迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

YouTubeにある“違法動画”にある背景…

“違法動画”ってことにしてはいるが、ここでいうトコの“違法”は、あくまで放送局が保有する著作権および番組制作会社の著作人格権に関しての部分であって、いわゆるヘイトスピーチや特定機関に対する弾圧等の様な攻撃的なモノではない…ま、そのそもどういう動画を挙げても、規制が殆どないのがネット上での“自由の保障”ってモノであって、嫌なら関わらなければいいて話なんだがw

 

本題に入る前に、考えて欲しいことがある。それは、著作権が仇になって、貴重な映像資料の多くが、動画投稿配信サイトから削除されることがある点である。もちろん、正当な理由として、上記の通り放送局や番組制作会社、更には肖像権の関係で芸能(タレント)事務所が、当該番組に対する著作権および肖像権の侵害を主張してる訳であり、ドラマやアニメの場合だと、更にレコードやブルーレイ等の記憶媒体での販売権があって、そこの問題で配信に際して制限をかけてくる訳である。商売である以上、真っ当な意見だし当然の話だ。しかし…全ての番組や映像が、丸々“商品”として市場に出てるかと言えば、実際問題として稀であって、特に1970年以降で2000までの映像となると、トラマやアニメ、映画館放映された作品はともかく、一般的なバラエティーやスポーツ中継の類となると、その頭数は極端に減る。プロ野球Jリーグ、オリンピック等の国際大会の種目は“記録映像”として残ってることはあっても、バラエティー番組は、ほぼ“使い捨て”な事が多く、一般家庭のビデオテープに、コアなファンが残してるのが関の山だったりする事がよくあるのである。

 

CM映像もまた然りで、広告が主たる目的であるが故に、ビデオをデジタル媒体にコピーする際にカットしてる場合も多く、それで残ってないモノも多い…これは不幸中のWiFi…もとい、幸いにも、放送ライブラリ公式ページで閲覧可能だったり、大手の大学の研究データとして残ってるのが見られるんでここの部分では恵まれてる…

 

 

しかし、バラエティー番組…特に視聴者参加型の番組となると、映像そのものが残ってるのが奇跡で、生放送以上に映像データが残ってる方が稀で、地上波で紹介する際でも、大概はモザイクが入る…肖像権とプライバシーに対する配慮ってヤツだ。これは仕方ない部分として、芸能界入りした人物や局アナはともかく、そうじゃない“通りすがり”な視聴者の場合、ノーギャラに近い格好で番組出演してる関係もあって、ごく一部では不都合な事情を抱えてることがある。まして、再放送となれば、当時の出演者全員の許諾を取るのも難しい訳で、中には放送後に犯罪者となった者や故人となってしまった人も出てくる…故に、取り扱いが“難しい”という背景に到るのである。

 

 

こういった部分での問題が多く、また、著作権保有する放送局でも、アーカイブスとしてWeb上に公開したくても“需要が読めない”として躊躇するケースが多いから、結果として、一般視聴者だったYouTuberの一部が、自分が保有する資料からアップロードする事態になる訳であり、実に著作権にうるさいトコほど管理と運営が杜撰なのかがよくわかる訳である。その件に対して一石を投じたのが、モンティ・パイソンの“無償”による全作品公開という手法である。

 

 

イギリスのパフォーマンス集団であるモンティ・パイソンは、事ある毎にコアなファンが、YouTubeに過去の放映番組をアップロードするため、その都度YouTube運営に削除依頼を出していたけど、それを逆さに考え、“だったら公式で挙げちゃえw”って事で、著作権を管理してるレコード会社や放送局に喧嘩を売る格好で、アップロードを行った訳である。これにより、違法アップデートが鳴りを潜め、以後、公式以外での動画は存在しなくなったという…そう、“公式”という錦の御旗と、“無料公開”という破壊力は、時として、違法アップローダーの息の根を止める切り札になるのだ。昨今では、申請を出す事でWeb広告の収入を得るためにチャンネル登録に躍起なYou Tuberが多いが、公式も同じ事をやれば、かなりの収益になる上に、今までの制作費を巻き返すこともできる目処が立つ。つまり、世界相手に番組を作ってなかったとしても、インフルエンサーによる拡散力が甚大であれば、自ずと軸足をWebに切り替えても、地上波放送局は生き残れる…それに見合うだけの番組を、過去にどれだけ作ったかにもよる反面、過去の人気番組から、本当に“視聴者が求めてる内容”を学び取り、反映させる事によって、本当に“良い番組”だけが、世界中で愛され、放送され続ける事ができると、オイラは確信している。

