迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“サブカルチャー”だって、時には必要。

今週の“らじゼミ”で、努兄がセクハラの話をやってたのだが、努兄の説明がヘタレだったのか、一部のリスナーから批判を喰らった。(ま、“遊郭文化”の話をしたのがマズかった訳だが…。)しかし、そもそも“セクハラ”という概念は、海外の“ピンク系”事情と日本の“風俗”のあり方の違いを知った上で語るべきであって、その点を女性は(どういう訳か)ゴチャ混ぜに考えるから、とんでもない誤解を生んでるのだ。(本来の“セクハラ”とは、男女を問わず“性的関係における脆弱性”を持って、相手に対して嫌がらせ行為をする事であって、単なる猥談やナンパ等を指す事ではない。)
オイラは女性だから、男性が公共の場においてデリカシーの欠片もない態度でエロ話をやりまくる事は、必ずといって眉をひそめる。が、プライベートな会話等でのエロ話に関しては、むしろ否定はしない。(その方が“健全”な男性だと思う。)むしろ、知っておいた方が自分の身を守る“武器”にもなる。まして、短大時代日本史(しかも民俗学)を専攻していたオイラにとって、“サブカルチャー”の類いは、古典芸能や文化を知る為の貴重な“資料”でしか過ぎない。(今日の内容は、“18禁”かも…。)

そもそも“遊郭”の芸者(舞妓や花魁等)は、通常の女性では考えられない様な博学な方が多い。なぜなら、客層の会話に合わせた知識と経験、さらには一人前の“遊び人”としての芸事(三味線演奏や日本舞踊、都々逸のような古典的な言葉遊び等)を身につけた上で、さらに女性としての立ち振る舞いや、一般的な人間関係上における礼儀作法等を学んで、初めて“お座敷”に上がるのだ。つまり、単なるカワイイだけの“キャバクラ嬢”みたいな女性には、芸者としては“失格”なのだ。(もちろん、“夜の生活”での部分は、アレな方が良いのは当然だが…。)確かに、“水商売”には変わりがないが、品格や優雅さを重んじたのが“遊郭”であって、現在の“風俗”とは別次元の世界だ。
また、古典落語(特に“イロもの系”演目)も、かつての落語家の経験談や、その落語家に対して芸風を評価し、出資してくれる富豪達の“夜の生活”での失敗談等が基となって、話が作られている。基本は確かに日常生活の部分での延長線上だが、“おもろい話”を制作する為には、時として非日常的な体験も必要とし、故に“盛り場で遊ぶ”訳だ。
上方落語の世界で、芸名に“春”が付く落語家は“いろモノ”を好んで演じていた歴史がある。(現在はむしろ、“鶴”の方がエロ全開だが…。)実際、演歌の歌詞にも“芸の為なら女暮も泣かす…”なんて事が出てくるぐらいだ。また、藤山寛美横山やすしは生前、とにかく“夜遊び上手”な芸人として関西ではよく知られた話だ。(やっさんの場合は、別の意味で有名だが…。)つまり、芸事をする人間にとって、“サブカルチャー”の要素は必要不可欠であり、そこを履き違えたら、大変“失礼”な話なのだ。
確かに“風俗嬢”という“負け組”の世界には変わりない様に見えるが、日本ならではの“風俗文化”は、西洋の“ポルノ”とは完全に別物であり、そこから生まれたファッションや遊びは、現在の生活でも深い縁がある。西洋の“ポルノ”とて“文化”として見ていけば、実は“芸術の域”なのである。(ストリップの肉体美を魅せた演舞とかは特に。)ただ、“非日常的”な世界観から抜け出せない男性が、時として女性を“軽視”して性行為をしようとするから“犯罪”になるのであって、むしろ“風俗”に関する規制が多すぎるから、昨今の凶悪な“性犯罪”が多発してるのではないかと、オイラは感じている。だから女性も、少しは男性の“性欲”を理解してやる必要性があるのではないだろうか?(だからといって、遠慮なしの性行為は、“犯罪”ですぞ!!)