迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

還暦祝いが派手になる傾向についてw

先日、森たけしアナが還暦を迎え、その祝いにと“す・またん”スタッフがエアバルーンを作成し、道頓堀川大阪城周辺で船渡御(⁈)を挙行した…という話が、当人のTwitter垢で公表された。

 

 今年に入って、ヲジサンや木村洋二アナも相次いで還暦を迎え、リスナーやファンから惜しみない、派手な祝い方をされた訳だが、こと関西に限った話をやると、前例となる事案がいくつかあって、特にMBSに限れば、高齢者再雇用の先鞭にもなる事案としてピックアップすべき話がある…と書けば、“あどラン”クラスタならお察しかと思われw

 

 

 

 

つまり、80年代後半から“局アナの還暦祝い&定年退職記念”を大々的に番組企画として取り上げるケースが始まり、一部は“定年後再雇用”という働き方改革までもたらした訳であり、それが何故か在阪局に蔓延して現在に至る訳である。その先駆けになったのが藤本永治アナであるのはいうまでもなく、その形式をあらぬ方へ拗らせた(てか、いろんな意味で焚き付けられて方向音痴になったw)のがABCにおける道上洋三アナに関する“トリセツ”であるw ま…未だに“社員扱い”の為、労務規定に基づいた勤務管理の下でレギュラー番組をやってる訳で、“おはパソ”が放送終了をしない限り、永続的にABCのアナウンサーとして籍が残ってる訳である。

 

道上アナより先に、別の意味でド派手な“定年退職”となったといえば、きよぽんな訳だが、コレもまた、番組企画の一つとしてやったモンだから、後に真似するバカが出る訳で、ただ…きよぽんの場合は、企画そのものがとんねるず絡みな訳で、カンテレ退職後すぐにアライバル(とんねるずの事務所)所属のタレントとして活動する事が決まってたからこその話であり、暫くの間“競馬好きのタレント”的な扱いで、トークバラエティ番組中心に、首都圏のメディアで引っ張りだこだった訳である。とは言え、契約時に原則として、関西圏での仕事を優先とし、また、競馬関連以外は断る旨をとんねるずに対して伝えてた為、初期の頃は場違いな事もやらされてたが、年齢的な事も踏まえ、最近では仕事量をセーブしてる訳である。(ただ…関西で競馬関連イベントに出ると、何故か毒吐くキャラに変貌するんだがw)

 

しかし、コレのさらに上行く大騒動となったのが、言うまでもなく征平ちゃんな訳で、出演レギュラー番組の中でやってたならともかく、この人の場合、わざわざ2時間特番としてやった訳であり、むしろコレを機にテレビからラジオの方にシフトしたと言っても過言ではない。(裏話すると、契約上半年間はカンテレがテレビ出演の交渉優先権を有してたのに、その裏をかいてABCのラジオスタッフが接触し、定年後ほぼすぐにラジオのレギュラー取った為、以後テレビに登場する機会が減ったw)

 

 

 

 

 

以上の話を踏まえると、長年ファンから愛された、局を代表する“看板アナ”だからこそ、多くのスタッフから感謝と惜別の想いがこもった、視聴者参加型セレモニーとして、“派手な演出”での還暦祝いとなる訳であり、その後の活躍云々は当人の健康状態と局の事情次第だが、昨今の長寿時代、そこに縋る番組制作は、あまり健康的とはいえない。コレも、人気者に縋り過ぎて、後継キャラの育成を怠ったツケなのかもしれない。

“正義感”の罪悪

大阪・住吉区で発生した小学生女児誘拐事件は、思わぬ格好で解決した訳なんだが、犯行理由を聞いた途端、ちょっと厨二病を拗らせたなとしか思えなかった。やった事自体は許されぬ話だが、その“発端”が“正義感”という感情であるなら、完全に人生詰んだ状態…完璧を求めた結果が、ちょっとした失敗や屈辱がきっかけで、自分自身を見失って“犯罪に手を染めた”訳である。当人は“正義”の名の下で起こした行動でも、他者から見たら鬼畜な所業でしかない。が、気持ちは解らなくはない。

 

 

 

 

 

では“正義”という概念の正体とは?あくまで端的な答えでしかないが、一言でいえば“自己満足なお節介”という事である。裏を返せば、“誰かの役に立ちたい”からこその行動力であり、他人からの評価で有能性、優位性を誇示したいからの感情とも言える訳で、その“対象”が誰なのかで変わる訳である。したがって、政府与党の“悪業三昧”を暴露して討伐する事が“正義”だとする概念も、野党の反社会勢力への関与を叩くことを“正義”と称えるのも、実のトコ言えば勝手論でしかない。もっとぶっちゃけると、どんな善悪も表裏一体の存在であり、一見不正のように見える行為でも、その影響がどう出るかなんてのは、一般的には“どうでもいい”訳で、不正を許すなと言ってる一方で自身が当事者となった途端、正当化しようと弁明するからどっちらけになる訳である。いうなれば、“こまけぇ事はいいんだよ、結果オーライなら”って訳で、その捉え方ひとつで正邪に分けるから、話の中身が拗れるのは、日常茶飯事な話になる。

