迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

今回の感染症騒動について思う事。

こっちの更新がかなりご無沙汰だったのは、眼の病状が思わしくないのと、入力画面が見辛いからです…はてブアプリだと、文字が薄いわフォントが小さいわで使い勝手が悪いw ま、今後はこっちを廃止して、音声blog形式のRadiotalkへ移行しようかと。

 

 

 

それはさておき、未だ終息の目処が立たないCOVID-19ではあるが、アメリカのトランプ大統領と中国政府の態度を見てると、なんとなくだが、日本や欧州の意識に対して双方懐疑的、かつ、批判めいて見える。てのも、“嘘”を吐いてまで現状維持や旧態依然に拘ってるのと、そうしなければ世界の経済そのものが破綻しかねないという危機感から、結局意地張り合ってるだけだという事に尽きる。但し、答えが同じでも、その過程や政治姿勢が真逆なので違って見える訳であり、根幹的な部分では、民は救済を求めていても、それを国という組織として、あるいは国際社会上の宗主国として“身動くが取れない”故に、近隣他国に頭下げて救援を求めることすらできない。

 

特にトランプ大統領の行動は、アメリカ国民と医療機関、公衆衛生の関係機関に対して“中国と同じ嘘を吐け”と言ってる様なモノであり、、中国に対する事実上の“敗北宣言”と捉えた方が早く、かつ、だからこそ、資本主義国家として経済を回す上で散財と、今までの“普通の生活様式”に固執してると考えるべきだろう。

 

さりとて中国の場合、社会共産国家である以上、国民に対して箝口令や強制的な移動自粛を伴う行動制約を課すことができる反面、それに似合うだけの社会保障を行う為に、敢えて罹患者や医療従事者を切り捨てる。もっと言えば、北京や上海等の大都市圏以外はノーカン扱いにして、さらには反抗勢力の少数民族相手に“公衆衛生の観点”という名目で診療拒否を行なっている可能性がある。

 

つまり、感染症を口実にした民族間差別が横行してる可能性があって、それをトランプ大統領は羨ましく思ってるフシがある。

 

 

しかし…だからこそ世界中から米中双方が叩かれる訳であって、だから治療や予防のデータを共同研究の為に提示しろと要求しても、双方ともに“虚偽報告”しかできない訳であり、そこには世界中の民衆を救済するという意思が一つもない訳である…グローバル化を叫んでる割に、多様性、個々の尊厳など、彼らにとっちゃ“クソクラエ”な話である。もっと酷い言い方をするなら、グローバリズムは自分達に“都合の良い単一化”が是であって、それに適合しないなら排斥あるのみである…故、疾病に託けた“差別”を、アメリカは“否定”したいから行政のトップがアホな事を繰り返す訳であり、中国は“肯定”したいからこそ、未だに蔓延してても“罹患する奴が悪”として見做す訳である。

 

 

 

ひっくり返って言えば、自分の日常は“普通”と思ってる概念こそ、そもそもおかしい訳であって、地域や風土が変われば、それに見合うだけの対応をするのがスジであって、その意味や理由をきちんと把握した上で再考するのが理想であり、それが実現しないのは、“常識”という情報バイアスが掛かってるから理解不能なのである。

 

例えば、マスク着用のルールも、人混みが予測される場所や、そもそも呼吸器疾患やアレルギー持ちで大気汚染が気になる場合なら原則として着用すべきだが、野外活動で屋外にいる時や、楽器演奏でも吹奏楽器以外のアンサンブル演奏なら、場所にもよるが、フェイスガードもいらないと思う。逆に、合唱やフルオーケストラとなった場合、フェイスガードもさることながら、奏者同士のソーシャルディスタンスが不可欠。

 

