい話であるw

 

宗教の本懐とは、どこまで行っても“心の拠り所”にして、正邪を見極めるリトマス試験紙的な存在である。故に、“来る者拒まず、去る者追わず”が鉄則であり、信心根本で組織に属する者であればある程、信仰心で意固地になるのはともかく、だからと言ってその“正義”を安易に振りかざすのは“邪道”なのである。言い方を変えると、他宗派・他民族の風習や慣例を頭ごなしに否定したり排斥する行為は、却って相互理解の阻害になるとされる。これは日蓮大聖人自身も、五重相対(ごじゅうのそうたい)をもって指摘してる部分であり、特に“内外相対(ないげそうたい)”は、自分の言い分が本当に“正しい”とするなら、他者の異口同音を参考資料として提示すべきであり、また相手の言い分が“正しい”と思ったら、自分の“正義”と照らし合わせ、差異がない事を認めるのが筋である…としてる。故に、“御書”の多くは、法華経のみでなく、多種多様な仏典や、儒教等の他宗派の哲学を引用し、法華経の行者としての生き様を説いている訳である。

 

これは何も、宗教に限らず、あらゆる組織内で言えた話で、外部の人間から不正や違法行為を指摘されても、それがどうして“いけない事”なのかがイマイチ理解できてない人に説教したトコで、その寸志を改められるのは稀であって、大概は内輪において“不正ない”として処理されるか、外部へ告発した“戦犯”を探して“晒し上げ”するのがオチである。しかし…そういう組織というのは、遅かれ早かれ崩壊するのが“お約束”であり、栄枯盛衰の理とは、まさにそういう“組織腐敗”そのものを指す。そして、その方向性が内部分裂によるモノか、外部・第三者に手によって粉砕されるかの差であって、どっちに傾いても悲惨な最期しかない。

 

栄枯盛衰の理は、もう一つの側面から見た時、決して“絶望的な状況”を指しているのではなく、様々な“可能性”が提示さてた上での“選択”であり、永続的に存在し続ける組織とは、単に伝統を守るだけでなく、様々な“可能性”に賭けて挑み続ける姿勢を決して崩さない…だから、一時的に経営難になろうが、次期指導者不在から空中分解しかけたとしても、必ずそこから這い上がって、再び存在感を示すことができる。任天堂が海外で畏怖の念でゲーム業界に君臨し続けられるのは、人気コンテンツを有してること以上に、他の業種から見ても、企業としての歴史が連綿と続いてることが大きい訳である。地味に歴史がある企業ほど、単に古い技術を維持してるのではなく、そこから生き残りを賭けて、様々なことに挑戦している…もちろん中には、それ故に業績悪化したことがあっても、それで元の組織が潰れたとしても、必ずその関係者が威厳を復古させるために躍起になって、故に大成する…一過的な“失敗”を攻める人が多いが、それは以前にも言った様に、他人だからこその“嫉妬”でしかない。嫉妬に狂う人程、他人を貶めるために躍起になって、自分自身を向上させようとする気がない…いわゆる“現状維持”に甘えて、鍛錬や研鑽を怠った姿こそ本物の“敗北者”であって、それを認めることができないからこそ、自分より優れた才覚者を、自分より若い実力者を、過去の栄光や経験、安いプライドを振りかざして脅すのである…だが、弱肉強食の理は、自分の現在進行形での“立ち位置”が間違っている時点で逆転するのであり、仮に自分が得意とする分野で傍若無人を働いても、それが通じるのはその分野のみであって、他の分野が疎かであれば、故にボロカスに批判されるのは当たり前である。

 

だからこそ、“外に出て反抗する”ことも、“組織内で担がれる”ことも、自分自身が冷静に、自由に対して責任が持てる以上は、自分の意思で選べる訳であり、他者がそれを批判し、侮蔑して見下すのであれば、故の報いを“当事者”が受けるだけ…さて、いつになれば人は、自分自身がやってる功罪に対し、素直な気持ちで認めてやることができるのやら…