 

今回の事件、そもそもは茨城県の女子中学生が家族に嫌気さして家出した事が発端にあり、そこに児童虐待が見え隠れしてると判断し、そこでSNSを通じて呼びかけて栃木県の自宅に“保護した”と容疑者は考えてる訳で、しかも“家族の下に戻りたくない”と勝手な解釈の下で監禁した訳であり、更に、女子小学生が母子家庭で,なかなか母親が自分に構ってくれないという事情を知った事で、拉致(当人は保護)に向かって、自宅まで連れ込んだ…ま、そこまでなら警察や当該自治体の保護機関に一報入れて事情を説明し、然るべき保護を受ける様にすれば、ここまでの大事には発展しなかっただろうし、そもそも自治体や警察の“民事不介入”という概念が、結果として育児放棄やDVの把握が遅れる要因になってる訳で、保護の遅れや発してるSOSに気付かずに対応が遅れるから事件に発展する訳である。

 

で、容疑者自身が社会に対する不信感と、プラスして“自己の正義感”に酔狂してるのと、厨二病あるあるな性癖(自分より若い、理想的な子を集めてハーレム化したい)に走ったからこそ、スマホを取り上げSIMカードを抜いたり、逃亡されない様靴やその他の遺留品(財布やバッグ類)を捨てたり、部屋も外からしか開錠しないドアにして、監禁した…となれば、もはやその“正義感”は無意味であり、犯罪行為でしかない訳である。当然だが、本当に家庭内暴力から逃げる為に家出をした子を保護してるのであれば、さっきも言ったが警察や自治体の保護機関に一報入れるのがスジであり、施設が使えないとか、行政対応で不備がある場合にのみ、自宅での保護を申し出るのが手順となる。ここの部分は、自治体の関係部署が状況を掌握してる以上、事後報告になってもお咎めなしな訳で、そうじゃないから“犯罪”となる訳である。つまり、負傷した被疑者を匿えば、犯人隠避で保護した人も逮捕されるが、その前に警察から情報があったり、救急車呼ぶまでの間応急処置を施すなどをやってたなら、事情聴取されても被疑者保護(というより、確保)に協力したとして、罪に問われない訳である。

 

 

 

 

 

 

むしろ、土地勘のない場所で、しかも素足同然の格好で交番探して逃げ出した大阪の女児の行動が勇敢で冷静だった方が驚愕であり、それで二つの事件が一気に解決した事を考えると、容疑者は“子供ナメ過ぎ”と言わざる得ないし、自分が掲げる“正義”が世間から“否定”された理由を理解する事はできないと思う。また、防犯カメラで“不可解な格好”をした女児が写ってたなら、その時点て無視するのではなく、警察に巡回を要請して保護する様促せば、もっと早く解決してた可能性はある。それが一つもできてない時点で、日本の治安は、相当悪化したと言わざる得ない。

 

教訓:メディアが流す大量な情報に惑わされ、自分の周囲に対する関心が薄らぐと、すぐそばで発してる“微細な救難信号”を受信できなくなる。犯罪は常に、自分のそばで起きると自覚せよ。

税金と交通インフラの話

こないだ、某テレビ討論番組で、観光地の災害復興に国や自治体が金出してやればいいのに、なんでできないんだって話をやってたんだが、そんなモン、有権者が“税金のあり方”をロクに学ばず、減税を求めた結果が“公益企業の民営化”であり、消費税を廃止したければ、さらなる公益事業の“削減”を受け入れなければ、財政改善を求める事は不可能であり、況や法人税増税は、就労者の賃金を必要以上にカットする事につながる。つまり、国や自治体がジャブジャブと公益事業をやろうモノなら、それに似合う税負担は当然のモノであり、それが嫌で納税を渋るなら、故に公益事業の民営化は待ったナシであり、民間企業である以上、利益が出ない事業は“やらない”のが鉄則にして、就労者の生活を約束する為に、時として世間から批判されようと、収益の見込める事業だけに絞るのは、経営努力の他ならない話である。

 

 

 