 

 

最近の地上波番組が“面白くない”背景は、単に“タレント乱舞”である事に尽きるのであって、クイズ番組でも、実際に面白いのは、一般視聴者の“ガチ勝負”であり、タレントが自分の頭脳の良さを勘違いしてやり合う姿は、正直飽きる。手練れのMCが一般参加の視聴者と一緒になって番組制作を“楽しむ”姿勢が面白い訳であり、それ故に“探偵!ナイトスクープ”がローカルセースルでも人気を博する訳であり、“パネルクイズアタック25”が今でも日曜昼間の定番でいられるのも、根本的な部分は何一つ弄らず、今日まで放送し続けてるからこその話である。ここの部分では、流石ABCテレビらしい姿勢であり、日テレの“笑点”同様に“マンネリ”だからこその拘りを捨てずにやってこれた事自体が奇跡なのである。努兄が昔、“あどラン”本2冊目に記した『視聴率はもとより、視聴質の高い番組を』という概念は、結局は、潤沢な制作費用や、最高品質の機器類を使用する以上に、如何にして視聴者が“腰を据えて楽しむ”かが鍵となる…八方美人な全方位に好かれる内容ってのは、意外と総スカンになりやすく、ニッチでマニアックな方が、実は大衆受けしやすい。それがわかってても“できない”状態になったのは、ごく一部のクレーマーに放送業界のみならず、社会全般が怯えてる、歪んだ感情が支配する社会になってしまってるからこその話ではなかろうか。

 

 

 

予想通りの結果だなw

“府市合わせ”選挙の結果は、大方の予想通りに、維新の“一人勝ち”な訳だったが、メディアは肝心な事を報じてなかったんで、たった一言言っとくと、今回の突発的なW選挙に関して、公明党は義理立で自共候補を“支持”はしても、地元大阪府内&大阪市内在住の学会員に対しては“自由投票”の指示があって、その一部が維新側に流れたと推測して良い訳で、その根底には、自民党大阪府連に対する不信感が根強かっただけに過ぎない…って事である。

 

ぶっちゃけ論で言えば、いくら信徒の総数が日本の人口の1割を占めてると言っても、逆を言ったらそれだけの票田しかないのであって、他の特定の政党を支持しない、いわゆる無党派層の方が圧倒的に多い訳であり、それがそのまま選挙に参加すれば、維新が勝つのは当然の流れである…但し、普段は絶対に参加しない層でもあるのが無党派層の性質であって、多くの人々が選挙に行った最大の“理由”なんてのは、公明党も含めた既存政党に対して“灸を据える”事が目的だったとすれば、実際問題として、維新が提唱する“大阪都構想”なんて“どうでもいい”って訳である。

 

この流れが止まらない最大の原因は、本来のブレーキ役にならないといけない自民党大阪府連が、事もあろうか他力本願に走った事に他ならず、共産党も独自候補を立てた上で競わすのが是である選挙戦を、ある意味放棄した事で、それまでの支持層が、こぞって維新支持に走った訳であり、公明党の支持母体である創価学会ですら“自由投票”を呼びかけた時点でお察しなのである。ここまでの流れが読めた人は、“選挙結果次第で大阪が終わる”と騒ぐ者の愚かさを、ハナで嗤うしかない訳である。

 

 