いかなる侮辱・いじめも、嫉妬が根本的要因。

角界の一連の騒動にしろ、社会に溢れる各種のハラスメント(虐待行為)にしろ、その“根幹”にあるのは、生物的本能としての“弱肉強食の理”と、他者に対する自分自身の精神的…というより、無意識のうちに芽生えた“嫉妬”が、結果として“最悪の事態”に転じてるからこそ問題なのであり、如何様に対策を講じたとしても、避けて通れないし、むしろ“自然の成り行き”である。しかし、先に申し上げた通り、それはきちんとした“理由”が明確な分だけ、変に意識することで拗れるのであって、自分が犯した行為に対して、素直に結果を受け入れ、反省できるならまだしも、そこんトコを避けて通ろうとするから、余計に問題は深刻化する訳である。特に“異国人だから”という理由だけで無差別に相手を叩く行為は、国交問題に限らず、様々な“人権侵害”を引き起こす原因になる。

 

そもそも、様々な“いじめ”の根本要因は、すべて個人的な“嫉妬”から来る訳であり、一部の感情に絆されて、自分自身が“標的”にされたくない人程、周囲の目を過剰に気にする訳であり、その是正を施すには、自分だけで解決できる範囲と、周囲の協力を必要とする部分の“見極め”が不可欠である。“自分でやるべき事”を全部他人に丸投げしたり、“他者との協力”が必要なのに断る様では、いつまで経っても問題が解決しないだけでなく、更に深刻な問題に発展することもある。しかし…それが“逆転”している背景にあるのは、結局のトコ、“人間不信”という根本的な迷いから来るトコが大きい。

 

つまり、“嫉妬”の多くも、所詮は相手の存在を認めることも、信じることも“できない”からこその拒絶なのであり、自分の存在が埋没することに対する恐怖と、だけどどこかで秘匿にしたい自我…つまり“恥”を世間に掻きたくないからこその臆病さが、そこに存在する訳である。故に、自分が犠牲にならない限りは、どんな虐待事案も“他人事”であり、無意識に加担してる時もある訳である。それがいざ、自分の身にも降りかかる厄災となった途端に“被害者”として振る舞うから、余計に悲惨な訳である。

 

夕方のニュースで、吉村大阪市長が、サンフランシスコ市との姉妹都市提携を解消した件で、相手側が“反論”を述べた様だが、オイラからしたら、誘拐からの強制労働での性奴隷と、職業選択の自由の下でやってる風俗嬢を一緒に語るなって言った上で、様々な意味で“事実無根”な従軍慰安婦の存在を誤認してる事で、中国や韓国による国際的な“日本叩き”の正当性を裏付けてる行為であり、ひいては女性の人権侵害を、国際的に肯定する行為だと訴えてる事に気付くべきであって、その“戦略”に、欧米的人権感覚でまんまと引っかかったから“提携解消”とした訳である…簡単に一言で片付ければ、今のままだと“話にならん”から絶交すると、大阪市民を代表して言ってるのであって、市長個人の意見で言ってる訳じゃない。そういう事を知らずに反論を述べてる時点で、国際人権擁護都市を銘打ってる長として、“人権擁護”なんて“嘘だ”と自ら宣言してる様なモノである。

 

民族間差別とて、元々は共同生活の為に割り当てた役割分担であって、そこの意味合いを履き違えたり、勝手な価値観で相手を侮辱するから拗れるのであり、本質的な才能なんてのは、本人の努力次第でどうにでもなる部分と、ある種のハンデがある加減で無理な部分がある事を、キチンと認識して選ばせるのがスジであり、教育の基本でなければいけない…のに、その肝心な部分を無視して今日まで来てるから、なかなか修正できない上に、意味合いそのものも時代と共に変化して、最早狂気の沙汰でもみんな気付かないまま、問題そのものが余計におかしな方へ向かう訳である。

 