それが“面倒だ”と思うなら、否…面倒で苦痛と思うなら、“自文が思う当たり前”を保持する為に、他人のと接触を絶った方がいい。誰とも関わらないままでいたなら、限られた空間であっても好き放題できるが、誰かとの接点を求め続けるのであれば、相手に対応を求めるより、自身の取説を開示した上で相手の条件と折り合いを付かせる方が賢明である。そう…自己完結できるなら、ボッチでも全部対処できるが、何らかの不具合があってそれが維持できそうにないなら、孤高を誇示して自ら断つか、侮蔑されても頭を下げるかの二択しかない…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ま、アメリカ国民も中国人民も、所詮“他人事”として政争をエンタメ化して見てるトコがあるからエエ加減な首脳が政権を獲る訳であり、それを良しとしてる為政者や官僚がいるから腐敗するのであり、自浄できないのは、そっちの方がラクだから…つまり、“現状維持”こそ“今まで通り”という概念こそが、今ある平和な社会が衰亡する一因だと捉え、いかなる相手であっても尊厳を持って敬意を払い、自らの精進鍛錬を怠らない事である…たとえ誰からも賞賛されなくても。

日本が感染症の流行が鈍い理由。

新コロ恨めしで政府批判を繰り返してる皆さん、欧米諸国が軒並み中国以上に感染拡大してる理由、わかります?日本人の性格上、責任問題で自分自身が他人から責められることを嫌うあまりに、トップダウンの指示に従順なのに対し、自己判断を優先にする為、政府や国際機関の指示に従わないのが、白人系社会ではよく見られる光景です。故に、全人種に対する人権尊重を国連がどんなに呼び掛けても、ブッチ無視して黒人の未成年相手に罪をなすりつけたり、イスラム教徒である事を理由に小売店への入店拒否をやったり、日本人である事だけを理由に違法薬物の密輸を手伝わそうとしたり…といった、欧米メディアでも事の真実を報じない“人権侵害事案”は日常茶飯事であり、WHOでは“COVID-19”って名称で表記しても、アメリカでは大統領自ら“Chjna CORONA"と堂々と罵る始末である。

 

 

 

 

ひっくり返った言い方すると、“無責任で臆病”だからこそ、日本での感染者数は(PCR検査を国民全員にやってないと言えど)1日あたり100人が関の山なのに対し、“全ての判断は自己責任”で法律をも無視する欧米人は、故に医療崩壊する勢いで大流行に至ってる訳である。これは何も、中国も他人の事を言えた義理じゃなく、新たな感染症が発生した可能性があると世界中の医療機関に一報を出していれば、ここまでの大騒動になる前に抑えられた可能性があるにも拘らず、それをしなかったのは、医療体制の不備や衛生管理の指導不足が露呈する事を嫌った結果です。ま、社会共済主義国家全てがこうだとは思いたくはありませんが、国際社会での情報公開を極度に嫌う事で、結果として大惨時になってる事が、全く勉強できてない時点でお察しです。

 

あくまでオイラ自身の独断と偏見で、日本の状況を分析すると、外出禁止令を出しても野外で集会する度胸も、クラスター(小規模集団)感染元になった場合の責任を取れない根性なしが多いからこそ、たとえおかしな要請(全国一斉休校とか、阪神間の移動禁止とか)が発動しても大人しく従うのが大多数であり、また、安全な水道が整備されてる事によって、流水による手洗いや定期的な入浴、こまめに洗浄ができて、更に定期的にゴミ(特に食糧残渣や使用済み衛生用品)の回収・加熱処分を行う事で、感染症の原因菌やウィルスをほぼ駆除できてるから、よほどでない限り、既存の感染症罹患で命を落とす事はありません。(但し、癌治療など、基礎疾患が原因で免疫力低下は除外)

 

欧米諸国でもある程度までは日本以上に衛生管理はできてるのに、ここまで酷い状態になるのは、全て“自己責任”の名の下で政府批判や抗議のストを繰り返してるからです。もっと言えば、公務員にまでスト権を与えてる国があるが故に、また、社会保障自体が存在しない国もあって、医療費が青天井なモンだから、おいそれと検査や治療を受けに医療機関へ行けない人が多いってのもあるんです。つまり、自分達に“都合悪い”と思ったら、法律の効力を相殺して行動する事が多い人々ですから、後先を考えずに目の前の結果のみで判断しがちなのです。ま、日本人とて、集団心理に飲み込まれると、後先考えず買い占めや弱者排斥に走る傾向がありますが…

