迷馬の隠れ家 はてな本館

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“ヤンタンの時代”を読んでみた。

努兄から話を聞いて、“ヤンタンの時代”という本を読んでみる事にした。この本の著作者は、かつて“ヤンタン”こと“MBSヤングタウン”というラジオ番組の裏方(ディレクター→プロデューサー)をやっていた“おおなべさん”こと渡邊一雄氏。この番組の初期からおよそ20年間、“ヤンタン”に出演したタレント、アナウンサー達の“育ての親”である。実はこの方、加古川の出身で、しかも父親が神戸新聞社の支局長さんだったそうで、“ヤンタン”制作のヒントに、かつて聞いてたCRK(てか、この方の幼少期時は“ラジオ神戸”)の電リク番組が影響していたようである。そして、CRK
流れてた洋楽(特にジャズやロック)番組に憧れて、最初は公開録音形式のラジオ番組として制作したのが、“ヤンタン”の原点だったそうな。

で、この本には、その初代パーソナリティとして努兄の事が記載されているが、ありがたい事にオイラが知りたかった一面を、きちんと書いてくれていた。努兄って、最初っから“アニキ”してたようで、その当時も“不良アナ”(?!)の様相を呈してたらしく、でも、決して法律に抵触する様な真似事はせず、だけどアナウンサーとしての“常識はずれ”な行動を、しょっちゅうやっていたらしい。ロックとフォークをこよなく愛し、休日にはバイク(おそらく750ccクラス)をかっ飛ばす、とにかく派手好き(てか、お祭り好き)で、いかにも“悪ガキ”がそのまま大人になった様なアナとして異彩を放ってた。(たぶん、あの時代に“サマーソニック”や“フジロックフェスティバル”等をやっていたなら、間違いなく“取材”と称して渡り歩いてる危険性が…苦笑)
でも、“無類のトラブルメーカー”になる事はあっても、あっけらかんとした性格の楽観主義者らしく、他のスタッフやアナ達に禍根を残さない様に、どんなあつれきもギャグに変えるセンスがあったという。そういった意味では“世渡り上手”なアナでもあったようだ。(おまけに虎キチだし…)
ヤンタン”の初回放送の際に来たのがフォーク・クルセダーズで、この時にどうやらあの迷曲、“帰って来たヨッパライ”を紹介したらしい。というのも、この曲(正確には自主制作アルバム“ハレンチ”)を最後に学業専念の為に“一時解散”をする予定だったので、せっかくだからとゲストとして迎えたんだとか。しかし、この曲が予想以上のヒットとなり、そして解散を1年延期したそうな。(で、“ヤンタン”出演後、CRKとLFで紹介されたから爆発的なブームとなったのはいうまでもない。)それ以降、この番組を機にメジャーになったアーティストやタレントは数多く、その中には明石家さんま笑福亭鶴瓶、さらには渡辺美里チャゲ&飛鳥なんてのもいたりする。
ま、あまりココでオイラが書いても意味無いから、実際に読んでもらった方がいいんでこれくらいに止めておこう。(ちなみにこの本は、角川書店から出版されてます。大型の書店で探した方が見つかりやすいんで、お暇なら探してちょ。)