今までも繰り返し、このBlogでも訴え続けてるが、犯罪を起こしてるのは犯罪者個人であって、国籍や民族、趣味や嗜好等が“同じ”だからといって、事件との関わりが全くない人を巻き込んで叩く行為は、如何なる場合でもやるべきではない…特に、角界での一連の暴行事件自身、組織的隠蔽体質は糾弾しても、だからと言って他の分野で活躍してる外国人を叩く筋合いはない。そして、ヲタク・腐女子(ロリータ含む)を“犯罪予備軍”と叩いた以上は、自分の趣味が他人から変態呼ばわりされて虐められても、反論すべきではない…それだけの罪悪を他人に対してやってきた“代償”であるからだ。もし、そういう“理由”で叩かれたと騒ぐなら、一呼吸置いてから騒げ…“自分”の事を信じ、支えてくれてる人々を、自らの感情のみで裏切ったら、それこそ侮辱してる相手の思うツボであり、余計に自分が、そしてその周囲が傷付くだけだ。それに侮辱する人程、自分より”弱い”と思った相手以外に手を出さない“臆病者”です。だって、自分が危険な目に遭う事が怖くて腰が引けてる根性なしですから…w

 

鉄道の今後を考える…公共交通機関の“あるべき姿”とは

先に結論ありきな話は、今回の場合はやるべきではないのだが…ただ言えることは、公共交通機関は全般的に、“民営だけ”では経営が不可能だということと、だからと言って“公営”でやるには税負担の問題で衝突する可能性もあるという事だ。前者に関して正確に言えば、交通輸送部門のみでの運営は、旅客だけでも、貨物輸送のみでも、必ず“破綻”するという事。後者に関しては、沿線住民の“相互理解”が不可欠であって、そこんトコがうまくいってない限り、どんなに話し合いの場を設けたとしても“時間の無駄”になる。

 

では、日本の鉄道網…一般的にJRグループの路線は、如何にして全国に路線網を持つことができたかという根幹的な事を言えば、普通の人であれば、教科書通りの答えしか理解できないかと思うが、鉄道の歴史に造詣が深いヲタクであれば、結構鋭い視点で理解可能かと思う…というのも、国鉄時代からある“赤字ローカル線”と称して廃止対象になってる多くの地方路線は、その実は元々、資源鉱山や山林、工業生産の拠点と主要都市を結ぶ民営の物流用軽便鉄道が国に買い上げられた路線であり、また、周辺住民も通勤や買出しなどで利用することも多かったから、旅客も取り扱うようになっただけの話であり、元来の目的は貨客兼営こそが望ましい運用形態なのであり、むしろ“本業”は貨物輸送全般の定期運行であった訳である。

 

だから、昔…そう今から45年ほど前までは、殆どの貨物輸送は、国鉄による貨物列車による陸送が一般的であり、故に北海道や四国、沖縄への輸送は、本州よりも時間がかかった訳である。これをどうにかするために考えられたのが、本四連絡橋と青函トンネルの建設であり、そのきっかけこそが、洞爺丸台風という“自然災害”による交通障害である…洞爺丸台風の件は以前解説したんで割愛するが、瀬戸内の場合、別の理由があって瀬戸大橋や明石海峡大橋などが造られた訳である。それは、狭い内海での船舶の往来が頻繁で、連絡船の本数を増やせない事情があったのと、地盤的にトンネルを掘削するには軟弱なトコがあって難航が予想されたからである。

 

それはさておき、大都市圏を走る民間鉄道の多くはどうだったかと言えば、実は法律の“抜け道”を逆手に取って敷設されたモノが殆どで、関西の大手私鉄のうち、“鉄道法”に基づいて敷設されたのは、現在でいうトコの南海と近鉄南大阪線系統(吉野線とか道明寺線、長野線など)であって、それ以外は元々、“軌道法”という別の法律によって“路面電車”として開業してる訳である。つまり、阪急や阪神、京阪、近鉄の基幹路線(大阪線奈良線など)は、元々は阪堺同様にチンチン電車として運用してた訳であり、のちに沿線開発などが進んで、利用客が増えた事を受けて高規格鉄道に“格上げ”して運用してる訳である。(今年民営化した大阪メトロも、御堂筋線以外はほぼ、大阪市営時代に開業した路面電車路線が地下鉄に移行しただけの話で、その理由は、戦後のモータリゼーション化における交通麻痺を解消する狙いがあった。)