 

 

 

 

 

現時点で言えるのは、良くも悪くも日本は“無責任で臆病者”で、且つ“集団心理に惑わされやすい”という性格が、感染症リスクを抑えてると考えた方がラクって事ですw ただ、故にどさくさ紛れに政府批判や悪質なデマが飛び交ってるのも事実であり、そこを踏まえて考えると、世間に疲れて自宅から一歩も出ない、引き篭もりニートが一番“賢い選択”なのかもしれません…この感染症に限っては。

明日から宝塚が再開するってよ。

新型コロナウィルス感染症の封じ込めとして、様々な興行や公的イベントが自粛する中、宝塚歌劇が明日より再開するというアナウンスが、公式から流れた。当然、この判断に対してはSNS上では炎上気味になってる様だが、コレもおそらく“折込済み”でやってるであろうと推測できるし、逆に批判してる連中は、まんまと“興行主の思惑”に踊らされてる様に、オイラには見えない。

 

 

 

一方では正しく見える判断も、裏を返した“本音”を読み解けないと、却って誤った情報を拡散させかねないのであり、それこそメディアリテラシー(情報考察力)が問われる話であり、選択肢は興行主ではなく、どこまでもエンドユーザー自身の判断に委ねるべきであって、関係ない者がツッコミを入れる筋合いはない…あくまで、選択肢を有してるのは、主催者・興行主ではなく、マニアやヲタクと世間から罵られている、一定の支持層自身です。

 

Radio Talk“雑談ラジオ”でも園田競馬の開催の是非について喋りましたが、通常通りに観客を入れてやったとしても、一定の支持層で、判断は多岐に渡って分かれるだけで、現場に長時間留まって競馬観戦するかどうかは来場者次第です。そして、多くの競馬ファンが、吉田神を思う気持ちから、一部の市民団体が今も企んでる思惑を回避したいからこそ、ファン同士で自粛を呼びかけ、兵庫県競馬組合もその時流に乗って“無観客開催”を実施してる訳です。当然、農水省の外郭団体であるJRAも、例外ではありません。仮に、政府要請をブッチ無視して開催を強行すれば、それこそ、管轄機関である農水省から“即廃止”を命ぜられますよ、冗談抜きで。

 

まして宝塚歌劇は、民間の組織である以上、運営して、収益を得なければ、現状での存続は無理です。この件に関しては、他の劇団や映画等の興行主も同じです。そして、経済活動の面から言えば、劇場や競技場周辺の小売店業や飲食店も、興行がなくなれば開店休業状態になるだけでなく、場合によっては閉店・撤退も考えなくてはなりません。確かに、感染後の潜伏期間が長く、発病しなくても感染力が強いとされる上に、ライブハウスや常設寄席クラスの閉塞空間だと、集団感染のリスクが高いのは理解できますが、現状では、“感染したら致死率100%”ではないですし、高齢者や免疫力が低下してる基礎疾患持ちでなければ、重症化は稀であり、予防も、インフルエンザ同様に、手洗いとうがい、咳エチケット(マスクがないなら衣服の袖で鼻と口元を塞ぐ)を守っていれば、ほぼ大丈夫ならば、過剰に構える必要もないのです。

 

それでも、感染リスクを心配するなら、仕事も放棄して、しばらく“家から出歩かない”という選択肢を、自分自身が取れば良いだけです。製造業だろうが、物流業であろうが、遠慮せずにどうぞ“仕事やめなさい”ですw マスクやトイレットペーパーを買い占める人は、そういう事でやってる人と思って正解です…ネットオークションで転売する目的での買い占めは、今後法律に則って罰せられますんでw 食糧も、生鮮食品以外の買い占めをやったとて、所詮、食べ切れる訳がありません。それこそ、食品廃棄ロスの主要な原因でしかありませんよ。