そもそも、公明党大阪市議連が維新の方針に難癖付けた最大の理由を理解してない人が多いから、誤解が生じてる訳なんだが、反発する理由は、“問うべき相手を間違えてる”という一点に尽きるのであって、維新の会派とて、そこんトコを突かれるとイタい訳である…大阪都構想は、大阪府によって大阪市そのものを“一元管理”するモノであり、税の配分を一括管理で行い、システムの合理化の先にある、東京都と同じ感覚で行政サービスの拡充や整備事業をやっっていこうという目的がある。しかし、先の住民投票で対象となったのは大阪“市民”のみであって、本来問うべき相手である、大阪市以外の大阪“府民”ガン無視だった事が、公明の大阪市議会会派がキレる原因となってる訳である。

 

 

だから、都構想そのものは、公明党会派がガッツリ頑張ってくれる限りはこれ以上進む事はないし、むしろどんなに大阪で維新会派が勢い付いても、最後の“ジョーカー”は学会員の胸算用に変わりはない。

 

まして、国政選挙に関して。今回の結果を受けて“選挙協力しない”と息巻いてるが、大阪府内の選挙区だと脅威でも、日本全国となると旗色が悪くなるのは維新の方であり、大阪都構想そのものが“本末転倒”になりかねない。つまり、今は“勝たせておく”方が、後々の国政選挙…直近で言えばこの夏の参院選が、突発的な衆議院解散がない限りW選挙になる事はないことを踏まえると、静観する時間は“まだある”と考えていい。その間に和解することもあれば、さらなる軋轢が生まれることもあり得るが、それは、どこまでいっても大阪府民の“判断責任”であって、よそ者が口出しする必要はない…当然だが、オイラも今は奈良県民だから、この件に関しては、これ以上野次を飛ばしたトコで、無意味だしねw

 

 

重要な事は、メディアの断片的な情報に惑わされず、そして、対立する要因がなんなのかをしっかり把握し、その上で“自分の意思”で判断を下す…これが民主主義国家の下においおて行われる選挙の本意であり、故に、毎回投票に参加しないと、その無責任な態度から国家基盤を失いかねない事態に陥るのである。まして、今回の大阪W選挙自体、そもそもの対立候補が、維新の意見に対する“明確な対案”を何一つ示さずに、ただ“維新打倒”と叫んでいた時点で、結果は見えてたのはいうまでもないし、大阪府民が突きつけた答えは、むしろ“既存政党イラネ”である。その意思を受けて、今後どうすればいいかなんて簡単な事である…寸志を改めて民衆の声に耳を傾けて議題に挙げる地道な作業をやる事だ。

クソアニメ de 哲学迷宮w

ますは、件の“クソアニメ”を見てもらおう…

このBパート…男性声優バージョンの最後らへんで、山の茶店の主人が乱入して、大団円にならず、変な終わり方をしたんだが、この主張は正しいか否か…これは、様々な場面に当てはめて考えると、結構難しい様で、意外と簡単な、しかし責任重大な選択肢が見つかる。但し、このアニメ自身が“クソ内容”をウリにしてるんで、笑い飛ばしてナンボであり、真面目に考える必要はないw

 

では…物語の終盤で、件の主人は“鬼を始末しろ”と主張するのか?これは過去の因縁であり、以前の鬼なら、当然ながら封印を解かれた事を機に、報復活動に出るという予測からの“恐怖心”からの言動である…しかし、存在を“ゴミ”と見做した時点で、話は変わる。相手の言い分を聞こうとせず、排除一択に固執してる点である。相手の言い分を聞いて、それでもなお否定してるのであれば、これは“話にならない”訳であり、“新幹線変形ロボシンカリオン”の物語上でもあった様に、存在を認めた上での共存の道を模索する主人公と、敵側の存在だった少年が、共戦して倒した相手は、自己の正義に固執した上で、主人公の主張や概念を完全否定した、潔癖症な性格の人物だった訳である。そこに下賜支えてた連中も、基本的に主人公側を排斥しようとしてた…が、主人公の心意気に共鳴した少年や上官は、共存のための道筋を見出だし始め、主人公側に合流したのである。(新シリーズでは、更なる激闘になる様だが…)

