迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“政教分離”ってなに?

掲示板のニュース枠で、カチンとくる記事があった。そろそろ参議院選挙が近い事もあって、各政党のマニュフェスト批判や目玉候補者の話題が目立つが、毎回同じネタ(しかも同じソース)でムカつく話題がある。それは、公明党創価学会に対する批判である。以前にも書いたが、こういう事を書いてるバカは見当がついてる。しかし敢てその“犯人”に関しては伏せておくが、コイツらにとって“宗教”というのはウザい存在でしかないのかも知れない。ならば問いかけたい、その選挙事務所に飾っている“勝ち達磨”は、どこの寺院で祈祷を受け飾ってるのかと…。

念のために解説しておくが、政教分離とは、権力者が特定の宗教団体に圧力をかけたり、国民に特定宗教を強要する事を禁じてる…つまり日本国憲法下において保証されている“信仰の自由”を侵害する行為を避けるためのモンであって、宗教団体が政治に口出したり、意見を言ってはいけないというモンではない。言い方を換えれば、どんなおまじないをしようが、ドコの宗派で葬儀・法要をやろうが、どんな神様を祀ろうが、それが“信仰”として定着しているのであれば、たとえカルト集団のモンであっても(苦笑)、日本の国籍を保有してる以上は“国民”であり、政治に対する批判を行なう権限がある。ゆえに、その者に対して権力を用いて弾圧を行なうという事は、よっぽどの事(詐欺商法を展開したとか、多数の信徒を監禁し拷殺したとか…)でない限り、宗教団体を政府や管理自治体(宗教法人法によって、宗教団体を設立した際は、本拠地となるトコの都道府県知事の許可が必要)が勝手に“解散命令”を出す事はできない。(で、コレを悪用したのが、例のカルト教団でして…w)
ちょっと面白い話をすると、どんな政治でも宗教の思想が関連する部分というのがあって、例えばイスラム文化圏では、裕福層が国家に代わって公共事業を行ない、それに関する費用(光熱費や医療費等)をすべての国民分を“肩代わり”する風習がある。(特にアラブ首長国連邦の一部では、国民は税金を払う必要性がないんだとか。)つまり、税金を国家に納めるのではなく、国家の事業を“購入”して賄ってるという訳である。(確か、モルディブでも裕福層の税金を取らない代わりに、慈善事業を国民に無償で提供するというルールがあったと思う。)仏教の思想(特に法華経)でも、基本的に男女は平等でありそれぞれの役割を決めつけるのではなく、各々が能力や実績を開拓する権利がある事を説いている。
この思想に対して真っ向から否定したのが、キリスト教から派生しているハズの社会共産主義である。てもの、マルクスレーニンの考えは、金満主義に溺れ腐敗・堕落したキリスト教(特にカトリック)を批判し、彼等に媚びない社会制度を作るべきとして立ち上げたのが、信徒同志での“共同生産”という発想であって、コレを社会全体に広げたのが今日知られる共産主義の“根源”である。しかし、この思想を“悪用”したのがスターリンであり、カンボジア国民を長年苦しめた独裁者ポル・ポトである。(そういや、ポーランドの独裁者もだったなw)よって社会共産主義は、その指導者が根本的に社会理念を歪曲させて利用する以上は、どんな宗教よりもタチが悪い“思想管理”が行なわれる危険性があるとされている。故に、北朝鮮の“異様な”指導者崇拝も、中国の一部で発生してる“常識外れ”な事例も、結局は確固たる思想の源である宗教を批判し排除した結果である。
そういった事も知らずに、いつまでも宗教哲学を嫌うのであれば、それは単なる僻(ひがみ)であり、臆病者の態度である。他人を陥れる様な卑劣な政党は、結局“公約破り”を繰り返すだけである。