 

ただ…路線網が大きくなればなるほど、その沿線の開発は、利用客増加に不可欠であったからこそ、いわゆる“阪急モデル”と言われる都市開発事業が、民営鉄道の肝となり、故に各鉄道会社による沿線地域の宅地開発が盛んに行われた訳である。それができなかったのが国鉄…つまりJR各社の“弱点”だった訳である。そもそもは、“官営事業”として物流を国で一括管理しようという名目で、多くの民間運営の貨物路線を税収で買い上げ、ついでで旅客も扱ってた訳だから、本筋であれば沿線開発のメインは官営工場や官営鉱山の物資輸送のための周辺整備に集約されてた訳であり、だから、路線によっては一駅あたりの区間距離が、都市部でも徒歩では30分以上かかるトコがある訳である。

 

だからJR東日本は、分割民営化後に真っ先に取り組んだのが、新幹線沿線地域の都市開発であり、それが功を奏したから、さらなる開発が進んでる訳であり、東日本大震災からの復旧が、福島県内以外早かったのは、潤沢な資金が賄えるだけの収益があったからこそである。(福島の常磐線が遅れているのは、原発事故の影響…)更にJR九州が“三島(僻地)3社”の中で東証上場を果たせたのは、観光列車に特化したことよりも、福岡県内を中心とした沿線開発に着手したことが大きく、九州新幹線(熊本ルート)開業によって、今まで以上に熊本市が福岡市への“通勤圏内”に入ったことも大きい。しかし、JR北海道や四国には、そういった開発ができる主要都市や産業が乏しく、かつ、鉄道よりも高速道路によるトラック輸送の方が早いこともあって、鉄道網そのものがボロボロで、いつ“全線廃止”してもおかしくない状態である。(北海道は辛うじて、新幹線の札幌延伸という希望が残っているが、四国への新幹線乗り入れ計画自体、今の段階では立ち消え状態…)

 

 以上のことを踏まえると、今後、鉄道事業者の多くは、本業であるハズの鉄道事業よりも、不動産や飲食店などの多角経営で本業を支えるスタイル…先程も出てきた“阪急モデル”を踏襲した経営ができるかどうかが、生き残りをかけた経営方針になっていくと思う。その一環として、子育て支援も含めた福祉関連事業と、団塊世代が高齢化した事による“多死時代”となるからこその冠婚葬祭…特に葬儀関連事業に重点を置けるかどうかで今後の見通しが立つと思われる。だが、それはあくまで“企業経営”としての部分であって、本業を疎かにしてる様な鉄道会社は、いずれ“公共交通機関”としての体裁が保てなくなって廃業するでしょう…そうならない様に運営をしていくには、沿線自治体や国の助成は不可欠になるでしょう。それを“財政危機”とか“税収不足”を理由に行えないなら、交通インフラ崩壊による共倒れは、待った無しです。

はてダから引っ越しました。こちらは、メイン…本館になりますw

ども、まもまもっす…ようこそ、新装開店した“迷馬の隠れ家”本館へw

 

まさか“裏別館”と同じトコに開設するとは…っと思われたそこのあーた、簡単に説明すると、サービス統合による“弊害”ですw とはいえ、元々のBlog自体、これが2度目の引っ越しであり、そもそもはプロバイダが用意した用意したプラットフォームが廃止になったから、はてダに引っ越した訳であり、今回はサービスの統合によるモノであるからして、サービス自体は変更ないということなんで、面倒な手続きをやるのに時間を割きたくなかったのと、健康不安(というより、右目の視野がおかしくなって、現在も不安定)を抱えてるため、こっちでの“サービス間での引っ越し”ってことで…w

 

更新ペースこそ、体調面との相談な状態にはなるが、それでも継続していくんで、今後とも、ブロマガ同様にお付き合いくださいませませ。