迷馬の隠れ家 はてな本館

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MBSと山桃の話

よく、MBSの関連事業の話に“ミリカ”という言葉が出てくる。ラテン語で“山桃の古木”の意味で、なぜか千里丘放送センター周辺の施設に用いられる事が多い。また、MBS著作権管理会社の名前も“ミリカ”が付く。実はこれには、千里丘放送センター開設にあたって、深くて不思議な“物語”が存在する。ま、今回はそんな謎をオイラが調べた範囲で解説しようと思う。(詳しい事は、大阪府立中央図書館で“毎日放送50年史”なる歴史資料でも一読してちょ。確か中之島図書館でも置いてたと思う。)

MBSは開局当時(この時はNJB新日本放送と名乗ってた)、阪急百貨店の屋上にラジオのスタジオを構え、のちにABCとモメた末にABCとの合弁会社だったOTVからスタッフを撤収し、改めてTV放送免許を取得し、堂島の毎日新聞社の一角に本社機能とTV用のスタジオを作った。が、TVとラジオのスタジオがバラバラで、両方で仕事をしようと思うと、スタッフはいちいち移動しないといけなかったので、どうにも不便だった。そこで当時のMBS幹部役員は、新たにラ・テ兼営局としての総合的な放送スタジオを作ろうと計画し、そのための用地を探していた。候補地の条件として、スタジオ機能をすべて一カ所に集約できて、生駒山(TV用)や高石(ラジオ用)の送信所に電波を飛ばすのに電波障害の心配がなく、しかもTVドラマ撮影や音楽のレコーティングに最適な安定した電力が供給されやすい場所等が挙げられた。(どうやら社員の通勤の便は、この時は二の次だったらしい…苦笑)最初は国鉄(現在のJR西日本)の吹田駅付近等が候補になってたが、どれも将来的な部分でイマイチだったらしく、計画そのものが頓挫しかけた。その時に、千里丘のあの場所に目をつけたのである。
未だ、住宅地として整備される前の千里丘は、鬱蒼とした竹林が周囲を取り囲み、その頂には相当古くから生えてたであろう山桃の大木が緑の葉を茂らせていた。そこから眺めた風景は、ちょうど大阪平野を見下ろし、空も広々と開けていた。そこでココにスタジオを建設する事となったのである。(後の話だが、すぐ近くで大阪万博が開催される事となり、このスタジオはプレスセンターとして機能するという“大役”を果たす)
で、その“先住者”である山桃を、スタジオ建設後も大切に育てようと当時の幹部達は誓ったのだが、スタジオ完成後、この山桃は残念ながら急激な環境変化に耐えきれずに枯れてしまったのである。そこで幹部役員達は、その枯れ木に哀悼の意を表し、スタジオの片隅に山桃の精霊を祀る碑を建てて供養した。そして、自分達に土地を譲ってくれたその山桃に感謝する意味を込めて、千里丘放送センターの関連施設や著作権管理会社の名前に“ミリカ”と付ける様になったそうな。
現在でもこの言葉は、千里丘放送センターで仕事する際の隠語として、またMBS関連の一般的な表現として関西のマスメディアでは広く使われている。また、“千里の湯”(MBSの温泉施設)の源泉名も“ミリカ天然温泉”となっている。