国鉄の分割民営化で、現行のJRグループが生まれた訳だが、これに関して今更になって恨み節を言ってるのは北海道と四国4県…首都圏を抱える東日本でも、東日本大震災以降の東北6県は、新幹線以外は3セク化や運行本数の激減が激しい。西日本とて、中国地区の路線は災害の度に部分廃止が相次いでいる。九州もまた然り…新幹線開業に伴う3セク化は、一見すれば利便性向上の様に思われがちだが、実は自治体の助成がないと運行できないほど、“利益がない路線”と見做された区間であり、“民営”だからこそ国交省に路線廃止(休止)の申請を出して“事業撤退”したいから、3セクに移行してる訳である。元から3セクである北大阪急行も、当時の大阪市が千里万博開催に伴う輸送見込みを甘く見て、国からの特例(公営交通機関は法律上、隣接する都市を跨いでの延伸ができないが故に、延伸特例を認めた)込みの打診を断ったが為に、大阪府と阪急で江坂以北の会場までの路線を運営する事業計画を立てたのであり、大阪市の概算予測を大幅に裏切る(期間中のべ6000万人の来場者が利用した)結果となり、現在でも“私鉄最安値の初乗り運賃”で潤沢な経営ができる程の収益を上げたのは、非常に有名な話である。(民営化で大阪メトロになって、2025年の夢洲万博で変な皮算用している様だが…w)

 

つまり、税金使って経営してる公益企業は原則、本業の収益が芳しくなくても、国や自治体の補填(要は税金の追加投入)で収支決算の帳尻を合わせることができる反面、収益は他の事業に回すことができない。よって、国鉄の分割民営化に伴う清算事業として、要らなくなった機関区や貨物駅の跡地を売却するには、法の下においての売買取引が必要だった訳で、民営化後の本州3社(東・東海・西)は都市部の一等地を売却し、経営基盤の補填に回せたが、僻地3社(北海道・四国・九州)は逆に、売却先となる事業者が見つからず、土地が売れ残る状態な訳である。(九州は最近になって、観光列車の需要や福岡県内の宅地開発で利益が出るようになったから、本州3社同様に株式上場まで成長したが…)民営企業は公的資金(要は税金)による支援が限定的でしか受けられない反面、沿線の土地開発や他業種への事業展開など、収益をグループ会社で管理し、様々な運用ができる。故に、収益が見込めない事業は、見切りつけて撤退したり、同業他社に売却する事もある。だから、阪急と阪神がグループ会社として経営統合したり、近鉄が一部路線を3セクに経営を移譲したり、西武が近江鉄道の経営に関与したりするのは、そういう経緯によるモノです。

 

もちろん、自治体の要望があれば、それに伴う整備計画に鉄道会社も協力はするけど、それが利益に結び付くか否かによって態度も変わる。故に、“札束ビンタ”が重要になる訳で、北九州モノレールの経営改善に対して、沿線に小倉競馬場があったからJRAが“関連施設周辺の整備事業費”という名目で北九州市JR九州に“札束ビンタ”したから、小倉駅直結のモノレール駅整備と、運営資金の援助をやった訳であり、京阪淀駅周辺の高架化事業も、京都市よりもJRAの“札束ビンタ”が勝ってたからこその事業内容だったから、ああいう風な構造になったと推察してもおかしくない訳である。つまり、如何なる整備事業も“スポンサー次第”ってのが民営による公共交通機関の“整備事業の泣き所”であり、それ故の批判をやるのであれば、主要スポンサー以上の運営費や整備費用を確保した上で臨むべきである。それが“できない”からといって国や自治体の“税金による補填”をアテにするのであれば、それこそ増税に対する批判は“的外れ”であり、その結果がJR北海道と四国の衰退ぶりだと認識した方が賢明である。

 

 

 

 

 

 

災害時において、迅速な対応ができる自治体とは、常に災害発生時を想定したシステム構築と、そのための整備費を確保した上で、交通機関事業者相手に交渉する訳であり、また、平素でも沿線住民が当該自治体住民である以上は、整備事業費の一環として運賃の助成や工事費用を折半してる訳である。堺市とて、阪堺電車によるLRT運営構想を提案し、整備を行う一環で、堺トラムや運賃助成による“全線均一運賃”を実現させてる訳であり、南海バスに対しても、中心街周回路線に対して運賃助成をやってる訳である。コレが無ければ阪堺も、とっくの昔に我孫子道以南の廃止をやってるだろうし、南海バス堺市の無茶振りに振り回されずに路線の統廃合を、もっと進めてると思われる。大阪市が交通局を廃して地下鉄とバスを“分割民営化”したのも、税金の問題であり、市民税負担を軽減した上で、所有する土地や施設の売却や再開発を促す狙いがあっての話。そこを踏まえずに国や自治体の財政問題をピーキャー言うのであれば、まったくもって“小学校から社会科学び直せw”としかよう言わん。(とはいえ、神奈川県と千葉県の対応の悪さに関しては、自治体そのものが“税金泥棒”としか言えない様な状況だけに、正直、呆れるしかないというか、県民が気の毒というか…ry)

なにが問題な訳?

