迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer (vol.1)

今回から、毎月一人のオジアナをオイラの偏見と趣味で紹介する(?!)書かれた当人には(ある意味)大迷惑な企画をやっちゃいます。その名も“My favorite announcer”(オイラの好きなオジアナ)。栄えある第1回目は、オイラをこのヲタクに引き込んだ張本人ともいえるアナ、斎藤努アナについてオイラの思い入れを込めて書いていきます。(ファンの方、および当人関係者に対して、この場を借りて勝手にいろいろ書き込む事をお許し願う様、心からお詫び申しあげます。)

そもそも、努兄(オイラは斎藤アナの事をこう称してる)との出会いは、幼少期の頃のTVの中。かすかな記憶の中にある、もみあげと天然ウェーブが掛かった髪の毛が印象的な、とてもアナには見えない格好のオジサンでした。いつも4ch(MBSの事。関西では昔はテレ朝系、現在はTBS系)にチャンネルを合わせると、必ずといって良いぐらい画面に出ていた様な気がした。その理由がMBS在籍の局アナである事を知ったのは、すっかり努兄の存在を忘れ去ってた中学1年の夏だった。
夏休みの深夜見たTVで、髪こそあれから歳を重ねたから少し薄い気がしたが、声を聞いて確信した。昔の番組を開局記念に再現すると言う企画の番組宣伝だったが、その時ばかりはもう一度努兄を見ておきたいと思った。(その番組は見逃したが…。)
そんなある日の深夜、出会った番組が“あどりぶランド”である。なんせ、MBSに在籍しているアナは全員出演しているという当時としては“とんでもない”番組だった訳で、(今でこそ“晴れたらイイねッ”みたいなのは結構あるが)オイラ的にもツボな番組だった。そこに登場していたので、確認がとれたのである。以後、この番組が放送終了(1998.3.18)するまでほぼ毎週、(抜けた回も数知れず)見ていた。その際に発刊された番組本(オイラはコレを”あどラン本”と言ってる)が3冊あるが、その1冊に、こんな事が書いてあった。新番組の制作に困った制作部の人が努兄にアイデアを求めたら、“アナだけで作る番組ならどう?”と言われたそうな。で、何度も会議を重ねた結果、今から21年前の1月25日に始まったとか。(そう、明日は“あどりぶランド”放送開始の記念日です。)でも、この番組が放送中に、努兄は“ある企画”の制作担当にまわるフリして降板した。その企画とは…かつて努兄が担当していた“おはよう700”(“720”の時だったかな?)のキャラバン隊で降板と引き換えに取材した(とも言われる)朝鮮半島(この時は韓国)の北側…そう、北朝鮮平壌への取材にプロデューサーとして同伴し、それを最後に画面上から姿を消した。(一応、プロデューサーとして、その後もしばらくは名を連ねていたが…。)
今から4年前、開局記念番組として“あどラン”が復活(てか、その真似事?!)した際に、登場したのを最後に努兄を見ていない。現在は定年(3年前)されて、どっかの大学で客員教授をしているらしいが、たまにはTVで、あるいはラジオで“元気だよ”とメッセージしてほしい。本来なら、もっと活躍できそうなオジアナだっただけに、姿を見せない(情報が途絶えたまま)のは、ちょっと辛い。