迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“間違った嫉妬”は己をダメにする?!

今週は競馬予想をお休みして、(単に当たらないからかって?いやいや、予想する時間すら今週は無いんで…。)久々に哲学の話です。
今週の“らじおゼミナール”(努兄がやってる深夜のラジオ番組。詳しくは、過去の“オジアナヲタクな話”で探れ。)の中で、努兄が言ってた言葉に、「嫉妬とは、人間の飽くなき欲望達成の為に生じる、良い意味でも悪い意味でも誰もが持ってる才能に対する僻(ひがみ)である。」という、彼らしい持論があった。つまり、誰だって“天下一”の何か(技術とか能力とか)を“誰か”に認めてほしくって努力もする訳だし、同じ技術ならどちらがより優れてるか知りたくて競い合うのは、当然の成り行きではある。しかし、それ故に目的を誤ってしまうバカもいる訳で、それ故に僻んで他人を恨んで傷付ける行為をしようとする。でもそれって、なんか間違ってない?

反日デモを行う中国人を見て思うのは、昔の日本人(特に学生)がアメリカに対して抗議すべきだと叫びまくった時代とそっくりだし、自分達の国がかつての大日本帝国と同じ過ち(チベット自治区制圧や内モンゴル自治区に対する干渉等)をやってる事実を“正当化”している部分は、勉強不足としか言い様がない。せっかくインターネットをできる環境下にいるのに、外の世界から見た自分達の評価を見ずに日本叩きをやらかす様は、白人達からの“笑われモノ”である。そう、“同じアジアの黄色い猿が、内輪モメして自滅の道に進んでる”としか見てないのだ。当然だがそこには、朝鮮人も日本人も一纏めで見られている訳である。どんなに自分達が違う民族だと主張しても、世界観が変われば完全に“無視”される。
つまり、目的が“世界一の大国”ならば、まずは他人が自分をどう見てるか、そしてそれは自分にとってどうするべきなのかを学ぶべきであり、決して他国の戦没者に対してツバを吐くマネはすべきではない。まして過去の大罪を犯した事実は認めても、それを実行したのは現在の人々ではない事を認知していなければ、その際に受けた恨みを自分達の子孫が被る結果となる。なぜなら、その人たちの子孫もまた、本人不在故にしなくてもいい“尻拭い”の為に奔走し続ける訳だし、そこで“被害者だから”と自分達が胡座をかいたら、それこそ自分の子孫が自分の犯した罪故に同じ様に“尻拭い”に走らなきゃいけなくなる。
オイラだって、“立派は人間”とは言えない。でも、イジメられっ子だったから解るんだが、“虐め”の本質は他人の“何か”(才能や財産、生活環境等)に対する“嫉妬”から来るウサ晴らしだと思う。で、それでしか解決できないと思い込んでる心の貧しさこそ、良い方行に向かえば自他共に発展するし、悪い方行に転べば足の引っ張り合いで自滅するだけ。先祖代々の恨みだけで、他人を殺したいなら殺せば良い。だがその責任は、自分だけじゃなく自分の親族・友人、果ては自分の故郷に生まれた全く関係のない子供達まで、自分が背負った罪を被る事となる。決して自分の行動は、自分一人の責任ではない。その事を踏まえて、他人をバカにすれば良い。だが、歴史に名前が残る事は、イコール祖国の“恥”にもなりかねない事を知った上で、批判しなさい。