先に、ここんトコ更新が滞ってた件について、一言でいえば体調不良で寝込んでました…緑内障の定期検診前日に眼圧上がって視野が無くなったのを皮切りに、その処置(眼球からの水抜き)した翌日に、糖尿病定期検診行った後で高熱と吐き気でうなされ、丸2日間飯喰えなくなる(しかも出汁の匂い嗅ぐだけで嘔吐する)わ、水以外の飲み物を受け付けなくなるわ、寒気が止まらんわで、オカン行きつけの内科で受診したら、腎盂炎(腎臓に雑菌が入って炎症を起こす疾病)に伴う発熱と、胃が過剰防衛で薬物(インスリン抗生物質等)の受取拒否をしてたという診断が下り、しばらく栄養補給の点滴をしてました…いやまいったね、オマケに脱水に伴う貧血までやらかしてるから、医師から水飲め言われるわ、糖尿でも飯喰えんのなら炭酸飲料ガブ飲みしろとか言われるわ、血糖値計ると低血糖になってるわで、てんやわんやでしたw

 

 

 

 

 

さて…何がなんでも安倍政権を終わらせたい野党が、政府主催の観桜会に関してイチャモンつけてる件について、そこまで文句を言った以上は、自分達が政権取ったら、即刻“廃止”したら良いだけの話です。しかし、社会党政権下であれ、民主党政権下の事業仕分けでも、観桜会を金輪際“やらねぇよ”って言った試しはないどころか、自民単独政権時代…それも、吉田茂内閣時代からずっと継承してきたことを、今更ツッコミ入れてる時点でナンセンスであり、そこしか話題にしない…できない野党なんぞ、まさしく税金泥棒です。広く民衆の要望を聞いて、どうするべきかを問うのが政治の本筋であって、その為の、公聴会以外で肩肘張らずに交流する場であるなら、私物化しても問題ない範囲です…公職選挙法そのものが時代にそぐわない規定のまま、抜本的な改正をやるのがスジなのに、なんで気付かんかなぁ…

 

あ、ビュッフェ形式の会食の料金設定がどうのって言ってる人に解説しとくけど、ホテルや旅館で親睦会形式の食事会プランってのは、実際の価格設定は、館内レストランで個人でフルコース注文するよりも安くしてあって、しかも、弁当(懐石)形式ならともかく、ビュッフェ形式の場合、参加人数分よりも少なめ…大袈裟にいえば半分の量しか準備してないんよね。つまり、“食べない”人も含まれる前提の話で、ケータリング(出前)による会食でも、オードブルセットの内容が、デカ盛り食堂級になってる業者は、ひとつもないです。

 

もっとも、おせち料理でも、一流料亭の“豪華盛り”といっても、重箱の大きさが決まってるからともかく、実際を踏まえると、大飯食らいな4人家族であの量だと、ほぼ夕食までには空になりますw ただしそれは、あくまで“選り好みせず”全量を食べればの話であり、家族構成や料理の内容によっては、それが“食べられない”人もいる訳であり、故に、実際の人数分より少なめに設定しておけば、結果オーライな訳です。つまり、食材の無駄を極力なくすには、最初から“少量”設定で“無理せず消費できる”状態で提供してるって訳です。(古い家ほど、アホ程煮炊き物や焼き物、酢の物等を用意して重箱に詰め、親族縁者に振る舞うならともかく、結局食い切れずに新春早々の生ゴミ回収日に、大量の残飯として捨てられる事を踏まえると、仕出し屋やデパート等で扱ってるのって、ホント計算された分量だなって、つくづく思うぜ)

 

あと、ホテル・旅館の宿泊費についても、個人で“直接”宿泊施設に予約や連絡入れて、あるいは当日飛び込みで部屋を確保した場合と、旅行代理店や比較サイト経由で予約する場合で価格が大幅に変わるのもカラクリがあって、パックツアーでもないのに低価格でリゾートホテルを利用できる人がいるのは、旅行業会あるあるな“包括提携”に基づいた取引があって、そこで宿泊施設と利用者の仲介を行う事を旅行代理店が引き受け、施設はその分を利用料金から差し引いて、利用者に提供する訳です。要は、代理店経由で予約した場合、フリープランで旅行日程を組んでもパックツアーと同等(場合によってはさらに格安)の価格でイケるのは、旅行代理店の方で“団体割引”を宿泊施設に対して適応させてる訳であり、人気プランであればあるほど、最小参加人数が団体割引が適用される人数(だいたい25人前後)に満たなくても、年間トータルすれば無問題って訳です。(日帰りバスツアーが安いのも、実はこのカラクリがわかると、自ずと納得できる訳でw)

 