 

 

 

 

それに、精神衛生の面から踏まえると、自主的であれ外部からの強要であれ、変な規制や自粛は、却って免疫力が低下します。言葉的に変ですが、“好き”という感情から芽生える愛は、如何なる障りをも吹き飛ばす程の生命力を向上させ、免疫力をも高めます。それこそ“病は気から”です…既存メディアが騒げば騒ぐほど気が滅入るなら、それらの“害悪”を自らの意思で捨閉閣抛すべきです。

三災七難は自分の意思で招くモノ…

年が明けて2ヶ月過ぎようとしたトコで、やっとこ更新ってどうよw ま、眼の問題もあって、Twitter以外の文章作成は、正直、しんどくってね…画面が白いと文字が見辛いんっすよ。(Twitterアプリはダークモードがあるんで、入力時でも眼の負担が軽いんだが…)で、ここんトコ、““radio talk”ってアプリを使って、音声コンテンツを配信してるんだが、(このURL は、radikoとラジニケの話…詳しくは、“まもまもの雑談ラジオ”でggrhttps://radiotalk.jp/talk/223941)こっちはもっぱら、競馬実況や放送の歴史などを中心に更新するんで、喋りたい事は限定した格好でやることにしてるんで、結果的に世相や難しい話は、はてブに集約すべきと踏まえ、こっちはコレで気まぐれに…

 

 

 

中国・武漢が発症地となって、東アジアを中心にパンデミック状態になってる、新型コロナウィルス肺炎…既存メディアが過剰に煽るから混乱するのであって、冷静に考えると、心理的要因で単なる風邪だったのが大事(おおごと)になってると踏まえれば、家でゴロ寝してれば無問題であり、免疫力がない乳幼児や体力が低下してる高齢者、免疫に問題を抱えてる基礎疾患持ち(所謂生活習慣病で病院通いしてる人と妊婦)でなければ、感染しても発症しないし、もし発症しても、インフルエンザより重篤化するのは稀と考えた方がいい。実際、コレで肺炎になってる人でも、主たる原因は免疫力と体力の低下であり、病院や学校での集団感染とて、件のクルーズ船における初期対応のマズさを踏まえれば説明がつくし、中国への渡航歴がない罹患者も、それが集中してる地域に共通してる部分を洗い出せば、自ずと要因が見えてくる。つまり、素人判断といえど、原時点で手に入る情報を精査すれば、現行の防疫関連の法整備や対策が何もできてないから対策が後手に回るし、“究極の選択”を真面目に取り組めば、人権侵害は免れない…ただそれだけの話であり、故に為政者は責任の所在の都合で狼狽えるのである。(だからトンデモ論が飛び交い、余計に混乱する訳である。)

 

日蓮仏法でよく出る言葉である“三災七難”…主に立正安国論で出てくんだけど、この言葉、その最大要因は“人心の乱れ”と指摘してる訳で、今、世界中が大混乱してる根幹も、この教えになぞれば、確実に人々の疑心暗鬼が如実に吹き出した所業とも言える訳である。ちょっとした事なのに、侮蔑される事を恐れ、危害が加わる事を避けたいが為、本来であれば素直に話すべき事案であっても、相手の心根にある闇を勘繰るあまりに沈黙を選ぶ訳であり、その結果、大惨時を招くと、その“責任”を他人に押し付けようとして逃げる…この繰り返しが積もり積もればどうなるか?そこには悲劇以外の何もない。

 

つまり、世間に対して嘘をつくのは、一方では卑怯で裏切り行為に感じられるが、逆さまにすれば、“素直に聞けない”天邪鬼な一面を、誰しもが抱えてるからこそであり、純粋無垢で相手の話を聞き入れらる性分でも、それが相手に通じるかどうかは不確定。だから、経験則からの判断力と即応性が、指揮官に求められるし、臣下もまた同じであらねばならない。もっと言えば、情報に流されるのではなく、今、自分自身で対応可能な物事をやれるかどうかを、自分自身で決めると同時に、他人から過去の失敗事案や対応の悪さを罵られても恐れない勇気が試される。その為に生じる厄災であり、甘んじて受け入れられるかどうかで結果も変わるのである。

