迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

活用しなきゃ、無意味だなw

昨日、書きかけたネタ、リベンジですw
“作業仕分け”と銘打って、無理矢理公共事業の中止や延期を決めている様だが、それって、本当に“必要”な作業でしょうかねw 重要なのは、今まで無駄にした公共事業そのものを、如何に活用するかであって、必要以上に公共費をカットすると、逆に税金そのものが減ってしまうというパラドクスを生む。つまり、本来、民間業者であれば施設使用料や光熱費などを、利用者に負担させて運営してる訳で、それを国や自治体が税金を使って運営してるから“無償”なのだという事を、利用者自身が知っとかなきゃいけなかっただけの話である。高速道路の“通行料”にしろ、新幹線の“特急料金”にしろ、成田空港や伊丹空港などで徴収される“空港利用税”にしろ、すべてを税金で負担させるとなると、恐らく、一般サラリーマンの給与のおよそ8割を捻出しないと賄えない…と思う。つまり、そこんトコの感覚がないから、とんでもない勘違いで、一番大切な“国民の生存権”そのものが知らないうちに蔑ろにされるという事だ。

ま、こんなこと言っても、今の政権に対する僻みにしかならんが、だからこそ、こっちは言いたい放題言えるといっても良い。
例えば、農地でも所有者が高齢になって、耕作を放棄した土地も、就農を希望する者に対して定地借や譲渡する事で、新たな収入を得る事も可能だし、なにより里山保全にもなる。てのも、若い頃に開拓したは良いが、年繰って山中に入るのが億劫になると、それが原因で土地が荒れてしまう。つまり、定期的に人が入って手入れするから、山の森はその保水性や土のph数を保持できる訳である。以前にも書いたが、“海涸れ・磯涸れ”の原因も、河川からのミネラル分不足が原因であり、それを回復させるには、河川周辺の森林の保全が重要である。それを知らないうちに請け負ってたのが、山間部の農家だったという訳だ。
ダムを作ることが“無駄”というならば、上流域はともかく、下流域の住人はどうなるかという事を、考えておかないといけない。ダムなしで水害を防ごうと思えば、簡単な話、下流域に人が住まなきゃ良いだけの話です。が、それでは何の問題解決にもなりません。なぜなら、下流域住民の立退料や生活保障が、上流域で立ち退きを余儀なくされる人に比べて半端じゃないからです。(単純な話、人口が多過ぎるからです。)また、ワザと洪水を起こして被害を最小限に防ぐ為の工夫を施すにも、その“遊水池”という場所をどこに作るかによって、様々な問題を引き起こす可能性があります。(よくある部落差別でのパターン)
港湾事業等の交通インフラの整備も、また然りで、一見“無駄”に見えるモノでも、実際に利用する人間からすれば、非常に便利な事が多い。まして、その“無駄”が時として“必要”な事もある。現在、小惑星イトカワから帰還中のMUSES-C“はやぶさ”も、本来なら必要ないと思われた回路が、ここに来て役立っているからこそ、何とか地球を目指す事ができる訳であって、もしもそれを搭載していなければ、恐らくどっかで止まったまま、宇宙のゴミと化していたトコです。こういうトコにも、いわゆる“遊び”が役に立っているのです。
つまり、どんなに作業仕分けで“無駄”を削ったとしても、使い道を間違えている以上、単なる守銭奴に成り下がるだけです。国民が納得する…否、理解して合意を得られる結果を出さなければ、この作業そのものが“税金の無駄遣い”と批判される事になるのです。ま、野党側の人間からすれば、そうなってくれた方が、政権奪還しやすくなるんですが…w