迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer (vol.2)


吉田勝彦(Gate J.にて)先月からの企画、“My favorite announcer”シリーズの第2弾です。今回は局アナではなく地方競馬の雄、兵庫県競馬組合(園田・姫路競馬)の名物実況アナ、吉田勝彦をオイラなりに取り上げる事にした。というのも、バレンタインデー(2月14日)は吉田アナの68回目の Birthdayなのだ。(ある意味男性にとって、不幸と言えば不幸だが…。)ちなみに、(後日取り上げる予定だが)TVでの競馬実況の達人、杉本清アナとは同い年にして5日違い(きよぽんは19日)だそうな。(この写真は、今から2年前の兵庫ゴールドトロフィーのイベント終了時に撮ったもの。吉田アナが手にしているのは、オイラがその日持って来た、ハイセイコーの馬ぐるみ。ご協力多謝!!)

オイラはこの人を“園田の仙人様”と言って紹介する事が多い。というのも、今年で実況生活50周年(ある意味記録モノ)というキャリアと、それゆえに培われた人柄が、そう呼ぶに相応しいと思ったからである。なにせオイラが生まれる前からず〜〜〜っと園田で実況していた訳だし、まして兵庫県競馬組合の関係者は“揺り駕篭から墓場まで”世話になる(?!)ともいわれている、ある意味シンボル的な存在なのである。
そもそもは、洋画の吹き替え声優になりたくて声優養成所に通っていたんだが、仕事しながら発声練習もできるアルバイトを探していたら、ちょうど春木競馬場(岸和田競輪場の線路はさんで山手側に存在した。現在は廃止になり、跡地は公園となった。)で実況アナの募集があって、それに採用されたのがきっかけで、この世界に入ったという。そしてデビュー時は春木と長居(ここも昔は競馬場があった。現在の長居公園長居スタジアムは、競馬廃止後に作られた。)で実況し、その翌年に園田競馬場に移籍し、以後主催者の名義が変更になろうとも、姫路競馬の実況も兼任しようとも、ずっと実況し続けたのである。そういった意味では、実況席にいながら兵庫県競馬の移り変わりを体感して来た人物でもあり、それゆえに関西の競馬アナの“師匠”ともいうべき存在になったのである。
“関西の競馬実況の師匠”と書いたが、実際は関西のみならず、全国の地方競馬アナにも、この人の実況を手本にしているという実況アナが多いと聞く。一度でもその“吉田節”を聞いたらハマる事受け合いで、なかなかマネできる様なものではない。ゆえに、園田に訪れた競馬実況アナは、必死になってその実況テクニックを“盗み”取ろうとして耳を澄ませているという。しかし、マネはできても上手になる保証は無い。それもそのはず、吉田アナとてある事を視覚障害を持つ観客に言われて、研究したといわれている。それは、「競馬は実況が教えてくれるんや」という一言である。そう、視覚障害者だけでなく、競馬場に来ててもレースが見られない場所(スタンドの裏や食堂の中等)にいる人にとっても、実況は大切な“レースナビゲーター”であり、現場の状況把握の手がかりでもある。ゆえに、言い間違いや判断ミスは許されない。
そんな重責を担う競馬アナの仕事を淡々とこなしている吉田アナだが、実は実況アナとしては重大なハンデも抱えている。それは、彼もまた視覚障害を患っているのである。彼の右目は殆ど光を失ったまま、すでに25年以上経過している。当時の医師からは、いつ左目も失明してもおかしくないと宣告も受けたらしいが、現在でも実況できるほどだから今のところ大丈夫な様だ。なにせ右目が失明した事が、関係者にバレるのが怖くて朝の調教やゲート試験等も真剣に見る様になったという訳だが、それがかえって実況に深みが増すきっかけとなった。本人曰く、「両目とも見えてた時は、漠然として競馬を“見ていた”だけだったが、片目になってからは、競馬そのものを“見よう”と意識しないと見えない事に気付いたから。」
その謙虚さと、苦難に負けなかった精神力が、今日の吉田アナを築き上げた礎だろうと思う。だからこそこの人は今日も、園田競馬場の(あるいは姫路競馬場の)片隅で、口元に笑みを讃えながら実況に勤しむのである。