もちろん、チェーン展開してる宿泊施設の場合、クレジットカード利用者特典とか、常連会員登録しておく事で、通常よりも宿泊料が割引になったり、誕生月や記念日に利用した場合にサプライズ特典(ウェルカムドリンク&スイーツサービスや、記念品進呈等)が付いてくる場合がある。コレは、顧客データがあるからこその話で、GAFAも含めたこういう“利用者情報”は、旅行業界でも貴重な財産であり、また、厚労省からの指示で、各管轄保健所に営業届を出さないといけないのは、感染症(特に食中毒)のトレーサビリティとして、宿泊利用者は顧客名簿への記載が義務付けされてる。当然、施設内で飲食を伴うイベントを行う場合、そこに出席した人全員の氏名が記帳されてる訳だから、観桜会前日の立食パーティーで食中毒が起きたら、会場を提供したホテルと、料理を提供した飲食業者(ケータリング含む)は、事実確認が出来次第“営業停止”となる。(食品衛生法とかに基づく行政処分)大手はもとより、個人経営の飲食店にとって、手前の不手際によって引き起こされた食中毒による“営業停止”は、完全に死亡フラグだ…

 

 

 

 

 

 

ガチな話、参加者名簿を“証拠隠滅”した事は問題視すべきでも、旅行業や飲食業の“経営努力”に対してまでケチ付けるのは、愚の骨頂。そこまで噛み付いて、文句言ったからには、それこそ“自己完結で4649”な訳で。だからオイラが一人で気ままに旅する時は、出来るだけ“自己完結”する様に事前準備を行い、なるだけ“他人の手を借りない”事を、自分の信条としてやってきた訳である。それでも“迷惑”を他人にかけるのは、“一人で自己完結”には(経験や体力、知識など)限界がある。だからこそ、学ばないといけないし、疑問に思うことでも“自分で調べる”事を優先にすべきであって、そこに正邪は関係ない…いくら“正義”を口に唱えて相手を殴っても、それによって相手以外の他人が迷惑と感じたら、それは“悪”でしかない。いくら“悪”でも目の前の弱者を救済する為に施す行動であったなら、それは一概に“悪”とは言えない。真の“正義”とは、一切悪を“自分の宿業”とみなし、それを背負った上で救世(くぜ)に邁進する心意気だと思う。

 

避けて通れぬ、小動物とトラブル小噺

10月31日に発生した京急の停電…その原因が、屋外電気設備にヤモリが侵入し、ショートした事によるモノという事だが、実はこういった機材トラブルは現代社会の抱える問題であり、特に電気系統のトラブルは、些細な事で大停電に至る為、管理上常に頭痛のタネになりやすい。水没対策や埃除けはやってても、ゴキブリも含めた小動物が絡むと、万全な体制を取ったつもりでも失敗することが多い。

 

 

 

 

 

結構有名な話ではあるが、JR和歌山線JR五位堂駅付近では、近所の水田や溜池から亀が出てきて、ポイントマシーンに挟まる事による信号トラブルが頻発してた。そこでその対策に頭を抱えていたところ、ポイントマシーンの下にU字溝を仕込み、亀を落とす様にしたところ、トラブルの発生が激減した…根本的な解決策とは言えなくても、地域特性や生態系の事情を踏まえれば、結果オーライなのはいうまでもなく、原因が判らずに手を拱いてる訳ではないから、これはこれでいいのである。

 

農業やってるといつも悩まされるのが、田畑での“獣食被害”…地域や時期によって様々と違うが、猪と鹿、猿はガチで年中問題になり易い。特にこの時期は、冬場に向けて体脂肪を貯め込み、飢餓と寒さに備えようと食欲旺盛で、見つけ次第駆逐しないと厄介…特に軟弱葉物野菜は、鹿にとっちゃ貴重な“冬のご馳走”だから、一度味しめると、毎度の如く襲撃対象になる為、電気柵や防獣ネットの設置が重要になり、コレが甘いと、洒落にならん食害を受ける事になる…猪も、梅雨時から収穫前の田圃に侵入しては“泥浴び”をするモンだから、罠を仕掛けて駆逐しないと、コメの収穫に響く。果樹農家だと、猿と鳥…それこそカラスやスズメならともかく、場合によってはウグイスや絶滅危惧種メジロ等、難儀なモノまで“敵”になる。

 

話が逸れたんで、小動物と電気系統のトラブルに関しての話に元に戻すと、対策として防塵シールドの強化や排気口部分に目が細かいステンレス金網を仕込んだりしてはいるが、それが仇になってたりする…定期点検や整備の際に設備の点検用扉の開閉をやってると、その隙に虫やネズミが入り込んで、そのまま閉じ込めてしまったり、防塵シールドのパッキンの一部が経年劣化で破損してても、その交換が容易でないが為に、その破損部分から侵入を許してしまう訳である。特にネズミが侵入すると、田舎なトコだと自ずとヘビが獲物を追いかけて侵入する事もあり、また、齧歯類(ネズミやリスの仲間)は光ファイバーケーブルや電線を木の枝や蔓と勘違いして齧った挙句、巣作り部材として持ち去る事も…(自宅でCATVが映らなくなって原因調べたら、光ファイバーと同軸アンテナケーブルが齧られて断線してた経験アリw ちなみに、ホームモデムもイカれてた為、プロバイダから無償交換受けました…)

