迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

あどランアーカイブ その1(4人の室長にまつわるetc。)

さてさて、前回はプロローグとして“あどラン本”の話を書いた訳だが、今回から“あどランアーカイブ”の本編、しかもMBSの歴代の“アナウンサー室長”に関する話から始める事としましょう。(一応、放送局によって実際の部署は違うが、MBSの場合は、アナウンサーは“アナウンサー室”という部署に所属している。)当然だが、このネタはあくまで“あどりぶランド”の話の一環だから、取り扱う“室長さん”は、あどラン放送時にそのポジションにいた4人の話であって、現在の室長さんではない。(確か2005年3月現在の室長さんは野村アナだったと思う。)

あどランの放送開始時である1984年の春先までは、小池清アナがアナウンサー室長を務めていた。この方に関してオイラと同世代なら、今さら説明も不要とは思うんだが、若い人には解んないだろうからちょっと触れておくと、かつて“アップダウンクイズ”の司会進行役や“MBSナウ”(“Voise”の前身)のキャスターとして活躍していたMBSの名物アナの一人。落ち着いた口調がウリで、この人の語りが聞きたくて番組を見ていた人も多いと聞く。
しかし、小池アナが室長としてあどランに出てたのは放送開始からわずか4ヶ月ちょっとの期間だけだった。そのためあどランでの活躍はほとんどなく、主役として担がれたのは放送開始を告げる挨拶と、6月初旬に“アップダウンクイズ”降板とともにアナとしての“引退”(正確には秘書室への異勤)に伴う挨拶だけ。しかし、この人の寛大な心が無ければ、あどランが放送を開始できたかどうか微妙だったのは確かである。
さて、小池アナから室長の座を受け継いだのが、後に“ひょうきん室長”という呼ばれ方で親しまれた、藤本永治アナである。小池アナとは同期だが、真面目なイメージのある小池アナとは対照的に、“お調子者”的な存在感でその昔は人気を博していた訳だが、管理職クラスになってからは活躍の場を他のアナに奪われ気味だった。しかし、あどランで再びその勇姿を見せるや否や、たちまち京阪神エリアの局アナでも屈指の人気者に返り咲いた(?!)のである。しかもチーフ格ともなれば、もはや無敵の存在となり、あどランのある意味“マスコット”として珍重される様になってた。特に数回行われた“時代劇スペシャル”では、決まって悪役(しかも大ボス級)を演じ、時には若手に番組内でおちょくられる場面も…。ある意味、この番組は往年の“エース級アナ”の復権を促してた部分もあったが、それもこれも藤本アナが“チーフらしくないチーフ”として君臨していたからこその印象である。
そして藤本アナの跡を継いだのが、高梨欣也アナである。低めの落ち着いた声が特徴で、本質的には“おふざけ”が非常に似合わないアナだったんだが、どうしても、今までのあどランの雰囲気を壊したくなかった彼は、無理して藤本アナのキャラクターを付け継ごうとして無茶苦茶な行動を取ってしまったのである。これが後にあどランの“賞味期限”を縮めてしまったとオイラは考える。(なんせ大黒様のコスプレしたり、変に力み過ぎて“暴走”したり…。)
そしてあどランの放送時の“最後の室長”となったのが“時さん”こと阪本時彦アナである。ただ、この人の話はココではあえて触れないでおきます。(何でかと言うと、このあと“My favorite announcer”シリーズで、彼に関してじっくりと取り上げる予定なんで、ココで話すともったいないんですよ、マジで。)ま、番組を終了するタイミングを任されて、それを実行した時に相当悩んだからこそ、この4月から担当しているラジオ番組“出番のTOKIです”(“ラジオの達人”火曜日のタイトル。)の前半部分をアナ達に話してもらう時間として割り当てたのでしょう。(ちなみにこの“ラジオの達人”という番組自身、実は時さんがアイデアを出してカタチにしたとのこと。)