 

話を件のアニメの方に戻すと、Aパートでは茶店の主人の注文通りの結果を導いたが、それによって、幼い娘っ子の鬼が悲しむという結末に対し、“リピート”を要請してBパートになるんだが、仮にこの時に、主人の要望をキャンセルしてたら、主人以外は誰も“損しない”という結末がある…そもそも、“山の神”という存在が死んだのは不可抗力であり、事故である。つまり、その“山の神”がなんでわざわざ主人公二人の後ろでガヤやってて、余計なお節介をやったかを考えると、それが二人にとっちゃ目障りだったから追い払うつもりで団子の串を投げたのであり、それが運悪く眉間に刺さった事で死んだことになってるのである。もちろん、避けられるモノであれば回避すればいいだけの話であって、それをしなかった時点で“神様”としての能力も大した事なければ、封印されてた“鬼”も、さほど悪さをしてたとは思えない…ここまでの考えが巡れば、この話の中でまっさきに“消す”べきは、人の話も聞かずに責任を擦り付け、自分の主張以外認めようとしない茶店の主人自身であり、主役の二人はある意味成り行きで被害者と加害者になってる訳である。

 

様々な場面で、これと似通ったケースに出くわす訳だが、“根源の悪”ってのは、どこまでいっても自分以外の理念、思想、慣習以外は“認めない”という完全主義と言う名の“潔癖性”である。日蓮仏法の“御書”でも、組織がしっかりしてるトコほど、他人との違いを認め、尊重し合い、共存する道を模索していく“異体同心”が肝心であると説いている。つまり、そこを嫌って“単一規格・単一理念”でゴリゴリになれば、必ず不具合が出て破綻するのは、当然の報いって訳である。過去の歴史において、なぜ共産主義が破綻したかといえば、共産主義の本意は、様々な人種や地位に関係なく、社会全体を支え合う仕組みを構築するために唱えられた理念であって、その意義を忘れて民衆を支配しようとした幹部が暴挙に出た事で、民衆から不信が募り、その報復を恐れるあまりに、武力に手を出して統制したことによるモノである。逆を言えば、本当の意味で共産主義が上手くいってる国程、近隣や国交のある国々に協力を求め、決して自分達だけで問題を抱え込んだりしない…一人で解決できない事を、さも“一人でやった”と公言する人程、実際は多大な迷惑を周囲に振りまいてる。だけど周囲から憎まれないのは、それを解った上で協力を惜しまないし、その恩に報いるために、問題解決に尽力する姿を見せる。それを信じるかどうかは勝手であって、主張の違いがあっても、互いが信じ合ってるのであれば、細かい事なんでどうでもいいのである。しかし、潔癖性な人程、その細かいことに捉われ、固執するあまりに周囲が見えなくなり、不信感を募らせるのである。ここまで拗れると、人間不信を通り越えて、自分を勝手に神格化して、相手を見下さないと気が済まないのである…自分自身こそが完璧であり唯一の神としての存在だって勘違いしてる訳だ。でも…“神様”だからこそ、自分に対し、そして自分に関わる全てに対して“責任”を負う請願を立てるのであって、そんな度胸も、度量もない者が、指導者として人々の頂点に立って君臨してはいけないしそんな資格は存在しない。仮にいたとしても、その周囲の人間自身が知っている…自分達がいなくなれば、潰れるのも早いって事を。

 

 

 

落書き広場、閉鎖のお知らせw

ま、ぶっちゃけると、ジオシティーズが今日で運営終了なのと、サイトそのものがここんトコ放置状態で、オイラ自身も目の調子が悪いこともあって、正直、管理ができなくなったんで、この際だから閉鎖することをきめました…ま、多くのイラストは、ニコニコ静画の方に掲載してるし、あっちの方が管理がラクってのもあるしw

