迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

子供の目線で世間(モノ)は見よ。

今日は久々に哲学です。オイラの持論は、
“子供の目線で世間は見よ、論ずる前に己の姿勢(えり)を糺せ。”
である。なぜかというと、子供は将来この国(ひいては世界)を背負う人材であり、その模範を示すべき存在でこそ“大人”の役目、とオイラは思っている。しかし、最近の政治家といい、大企業幹部といい、殆どの大人が“大人げない態度”を曝け出し過ぎて、同じ大人として見ていられないのが現実。これじゃ、子供が将来に不安を抱えてしまい、政情不安がさらに拡大するのも無理はない。なんでこんな風にダメダメ社会が蔓延したんだろう?

そもそも、大人と子供の“境界線”て、どこで引くべきなんでしょう?確かに法律では20歳以上が“成人”ですが、実質は18歳で“大人”として扱う機会が多いとは思う。しかし、人生の大先輩ともいえる高齢者から見た20代は、(個人差はあるだろうが)殆ど“孫”感覚でしか扱ってくれない。しかし乳幼児から見たら、立派に“パパママ”世代で見られている訳で、そんな子供達が大人になって“パパママ”世代を見たら…。そう、“卵が先か鶏が先か”の世界なのである。まして、“私はマダマダ若い!!"なんて息巻く高齢者を見ると、(それはそれで良い事ではあるのですが)みっともないんですよね、ハッキリいって。時代は確実に過ぎて行くのに…。
つまり、若いつもりで自分の事“だけ”述べる“大人”があまりにの増え過ぎたんで、若い世代の体験上から得られた正論ですら“屁理屈”で片付けられているのが現実なんです。最近の大人は、自分より若い世代の哲学に、耳を傾ける時間すら無いのでしょうか?
ま、そもそも、今の高齢者の方々もそういう理不尽な経験があるから我侭も言えるのでしょうが、それじゃ自分達と同じ理不尽さを体験している若者は、全く自分達と違うのでしょうか?勿論、人格そのものとかは違いますが、“話を聞き入れてくれない”とか、“すぐ年下だから見下されてしまう”とかは、まったく同じですよ。
そう、“子供の目線”とは、見た目の弱者(心身に障害があるとか)とか年齢ではなく、客観的な視線、すなわち相手を思う心です。コレが欠落している人が多い為、自分の思い通りにならないと癇癪おこしてトラブルを引き起こしてるのでは?と。で、この事をよく見ていて、将来を悲観してるのが、子供達だと思うんだな、オイラは。だから、子供の目線で感じ取ってみたら、結局今の世をダメにしたのは大人達(勿論オイラもだが)であり、その大人が次世代の“大人達”の為にも、生き様の“模範”をきちんと見せていかなきゃ、未来は暗いと思うよ、マジで。