 

小動物にとって、これからの時期はそれこそ、家電や電子機器から出る排熱は、それこそ鹿の食害同様に生命維持の為に重要な熱源であり、故に隙あらば入り込みたい訳である…JAFや自動車関連の事業者団体がこの時期から呼び掛ける“猫バンバン”と同じで、故に“暖房が効いた部屋”に閉じ篭りたいあまりに、変電設備に侵入して感電する訳である。当然、電線齧って感電したネズミに金属片が付けば、そこから電気(通電)火災に発展する場合もある。今回のケースでは、ヤモリが感電して焦げた程度で済んだものの、最悪は変電設備が爆散してた可能性もある。そうなると、本当に些細なミスから大惨事…という、笑うに笑えない事態になるのである。

 

 

 

 

 

 

 

首都圏のタワマンが、水害で悲惨な状態になったのは、こういった大掛かりな電気設備の設置箇所が、地下に設置しているからと、その防水対策が全然できてなかったが故であるが、これ以上に小動物…特にゴキブリとネズミは、侵入を許してはいけない“究極の天敵”である。これらが隙を突いて侵入し感電事故を起こせば、エレベーターも給水ポンプも動かなくなり、復旧までに時間を要せば、最上階の住民は地獄絵図を見る羽目になる。(去年の大阪北部地震の時でも、義母の転院当日だった事もあって、エレベーター使えずに難儀した挙句、後日腰痛が…w)病院ですら、入院患者によっては生命維持の機器が動かなくなれば、最悪、それが原因で死ぬ事になる。だからこそ、小動物による電気系統の事故だけは、できれば御免被りたい話である…鉄道で動物との衝突(接触)事故なんて、もっととんでもない話で、現時点では新幹線とぶつかってミンチになる事案は人間以外では聞かない(いや、人間ミンチの方が恐いだろうがw)ものの、在来線の地方線だとそれによる運休や遅延がよくあるから、大回り乗車フリーク(?)にとっちゃ、ガチで頭痛い話で(ry

この世はまさに“大貧困”時代なのかもしれない…

前回(10月23日更新)の流れから、今回は宗教哲学に絡んだ部分も含めた、昨今の富裕層と言われる人々の傾向について。政府が公費で国賓を接待した件で、SNSの意識高い系アカウントが政府をボロカスに叩いてるのは、毎度ながら“お約束”と言わざる得ない程のレベルだが、根本的に、国家レベルの要人を接遇(要はおもてなし)するのは、国際社会において交渉事をやる上での礼儀であり、招かれた要人もまた、分相応の礼儀を重じて正装を纏う。そして、何よりも国の品格とは、この接遇に対して、如何に恥を掻かずに相手を満足させ、対等な立場で物事を進めるかに掛かってる。故に、最高級の食材と、品位ある調度品、万全な警備体制を備えるのであって、雑多なスラム街に、一つでも場違いな程品格ある料亭旅館があっても使い勝手が悪いし、警備の都合で山奥に迎賓館を作ったとしても、その道中のインフラ(特に道路事情)が悪ければ、招かれた賓客も大恥を掻く事になりかねない。

 

 

 

 

 

昨今の“大富豪”…特にIT関連で億万長者になった人に多い“ミニマム生活”という習慣は、一見すると貧乏臭い見映えだが、それが格好いい風に見えるのは、自分の体型や生活習慣の改善があってこそ成せるモノであり、当然、さりげない贅沢をやった上での話だ。つまり、ファーストアパレルでトータルファッションを調えていても、時計や靴、アクセサリーに品の良いモノを身に付けてたり、上質な香りを纏っているなら、決して“ミニマム”とは言えない…そう、安っぽい格好でも、自分の拘りで選ぶ最高級の何かを、さりげなく使い熟すからこそ“格好いい”のであり、逆に、これ見よがしにブランド品でゴリギリに身を固めようが、貴金属アクセサリーを持ってても、そして、体質に合わない香料(安物の香水や芳香剤等)で体臭を誤摩化したトコで、そこには品位も何もない…ただただみっともないだけである。

 