 

落書き広場は当初、ニコ静には掲載するつもりもない、どっちかといえばPCをオイラ自身が保有し始めた頃の拙い作品がメインであり、ある意味、世界中に恥を晒す場でした…ま、そこんトコは、このはてブブやTwitterなんかも同じだが、大きく違うのは、若干のプログラミングの知識が必要で、一つの項目を作るのに、ド素人だと煩雑すぎるプログラミング用語との格闘だったのと、ホムペ作成ソフトの多くは、Mac非対応なこともあって、Adobeのヤツでもクリエイティブクラウドの包括か単品で契約しないと使えないから、だったら“もういいやw”ってなった訳です。

 

ま、ジオに挙げた作品は、一部を除いてニコ静に再掲載する予定ですが、多くの作品は、手元データとして保管し、サイトごと廃棄となります…ま、ニコ静のマンガも手直しが必要な箇所が出てきてるんで、そっちが先かな?

 

年度末のギリギリで、しかも、どっかの無認可幼稚園並みの対応ではありますが、再開を決定したら、またおしらせします。ではでは…

AM(中波)ラジオが消えるって、本当ですか?

 昨日、民放連(日本民間放送連合会)が総務省に、AMラジオの廃止を申し出たという報道が流れ、一部のラジオファンが騒いでる様だが、これは実は、世界的な潮流であると同時に、電波が“資源”である事を知らない人が多い…正直、ラジオ博愛主義を謳うリスナーであれば、そんなことも知らんのかって話だし、そもそも、AMラジオの方が、受信機は単純な作りでも、送信設備の方が結構費用かかってエラい事になってる訳で、しかもこんなに電子技術が進歩しまくってる最中にあって、そのシステムそのものを簡略化できない代物となってる時点で、すでに“時代遅れ”となってる訳である。

 

 

この話は何も、実は30年ほど前からあった話であって、古くからのラジオ博愛主義者なら、結構有名な話題である。そして、北欧を中心に、AMラジオ局が相次いでWebラジオやFMへ移行してる訳で、AMラジオ放送自体、ある意味、新興国も含めて絶滅危惧な放送形態になりつつあるのである。てのも、国際的な電波通信関係の分野では、既に商用利用可能な電波帯そのものの割り当てが枯渇寸前な状態にあって、民間運営のラジオ局は、大掛かりな設備を必要とするAMラジオは“経営に割りが合わん”という概念が一般化してるトコがある。特に複雑な地形を有するスカンジナビア半島3国(フィンランドノルウェースウェーデン)では、既存の方式でのラジオ放送では、全国土の民衆向けに緊急放送を流そうと思っても、その複雑多岐な地形が電波障害を起こしてラジオが受信できないということもあって、10年ほど前から地上波ラジオを全廃して、インターネットによるライブ配信のみに移行した。これにより、放送局の経営負担が大幅に軽減され、通信事業者も、その分の割り当てを携帯デバイス通信用に振り分けられるとあって、一気にネット環境が整備できた訳である。この流れはバルト3国でも同じで、ここらを中心に、欧州ではWebラジオへの移行が現在進行形で行われているのであり、故に、iTunesYou Tube等の動画や音声配信サービスにWebラジオ局が次々と登場してる訳であり、日本にradikoというラジオのWeb配信サービスができたのも、ネット通信環境さえ整っていれば、地形とかによる受信障害を無視して、クリアな音声でラジオ番組が聞けるという利点から、普及を急いでる訳である。

 

 結局、騒いでるのは、普段からラジオを聴いてるといっても、BGM代わりに“無料で使える”という利点のみで語る人であって、CPを扱ってる傍でAMラジオを使うと、機械から出る電磁波による受信障害で使いモノにならんというう事を理解できてないのと、さっきも言ったが受信機は単純でも、送信施設は結構大掛かりで、しかも送信所は広大な敷地を有する関係で、固定資産税が経営負担を増大させてる要因になってるって事である。逆を言えば、大掛かりなスタジオ設備等がなくても、パソコンやスマデバに音声入力と動画や音声の編集ソフトがあれば、どこでも誰でも“ラジオ番組モドキ”は作れるほど、科学技術…特に放送技術は素人でも簡単に扱えるほど“進化”したと言っていいい。