 

一過的な恨み事は、その瞬間は心身ともに深く傷付くし、場合によっては現存の命をも奪われる。しかし…こんな事は永続的に続かないモノで、、恒久的な禍根となるかは後世の人々が判断する事であって、現在進行形の勝手な価値観で答えを下すのは間違いである。逆に、当時の判断としては“正解”であっても、俯瞰した時に途方もない因縁となる事は、歴史を精査すると多々ある訳で、それを知って今さら当事者を責めても意味がない。恨み辛みが晴れたとしても、確実に心はモヤったままだ。それが結果として、“何”を生み出すか?

 

 

 

 

 

要は、今回のタイトルの主幹はここであり、自然災害や異常気象、土壌や水源の汚染による農作物被害と、それに伴う食料需給の低下や飢饉、衛生管理の不備や健康管理を無視した就労を課した結果による感染症蔓延と、治癒を急ぐあまりに過剰摂取による薬物中毒、その注意喚起を聞き入れるだけの冷静さと余裕を失い、騒ぎに惑わされるうちに判断を誤り、他人を責め、弱者を邪険に扱う様になれば、三災七難の役満となる訳であり、更に人類の恒久平和から遠退く事になるでしょう。それを望むか、あるいは踏み止まるかは、誰のせいでもなく、一人ひとりの考え方と選択肢次第です。

 

還暦祝いが派手になる傾向についてw

先日、森たけしアナが還暦を迎え、その祝いにと“す・またん”スタッフがエアバルーンを作成し、道頓堀川大阪城周辺で船渡御(⁈)を挙行した…という話が、当人のTwitter垢で公表された。

 

 今年に入って、ヲジサンや木村洋二アナも相次いで還暦を迎え、リスナーやファンから惜しみない、派手な祝い方をされた訳だが、こと関西に限った話をやると、前例となる事案がいくつかあって、特にMBSに限れば、高齢者再雇用の先鞭にもなる事案としてピックアップすべき話がある…と書けば、“あどラン”クラスタならお察しかと思われw

 

 

 

 

つまり、80年代後半から“局アナの還暦祝い&定年退職記念”を大々的に番組企画として取り上げるケースが始まり、一部は“定年後再雇用”という働き方改革までもたらした訳であり、それが何故か在阪局に蔓延して現在に至る訳である。その先駆けになったのが藤本永治アナであるのはいうまでもなく、その形式をあらぬ方へ拗らせた(てか、いろんな意味で焚き付けられて方向音痴になったw)のがABCにおける道上洋三アナに関する“トリセツ”であるw ま…未だに“社員扱い”の為、労務規定に基づいた勤務管理の下でレギュラー番組をやってる訳で、“おはパソ”が放送終了をしない限り、永続的にABCのアナウンサーとして籍が残ってる訳である。

 

道上アナより先に、別の意味でド派手な“定年退職”となったといえば、きよぽんな訳だが、コレもまた、番組企画の一つとしてやったモンだから、後に真似するバカが出る訳で、ただ…きよぽんの場合は、企画そのものがとんねるず絡みな訳で、カンテレ退職後すぐにアライバル(とんねるずの事務所)所属のタレントとして活動する事が決まってたからこその話であり、暫くの間“競馬好きのタレント”的な扱いで、トークバラエティ番組中心に、首都圏のメディアで引っ張りだこだった訳である。とは言え、契約時に原則として、関西圏での仕事を優先とし、また、競馬関連以外は断る旨をとんねるずに対して伝えてた為、初期の頃は場違いな事もやらされてたが、年齢的な事も踏まえ、最近では仕事量をセーブしてる訳である。(ただ…関西で競馬関連イベントに出ると、何故か毒吐くキャラに変貌するんだがw)