そんな事も知らぬ人ほど、政府や皇室批判に躍起になる訳で、ある意味無責任な僻みを述べてるに過ぎない。もっと言えば、国産の最高級食材を供するのが許せないと言ってるなら、それは全国の農家を敵に回す行為であり、漆器工芸家具を“贅沢品”と叩くなら、それは日本中の工芸作家を愚弄する一言になる…当然、道路整備や防災対策を“税の無駄”と斬り捨てたなら、今回の広域での水害被害はそのツケであり、宮中行事を中止しろと言い放ったのであれば、被災地へ皇族方が慰問される事を断るべきだ。何故なら、本物の富裕層とは、有事の時程私財を抛げうって地域の災害復興に尽力するだけじゃなく、海外要人に協力を呼び掛ける…その為の接待であり、実情を把握する為に外を出歩くのである。そこに掛かる費用など、これから必要となる災害復興や防災整備事業、更には国際間での諍いを避ける為に必要な最低限度の防衛力維持を踏まえれば微々たるモノであり、それらは巡り巡って、必ず自分の生活環境にも反映されるモノである。

 

なのに、それでも政府や皇族に批判的な意見を言い放つ人は、どんなに資産を持っていようが、どんなに優れた学歴を誇ろうが、結局は“それだけ”のビンボー人ですw 正確に言えば、礼儀や所作を学ばず、正しい経済の仕組みを知らず、単に他人よりも“自分”の有能さに自惚れて、周りが見えなくなった、“精神貧困者”です。豊かさとは、金銭の有無でも、学歴的優劣でもなく、心の…精神的な充足感が有るか否かです。つまり、金銭や物質的には他者が羨む様な、一見すれば大富豪でも、血縁関係ある家族に対しても不信感を抱えていたら、その時点でその人の価値観には金品以外“存在しない”から、どうしても溜め込むのです…虚しさをなんとかして埋め合わせようと。それ故に、たとえ地元地域が甚大な被害に見舞われようと、一銭も金を出さずに遠方へ逃げたり、敷地内に避難しようとした人を排斥したり、避難所の配給される食糧を独り占めしようと躍起になるのです。当然ですが、こういう人程、自衛隊の救援が遅いと文句言うし、税金払うの渋るくせに河川の氾濫を“行政がお粗末だw”と罵るし…

 

 

 

 

 

 

そんな“世間知らずな金持ち”が世界中に蔓延ってたら、そりゃ、誰も彼も、世界中どこでも“大貧困”ですわw 何度も言いますが、親政(独裁)政治を布く国であっても、分相応に民衆の“生活を守る”為に散財してたら、誰も文句言いません。社会共産主義でも、宗教倫理に基づいた国家運営をやってるのであれば、多少の齟齬があっても、社会を支え合う基盤が崩れる事はありません。しかし…歴史上これらが“否定”された背景にあるのは、すべて“心か貧困”だからこそ、民衆は暴挙に出て、“自らの意思”で破壊したのです。その上で“新しい国のあり方”を模索するうちに疲弊し、元の木阿弥に堕ちる訳であり、いつまで経っても“恒久平和”の実現ができないのです。何故なら、“豊かさ”を求めるうちに、充足感が麻痺し、本当の“幸福”そのものを、いつしか捨て去ってしまってるからです。だからこそ、少し立ち止まって考える事も、その為に心身共に休む時間も必要なのです…そこに気付かせるのが、宗教の本意の一端であり、その哲学に立脚した概念がある人こそ、本物の“大富豪”なのです。まさしく『蔵の財より(中略)心の財第一なり』なのです!

皇室は“独裁者”ではなく、日本国民の“あるべき模範”です。

今月22日に行われた天皇即位の儀式、SNSでのTLを散見すると、とんでもなくファンタジーな現象が起きたと、軽く明るい話題があった訳だが、日本がこういうノーテンキな国でいられるのは、天皇という存在に対する根本概念自体が、政治とは全く“別なモノ”として捉えてる部分があり、また、国という組織そのものを“宗教”として考えると、その頂点に据えられた存在は、“神の化身”であると同時に、国家安寧に不可欠な“生贄”という位置付けだからこその“奇跡”とも言えるかもしれない。つまり、古来より国を司る“神聖な人柱”である事が、皇室の長とも言える天皇のあるべき姿であり、故に、現代社会に於いて、政治を国民に信託し一線を引く事で、日本は“民主主義国家”として成り立ってると考えた方がスマートと言えるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

さて、皇室行事に対し、一定数の批判的意見も散見される訳だが、こういう意見で目立つ“税の無駄”という意見は、正直いえば完全に的外れだし、宗教儀式に政府官僚や大臣が関わるのはよろしくないという批判もまた、憲法が定める“信仰の自由”そのものを履き違えてると言わざる得ない。ま、宗教関連については後日、学会員の立場として纏めてやるとして、所謂“人民解放革命”と表して皇室行事を批判する連中に対して斬り捨てる話をやっておこうと思う。それは、世界中の絶対王政、あるいは立憲君主制国家とは、大まかに2つの姿があって、一概に“王に隷属”という考えは間違いだって話である。独裁政治とて、成り行きでそうなっちゃったトコと、当事者が単に支配欲が強過ぎて拗れたのとでは意味が変わってくる。

 