 

オイラが中学時代に、既に海外ではAMラジオは、共産圏か経済的に貧困な国々でしか生き残れないと言われ始めていた訳であり、その生き残りを賭けた経営戦略を、放送局はそれぞれに模索していた…コアなラジオリスナーほど、実はWeb配信ラジオにいずれ移管する事を予見し、そのために様々な模索をやっていた。民放連が試験的にradikoの運営を行うという情報を得て、真っ先に手を挙げたのは、ラジオNIKKEIである…なぜなら、世界で唯一、民間運営で短波放送を行なっている放送局であり、視聴可能エリアは日本全国のみならず世界が相手である。しかし悲しい哉、民放ラジオ局であるが故に、放送を継続するにあたって、送信設備を維持するには、NHKの様に受信料を個別で契約して徴収することもできないから、企業からの広告収入が見込めないと、いつ潰れるかわからない。だから、できるだけ短波ラジオ以外での聴取方法を模索する必要があって、様々な配信方法に手を出して、やっと辿り着いたのがradikoである。これを受けて、いずれここは短波での放送に見切りつけて停波する可能性がある…これも時代の流れであり、AMラジオの多く…特に大都市を抱える広域放送局は、この流れに追随すると思われる。この流れを変えたい、あるいは、現状維持でAMラジオを残したいと思うなら、それこそ、スマホやPCを捨て、ネット環境から離れた生活をしてもらいたい。逆に言えば、オイラは今の環境…radiko経由で日本中のラジオ局が聞ける様にbなったことは楽しいし、現地の情報を素早く得るにはうってつけだし、雑音混じりで不正確な音声の地上波ラジオは、チューニング技術が乏しいと使いモノにならない。ただ…災害でデバイスが使えない時の非常用として使うために、タマに聞くのも悪くない。

またW選挙かい…大阪府と大阪市の不可解な事情

ご存知の通り、大阪府知事と市長のW選挙統一地方選のクソミソ忙しい時期にやるような訳で、しかもその“原因”を公明党大阪府連のせいにされている訳だが…勘違いしてはいけない部分を一つ言っておくが、自民党共産党がここだけ手を組もうとしてるのは、いわゆる“維新アレルギー”ってヤツであり、本来の自民党が“やるべき態度”ではないし、そもそも公明党自身を敵に回してる時点で、大阪府内(&大阪市内)の学会員がどう判断すっかは、斑鳩の郷に住んでるオイラにとっちゃ知ったこっちゃないW ただ…大阪の有権者がいまだに維新…ってか、松井一郎知事と吉村洋文市長に対する支持率が高い背景には、今までの府政・市政に対する憤懣があったからこそであり、また、大阪(夢洲)万博誘致やそのあとのIR開発などのプロジェクトに対し、反発してるのはごく少数で、関西経済の底上げを図る上での投資に対し、既存の政党であれば、確実に実現は“不可能”という概念を持たれている以上、そこんトコを覆すような政策を有権者に訴えない限り、維新の牙城は崩れない。

 

それにもう一つ…維新支持派の多くは、“自民vs共産”という図式のデキレースに“飽きた”からこそ、その上で公明党(というより創価学会)に対する嫌悪感から、それらとは全く一線を解した存在が欲しいからこその支持であり、“真っ当な民主主義”を一番体現してるのが、大阪の有権者って訳である。つまり、“大阪維新”というブランド名に対し、他の選挙区(国政選挙)ではマイナーでも、それは仕方ない部分であり、逆を言えば、既存政党の方が、大阪府民(&大阪市民)から見たら“仕事しろ”って三行半を突きつけられてるってのが現状なのである。故に、自民党大阪府内の選挙区で苦戦するのは毎度の事であり、大阪府内の地方議員が“仕事してない”って見られてるモンだから、国政議員が苦労する訳である。