 

しかし、コレのさらに上行く大騒動となったのが、言うまでもなく征平ちゃんな訳で、出演レギュラー番組の中でやってたならともかく、この人の場合、わざわざ2時間特番としてやった訳であり、むしろコレを機にテレビからラジオの方にシフトしたと言っても過言ではない。(裏話すると、契約上半年間はカンテレがテレビ出演の交渉優先権を有してたのに、その裏をかいてABCのラジオスタッフが接触し、定年後ほぼすぐにラジオのレギュラー取った為、以後テレビに登場する機会が減ったw)

 

 

 

 

 

以上の話を踏まえると、長年ファンから愛された、局を代表する“看板アナ”だからこそ、多くのスタッフから感謝と惜別の想いがこもった、視聴者参加型セレモニーとして、“派手な演出”での還暦祝いとなる訳であり、その後の活躍云々は当人の健康状態と局の事情次第だが、昨今の長寿時代、そこに縋る番組制作は、あまり健康的とはいえない。コレも、人気者に縋り過ぎて、後継キャラの育成を怠ったツケなのかもしれない。

“正義感”の罪悪

大阪・住吉区で発生した小学生女児誘拐事件は、思わぬ格好で解決した訳なんだが、犯行理由を聞いた途端、ちょっと厨二病を拗らせたなとしか思えなかった。やった事自体は許されぬ話だが、その“発端”が“正義感”という感情であるなら、完全に人生詰んだ状態…完璧を求めた結果が、ちょっとした失敗や屈辱がきっかけで、自分自身を見失って“犯罪に手を染めた”訳である。当人は“正義”の名の下で起こした行動でも、他者から見たら鬼畜な所業でしかない。が、気持ちは解らなくはない。

 

 

 

 

 

では“正義”という概念の正体とは?あくまで端的な答えでしかないが、一言でいえば“自己満足なお節介”という事である。裏を返せば、“誰かの役に立ちたい”からこその行動力であり、他人からの評価で有能性、優位性を誇示したいからの感情とも言える訳で、その“対象”が誰なのかで変わる訳である。したがって、政府与党の“悪業三昧”を暴露して討伐する事が“正義”だとする概念も、野党の反社会勢力への関与を叩くことを“正義”と称えるのも、実のトコ言えば勝手論でしかない。もっとぶっちゃけると、どんな善悪も表裏一体の存在であり、一見不正のように見える行為でも、その影響がどう出るかなんてのは、一般的には“どうでもいい”訳で、不正を許すなと言ってる一方で自身が当事者となった途端、正当化しようと弁明するからどっちらけになる訳である。いうなれば、“こまけぇ事はいいんだよ、結果オーライなら”って訳で、その捉え方ひとつで正邪に分けるから、話の中身が拗れるのは、日常茶飯事な話になる。

 

今回の事件、そもそもは茨城県の女子中学生が家族に嫌気さして家出した事が発端にあり、そこに児童虐待が見え隠れしてると判断し、そこでSNSを通じて呼びかけて栃木県の自宅に“保護した”と容疑者は考えてる訳で、しかも“家族の下に戻りたくない”と勝手な解釈の下で監禁した訳であり、更に、女子小学生が母子家庭で,なかなか母親が自分に構ってくれないという事情を知った事で、拉致(当人は保護)に向かって、自宅まで連れ込んだ…ま、そこまでなら警察や当該自治体の保護機関に一報入れて事情を説明し、然るべき保護を受ける様にすれば、ここまでの大事には発展しなかっただろうし、そもそも自治体や警察の“民事不介入”という概念が、結果として育児放棄やDVの把握が遅れる要因になってる訳で、保護の遅れや発してるSOSに気付かずに対応が遅れるから事件に発展する訳である。

 

