迷馬の隠れ家 はてな本館

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社会ルールと民族差別…“郷に入れば郷に従え”はナマーか差別か?

信憑性の無い情報は、あまり鵜呑みにしてはいけないが、口コミサイトで話題になっている話から、ちょっと考えるべき事をひとつ…アメリカのとある高校の生徒が、航空法の基づくルールに従わず、生徒全員と引率者が、搭乗していた航空機から退去させられる…という話題。もちろん、報じられている内容からすれば、明らかに国際法でもある航空法に抵触する行為(離着陸時の電子機器の使用)による処分であり、これ自体は運行管理する航空会社として、保安上の観点で注意喚起をやったのに、守らなかった乗客のせいで重大事故を起こす事を回避する為の行為だ。しかし、一部の市民団体等は、明らかな“人権差別行為があった”と騒いでいる。というのも、この高校生達、実はユダヤ教徒で、しかも学校があるトコがニューヨークのブルックリン地区…ここで察してもらいたい。

つまり、社会ルールを“盾”にした人種差別があったのでは?という訳だ。だが、真っ先に言わせてもらうが、どんな人種だろうと、宗教概念だろうとも、最低限度の社会的ルールやマナーは遵守されるべきであり、特に公共交通機関を利用するにあたっては、安全、且つ、確実に目的地まで移動する為にも、利用者自身が守らなくてはならない“規定”がある。そこんトコを踏まえず、ただ単純に民族や宗教による差別を訴えている様では、逆に誰も構ってくれなくなる。つまり、一部のマナーレスを放置して、人種差別を訴えている様では、却って人種差別を助長させる事になる。これは、どの組織だろうが、国民であろうが関係無い。粗相を犯した者を、仲間内でキチンと叱れない様では、逆に自分達に対しても、その“マナーレス野郎”と同等扱いされかねない。故に、本当に自分達が守るべき最低限のマナーを無視する様な連中がいたら、即刻、注意喚起を促すのがスジであり、それを怠った上で相手を批判するのは、もはや人種差別における“ブーメラン現象”を招く事になる。
逆転の発想で言えば、こないだの“橋下発言”に関して、韓国政府やアメリカの人権団体がバカ騒ぎしていた事も、彼等自身が考え直さなければならなかった部分を言ったまでであり、また、高市早苗自民党政調会長の“福島原発事故での死者はいなかった”発言も、冷静に考えれば、何の問題もない話であり、特に高市女史の件で言えば、原子炉爆発による作業員の即死がなかった事を述べただけなのに、周辺自治体に住む農家や高齢者の自殺をひっくるめて話す人権家が多いから、話がややこしくなる。そう、放射性物質の拡散にしろ、福島県全域の風評被害も、実は反原発脱原発を闇雲に唱える人達によって混乱した結果であり、事実、県外避難した人に対して、東電や国に対して抗議活動する人らは、何ら支援をやっていない。忘れてはいけないが、福島の原発事故の原因は、主としては震災と津波による電源システムのダウンであり、そこへ当時の政権が余計な事をやった為に、最悪の結果を招いたのである。初期段階で、原発の周辺自治体に避難とヨウ素剤配布をやっていれば、ここまでグダグダにはなっていないのに、こうなってしまったのは、そういう未曾有の事態を、ただ単純に財政云々で軽んじた事がすべてである。
話が逸れるが、和歌山の道路工事(高速道やバイパスの整備)に関して文句言ってるバカに言っておくが、東南海トラフ地震で沿岸部が被害を受ける事を想定して、物資輸送路の確保の観点から考えれば、必要な整備であり、そこを勘違いしているままでは、東北三県の二の舞になる。まして、老朽化した道路の再整備や、ライフライン(水道・電気・ガス・通信網)の共同溝化等は、今後のインフラ整備の要であり、特に限界集落を抱える地方自治体にとって、主要道路の拡幅や整備は、必要不可欠な事業でありながら、その財源が乏しいが故に、国交省と協議して、予算編成や管理のあり方を決めているのに、そこを“税金の無駄”と称してバカにするのであれば、まずは、自分達が“勝手”に道路整備等をやってみれば良いだけの話。大型ホームセンターに行けば、DIY用のセメントや砂利、簡易補修用アスファルト、それらを路面や壁に塗る工具やミキサー等、大概のモノは置いてあるし、機材の中には100均でも充分に揃える事ができるのもある。
つまり、自分が責任取れる様な事態であれば、なにやっても良いけど、そうじゃない時にギャーギャーと被害を訴えている時点で、それは既に社会的なルールから逸脱し、関係ない人にまで多大な迷惑を掛ける事になる。生活保護の受給にしても、都会生活を諦め、税優遇を受ける事を条件に田舎暮らしを始めれば、その絶対数を減らす事ができる(身障や難病等で、仕事ができないならともかく…)し、待機幼児を減らすなら、それこそ企業経営による民間保育よりも、高齢者を活かして“地域保育”を推進させるべきであり、また、閉鎖的な公立学校での問題も、校区内の保護者だけでなく住人全員を巻き込んで話し合うのがスジである。それを抜いて、話をしてる以上は、何もかもがチクハグになって当然であり、まして有識者と言えど、内情を把握せずに話をすれば、ややこしくなるのがオチである。もっと言い方を変えれば、民族や習慣の違いだけで“余所者”として排除した結果が、異文化交流等での“マナーレス”に繋がるのであり、人種差別の殆どは、その根幹に、仲間がやらかした粗相を、仲間内で叱らなかった事によるモノである。もっと言えば、英勇気取りしてる者を面と向かって叱らなかった事、そして、次世代に対して人付き合いのルールとマナーを徹底させなかった事が、今日の閉塞感を生み出したのである。相手を侮蔑し、見下すのは結構だけど、それ故に、如何に羞恥心が欠如してるか自分自身で学ぶべきである。自分のやった事に責任を取らず、相手を誹謗するだけならば、それ故に自分も、いらん差別を受ける事になると…