 

ただ…大阪府大阪市はもともと“二重行政”であることを解消するための“大阪都構想”という話なんだけど、これ自体、実は途方も無い“勘違い”の産物であり、そもそも現在の大阪市自身、周囲の町村合併を繰り返した果ての姿であり、また、大阪府の財政が赤字に転じた最大の“要因”は、堺市が“平成の大合併”で隣の美原町(現:堺市美原区)を吸収したことで政令指定都市になってしまったことに尽きるのであって、この原理に従って話をすれば、正直な話、大和川を挟んで大阪府そのものが堺と大阪で分断した方が賢明じゃね?って話にも繋がりかねん訳である。ま、歴史上…明治政府発足以降、今の大阪府自身、北摂を中心とする大阪府と、堺市を中心に現在の奈良県を含む広域を“堺県”としてた時期があって、大阪府の財政難を救済するために生駒以東を分離し、吸収したという“黒歴史”があるって、ここでも散々解説したが、要はそれと同じことをしようとぶっちゃけたから、泉州南河内大阪府民(てか、旧来の堺市民)がブーイングした訳で、そこんトコを勘違いされると困る訳である。

 

かつて、そんな蟠りに対して風穴を開けたのがj公明党だった訳であり、その期待感のさらに上…つまりは支持母体である創価学会の影響が抜けた存在として大阪維新の会が認知されてる訳であり、故に、維新の選挙協力を得るには、飲まないといけない“条件”が存在してて、それを受け入れられない…ってか、真っ向から否定してるのが共産党と自民大阪府連であり、ついでを言えば自民大阪府連としては、公明党も潰したいって思惑がある。(なんせ積年の恨みがあるから…半世紀以上前の参院選での選挙区で議席奪われて以来w)今回のW選挙の狙いは、どこまでも“大阪都構想”にこだわるが故の過ちではあるが、冷静な有権者にとっちゃ、選択肢は消去法で“維新一択”なのであり、そこんトコを崩したいなら、是が非でも“維新ごと公明も潰したい”という利害一致で自民大阪府連と共産党が手を組むのは理解できるし、故に“負け戦”になりかねん訳である。学会員の有権者が“自由投票”の名の下に、どっちを選択しても“針の筵”な状態なのは必至でも、あえてその“結果”を受け入れられる度量があるからこそ、寓話の“泣いた赤鬼”の“青鬼”になって臨むまでなのです…でなきゃ学会員、精神が保たんわ、いやマジで。

My favorite announcer vol.64

久々っすね…本家でのコレ。きっかけは何であれ、コレをやる以上は、気分的に襟を正して、正面から紹介するのがスジというモノ。つー訳で、久々の“My favorite announcer”シリーズは、一部“ブロマガ”と連動してやることにします…彼自身も、競馬実況をやってましたからw

 

てことで、今回取り上げるのは、板倉俊彦アナの話…“次は新福島”って番組に同期の青木和雄アナがゲストとして登場した際に、近況を話してくれたのだが、残念なことに、彼はすでにこの世にはいない…2年前に、吉野の桜吹雪となったとのことである。

 

いろんな意味で彼は不遇で、とにかく“屋根裏ナレーション”なポジションが多かった。見た目のスタイリッシュさが売りの青木アナ、大阪(河内)弁で押し捲る角淳一アナと同期だった事も含め、とにかく“平凡”なイメージしかなく、だけど、ナレーションやニュース原稿を卒なく読みこなす声は、低音で力強い声だった。ただ…あまりにアナウンサーとしては“理想像”なモノであっても、ゆえの没個性が仇となり、使いどころが難しく、バラエティーやスポーツ実況には“使えない”代物だった。感情を表に出さずに、淡々と情報を流すだけなら、別にアナウンサーでなくても、今の時代なら、AIに音声データを組み合わせる事でできる事だからだ。