で、容疑者自身が社会に対する不信感と、プラスして“自己の正義感”に酔狂してるのと、厨二病あるあるな性癖(自分より若い、理想的な子を集めてハーレム化したい)に走ったからこそ、スマホを取り上げSIMカードを抜いたり、逃亡されない様靴やその他の所持品(財布や靴等)を捨てたり、部屋も外からしか開錠しないドアにして、監禁した…となれば、もはやその“正義感”は無意味であり、犯罪行為でしかない訳である。当然だが、本当に家庭内暴力から逃げる為に家出をした子を保護してるのであれば、さっきも言ったが警察や自治体の保護機関に一報入れるのがスジであり、施設が使えないとか、行政対応で不備がある場合にのみ、自宅での保護を申し出るのが手順となる。ここの部分は、自治体の関係部署が状況を掌握してる以上、事後報告になってもお咎めなしな訳で、そうじゃないから“犯罪”となる訳である。つまり、負傷した被疑者を匿えば、犯人隠避で保護した人も逮捕されるが、その前に警察から情報があったり、救急車呼ぶまでの間応急処置を施すなどをやってたなら、事情聴取されても被疑者保護(というより、確保)に協力したとして、罪に問われない訳である。

 

 

 

 

 

 

むしろ、土地勘のない場所で、しかも素足同然の格好で交番探して逃げ出した大阪の女児の行動が勇敢で冷静だった方が驚愕であり、それで二つの事件が一気に解決した事を考えると、容疑者は“子供ナメ過ぎ”と言わざる得ないし、自分が掲げる“正義”が世間から“否定”された理由を理解する事はできないと思う。また、防犯カメラで“不可解な格好”をした女児が写ってたなら、その時点て無視するのではなく、警察に巡回を要請して保護する様促せば、もっと早く解決してた可能性はある。それが一つもできてない時点で、日本の治安は、相当悪化したと言わざる得ない。

 

教訓:メディアが流す大量な情報に惑わされ、自分の周囲に対する関心が薄らぐと、すぐそばで発してる“微細な救難信号”を受信できなくなる。犯罪は常に、自分のそばで起きると自覚せよ。

税金と交通インフラの話

こないだ、某テレビ討論番組で、観光地の災害復興に国や自治体が金出してやればいいのに、なんでできないんだって話をやってたんだが、そんなモン、有権者が“税金のあり方”をロクに学ばず、減税を求めた結果が“公益企業の民営化”であり、消費税を廃止したければ、さらなる公益事業の“削減”を受け入れなければ、財政改善を求める事は不可能であり、況や法人税増税は、就労者の賃金を必要以上にカットする事につながる。つまり、国や自治体がジャブジャブと公益事業をやろうモノなら、それに似合う税負担は当然のモノであり、それが嫌で納税を渋るなら、故に公益事業の民営化は待ったナシであり、民間企業である以上、利益が出ない事業は“やらない”のが鉄則にして、就労者の生活を約束する為に、時として世間から批判されようと、収益の見込める事業だけに絞るのは、経営努力の他ならない話である。

 

 

 

国鉄の分割民営化で、現行のJRグループが生まれた訳だが、これに関して今更になって恨み節を言ってるのは北海道と四国4県…首都圏を抱える東日本でも、東日本大震災以降の東北6県は、新幹線以外は3セク化や運行本数の激減が激しい。西日本とて、中国地区の路線は災害の度に部分廃止が相次いでいる。九州もまた然り…新幹線開業に伴う3セク化は、一見すれば利便性向上の様に思われがちだが、実は自治体の助成がないと運行できないほど、“利益がない路線”と見做された区間であり、“民営”だからこそ国交省に路線廃止(休止)の申請を出して“事業撤退”したいから、3セクに移行してる訳である。元から3セクである北大阪急行も、当時の大阪市が千里万博開催に伴う輸送見込みを甘く見て、国からの特例(公営交通機関は法律上、隣接する都市を跨いでの延伸ができないが故に、延伸特例を認めた)込みの打診を断ったが為に、大阪府と阪急で江坂以北の会場までの路線を運営する事業計画を立てたのであり、大阪市の概算予測を大幅に裏切る(期間中のべ6000万人の来場者が利用した)結果となり、現在でも“私鉄最安値の初乗り運賃”で潤沢な経営ができる程の収益を上げたのは、非常に有名な話である。(民営化で大阪メトロになって、2025年の夢洲万博で変な皮算用している様だが…w)