王侯貴族による統治が行われてきた国には、日本や英国王室の様に、政治に関しては国民に信託し、基本は国際交流の場や有事の際に表舞台で民衆を鼓舞させる位に留めるトコもあれば、中東諸国の様に直接政治に手を出して、民衆の生活や安全を守る為に奮闘するトコもある。当然、最高責任者の地位が、国によって(価値観も含めて)差異があるが、根本的な部分はほぼ同じである…が、問題は、王室(皇室)や責任者が本当に“悪の権化”ではないのに、不平不満をブチ撒ける標的にして、それを倒す(あるいは消滅させる)事を主眼に“革命”を叫ぶ人が、実力行使の名の下に暴力を振るう事である。確かに、フランス革命ロシア革命は、最終的に皇帝貴族を“公開処刑”して民主化共産国家へと変貌したが、コレは、その前提として王侯貴族や一部の官僚による横暴な政策によって民衆が苦しめられた…という“前提条件”が存在し、この件においては、古来に日本(てか大和朝廷)でもあった話であり、崇峻天皇もそれが理由で家臣に殺害された訳である。

 

しかし、それで“民衆解放”となったかと言えばそうじゃなく、単に支配階級が変わっただけで、庶民が本気で求める“解放された自由な社会”とは程遠い、政治的混乱が余計に酷くなったのは、歴史の流れ上、毎度の如く発生してる訳で、そこからやっと、“自由”の本意に気付いた民衆が、自らの襟を糺し、あるべき国家運営の模範を築いてきた訳である。つまり、支配者となるべき人物が抱える、本質的な“欲望と闇”を、いかに見抜いてコントロールするかが、親性王政(王室の気分次第で行う政治)から脱却を図る民主国家の課題であり、また、社会共産主義国家でも、同一の問題があって、そこんトコで一悶着があった訳である。故に、“マルクス・レーニン主義”を標榜しソビエト連邦を纏めたスターリンは、事もあろうにレーニンを神格化して、その“正統後継者”と表して、反対意見を唱える他者を次々と“始末”した訳であり、その範に習って同じ事をやったのが中国の江沢民毛沢東の意思を継いだとしてやった“文化大革命”なる暴挙であり、カンボジアポル・ポトとその一味がやった大量虐殺である。(で、そこに便乗して問題を起こしたのが金日成であり、朝鮮半島の歴史問題において日韓関係が毎度拗れる背景にあるのが、実はここだったりする訳である。)

 

“親性”という言葉が出てきたが、コレは最高責任者…国家元首による独裁の言い方を変えたモノであり、要はトップダウンで物事が決まる、議会や家臣の忠義を全く無視して、“最高責任者”という権限のみで傍若無人な政治をやる方法ではあるが、何もそれ自体が“悪”であるとは限らないのであって、有事の際…特に大規模自然災害(今年の台風19号による広域での大水害や、東日本大震災の様なケース)が発生した時に、チマチマと議会を招集して討議するより、一発号令で救援や復興に予算や専門家を派遣する分には有効な手立てである。状況の把握に時間を割くより、とりあえず被災者救助の為に軍隊(日本の場合は自衛隊)の派遣と、生活再建に必要な最低限の“見舞金”支給を、財政に構わずやれるのが“良き独裁者”とも言える訳で、その際に自分に不都合な存在を排斥する行為をどさくさ紛れで行えば、そのツケがどっかで生じる訳である…今日のドイツでヒトラーが嫌われる最大の理屈がそれであり、特にユダヤ人差別のみならず、LGBTに対しても批判的で排除対象だったのはいうまでもなく、先天性の身障者も、有無も言わさず“処分対象”となったのは、あまり知られていない“闇”である。

 

 

 

 

 

話があらぬ方へと吹っ飛んだんで、日本の皇室批判に対する勘違いを一言で斬り捨てると、今の皇室は室町時代(てか、南北朝時代)以降、殆ど“御飾り”状態であり、国家元首という意味で、自らの意思で政治に関与した事は、全くと言ってない。昭和天皇ですら、結局は当時の軍部や政治家に立場を(大日本帝国憲法に基づいて)利用された訳であり、むしろ終戦後にGHQ相手に、戦争責任として命を抛つ事を厭わなかった…つまり、“民のため”という一言をもって“A級戦犯”として処刑される事を望まれた訳であり、それを止めたのが、英国王室と国家だったのはいうまでもない。(ま、その裏に、ソ連の思惑を牽制する、アメリカの策略もあった訳だが…)そういう事も知らずに、皇室を批判するのであれば、日本で生活する分には別に放っておくが、それを理由に暴力を振るい、巻き添いで無関係な民衆を一人でも傷付ける事は、日本国民として絶対許してはならない…日本国民は誰一人として、皇族に隷属してるのではなく、“対等な存在”として認めているからだ。