 

しかし、若手時代にはそれでも、競馬実況のマイクの前に座った経験がある…薫兄がデビューする以前、今ほど競馬が毎週重賞がある訳じゃなく、単発での放送がデフォだった頃に、双眼鏡を構え実況に臨んでいるのである。ちなみに、MBSが現在のように毎週競馬中継を行う様になったのは、薫兄が正式に競馬実況専門となって以降の話であり、それまでは現在でいうトコのGⅠ開催での単発が普通の放送形態だった。(だからこそ、ラジニケが第2放送での関西主場からの中継を整備する必要があった訳で、守タソやニャオキが“地元採用枠”だったのは、そういう経緯がある…と推測される。)とはいえ、単発放送で、しかも他のスポーツ実況の経験が乏しい若手が拙い競馬実況をやればどうなるかはお察しの通りで、その恐怖心から、自然と競馬場から足が遠のいたと考えると、不憫でならない。(逆を言えば、それに物怖じせずに、むしろ堂々と競馬実況で名を馳せた薫兄の方が‹バケモノ”だったという事w)

 

だからと言って、報道番組の担当ができたかと言えば、これまた不遇なことに、後輩で競馬実況もできる平松元大阪市長がいた訳で、“MBSナウ”のキャスターにすら選ばれず、“あどラン”が放送開始するまで、正直存在が空気過ぎた…だが、“空気過ぎた”からこそできたモノがある。それは、オイラぐらいの世代で関西在住なら一度は学校で見たことがある番組、“私たちの近畿”という、社会科の教科番組でのナレーションとレポーターである。以前にも解説したが、MBSがテレビ放送免許を取得した際、その“条件”として郵政省(現在の総務省)からの指示で、番組全体のおよそ3割は、教養系のドキュメントや解説番組を制作し放送することが義務付けされていた訳で、この関係で小学校の授業用番組を制作してた訳である。オイラぐらいの世代だと、小学5年生になると、NHKの番組ではなくこっちを見てた訳で、番組そのものも近畿圏の教育委員会からの依頼ということで、この時間だけは堂々と、学校のテレビで民放番組を観れた貴重な時間がったりするw それはともかく、小学高学年向けに、解りやすく、かつ、丁寧にナレーションを入れたのである。のちに、同じく空気過ぎて使いどころがわからんキャラだった増田一樹アナと争奪戦となり、それを期に一線を退くこととなった訳である。

 

真面目な部分ばっかやっても面白くないんで、“あどラン”でのお茶目な部分を話しておくと、とにかく今風に言えば“おげんさん”コスが似合うキャラという位置付けがあって、事ある毎にコント風の解説をやる場合は、決まって“お母さん”役で登場することが多く、松竹新喜劇風の芝居を公開した時でも、完全に“女形”として役柄を徹してた訳である。てのも、顔だけ見たら一応男性らしいんだが、全体見ると非常に華奢っぽく写りがちで、指先や仕草が艶かしい雰囲気を醸していた。その事もあって、イメージ的にはオネぇっぽく思われがちだが、意外にも実はスポーツマンなトコがあり、高校時代に弓道をやってたらしく、和弓の扱いが手練れだったのは渋い一面と記憶している。もう一つ、お茶目といえば、千里丘から茶屋町に社屋が移転すると聞いて、なぜか吉野に移住するというミスをやらかす訳で、以後、薫兄のことを笑えない状況となる訳である…けど実は、薫兄とはガチ喧嘩ができる相手だったらしく、現役時はスタジオで鉢合わせると、相当ぶつかってた様である。それだけ、実はライバルとして認識してた訳であり、切磋琢磨する相手として意識してたという訳である。

 

 

でも、“屋根裏”な活躍しかなかったといえど、影響は大きい訳で、阪神大震災以降の朗読ボランティアが、のちにイベントとして確立するきっかけになってるのも事実であり、地味に存在感を示した功績は大きい。