 

つまり、税金使って経営してる公益企業は原則、本業の収益が芳しくなくても、国や自治体の補填(要は税金の追加投入)で収支決算の帳尻を合わせることができる反面、収益は他の事業に回すことができない。よって、国鉄の分割民営化に伴う清算事業として、要らなくなった機関区や貨物駅の跡地を売却するには、法の下においての売買取引が必要だった訳で、民営化後の本州3社(東・東海・西)は都市部の一等地を売却し、経営基盤の補填に回せたが、僻地3社(北海道・四国・九州)は逆に、売却先となる事業者が見つからず、土地が売れ残る状態な訳である。(九州は最近になって、観光列車の需要や福岡県内の宅地開発で利益が出るようになったから、本州3社同様に株式上場まで成長したが…)民営企業は公的資金(要は税金)による支援が限定的でしか受けられない反面、沿線の土地開発や他業種への事業展開など、収益をグループ会社で管理し、様々な運用ができる。故に、収益が見込めない事業は、見切りつけて撤退したり、同業他社に売却する事もある。だから、阪急と阪神がグループ会社として経営統合したり、近鉄が一部路線を3セクに経営を移譲したり、西武が近江鉄道の経営に関与したりするのは、そういう経緯によるモノです。

 

もちろん、自治体の要望があれば、それに伴う整備計画に鉄道会社も協力はするけど、それが利益に結び付くか否かによって態度も変わる。故に、“札束ビンタ”が重要になる訳で、北九州モノレールの経営改善に対して、沿線に小倉競馬場があったからJRAが“関連施設周辺の整備事業費”という名目で北九州市JR九州に“札束ビンタ”したから、小倉駅直結のモノレール駅整備と、運営資金の援助をやった訳であり、京阪淀駅周辺の高架化事業も、京都市よりもJRAの“札束ビンタ”が勝ってたからこその事業内容だったから、ああいう風な構造になったと推察してもおかしくない訳である。つまり、如何なる整備事業も“スポンサー次第”ってのが民営による公共交通機関の“整備事業の泣き所”であり、それ故の批判をやるのであれば、主要スポンサー以上の運営費や整備費用を確保した上で臨むべきである。それが“できない”からといって国や自治体の“税金による補填”をアテにするのであれば、それこそ増税に対する批判は“的外れ”であり、その結果がJR北海道と四国の衰退ぶりだと認識した方が賢明である。

 

 

 

 

 

 

災害時において、迅速な対応ができる自治体とは、常に災害発生時を想定したシステム構築と、そのための整備費を確保した上で、交通機関事業者相手に交渉する訳であり、また、平素でも沿線住民が当該自治体住民である以上は、整備事業費の一環として運賃の助成や工事費用を折半してる訳である。堺市とて、阪堺電車によるLRT運営構想を提案し、整備を行う一環で、堺トラムや運賃助成による“全線均一運賃”を実現させてる訳であり、南海バスに対しても、中心街周回路線に対して運賃助成をやってる訳である。コレが無ければ阪堺も、とっくの昔に我孫子道以南の廃止をやってるだろうし、南海バス堺市の無茶振りに振り回されずに路線の統廃合を、もっと進めてると思われる。大阪市が交通局を廃して地下鉄とバスを“分割民営化”したのも、税金の問題であり、市民税負担を軽減した上で、所有する土地や施設の売却や再開発を促す狙いがあっての話。そこを踏まえずに国や自治体の財政問題をピーキャー言うのであれば、まったくもって“小学校から社会科学び直せw”としかよう言わん。(とはいえ、神奈川県と千葉県の対応の悪さに関しては、自治体そのものが“税金泥棒”としか言えない様な状況だけに、正直、呆れるしかないというか、県民が気の毒というか…ry)