迷馬の隠れ家 はてな本館

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“モラル”片手にマスコミ批判

毎度お馴染みの“らじゼミ”での話。今週のオープニングで努兄が、らしくないくらいに声を荒げて、村上ファンド楽天の事をボロカスに批判した上で、“モラル”についてテーマトークしていこうとなった。で、“インターネットは歴史が浅いから…”と言って、なにげに既存のマスメディアを“擁護”する発言をしたんで、すぐさまオイラは、“でも、既存マスコミの取材態度の方が、モラルが低いですから。残念!!”という旨のメールを送った。すると、どうやらスタジオの片隅で、この“言葉の金だらい”が努兄の頭上を直撃したらしく、反論できずにうなだれてました。(苦笑)
ま、努兄も大学教授になる前は、ジャーナリストの端くれでしたからわからなくはないんだが、一般の視聴者or読者は、時として“報道倫理に疑問を持ってる”って事を失念していた様ですな。

確かに、努兄の言い分にはオイラも大筋では理解できるが、問題は利用者(この場合は視聴者or読者)のせいにして、過度な取材や事実を歪曲した報道がまかり通ってる点については、インターネット(特に“2ちゃんねる”や個人のBlog)を批判する程、立派じゃないという事です。事実、某出版会社はあらゆる業界の信用を傷つける“捏造記事”を書きまくった影響で、裁判所から再三損害賠償を行なう様、判決が下されてる訳だし、某放送局も“やらせ”が原因で人気キャスターが抗議降板したり、該当するコーナーの放送を中止をした訳である。
一口に“モラル”と言っても、どこまでがそうなんかは、実のところ誰も線引きできないのが現状であり、“世間の常識”も時代や民族文化等によって変わるんで、こちらが考えてる最低限の“モラル”を提示しても通用しない場合もある。つまり、それだけ世間は広く、またコミュニケーションの数だけ“常識”はある訳である。
“モラル”=“配慮”という風にとらえるとよく分かるんだが、つまりは“誰かを思いやる”気持ちがあるならば、横暴な真似は許されるハズもない訳だし、相手とは世界観が違うんだから、自分の意見を“正論”として他人に押し付けるのは、どう考えても正義ではない。要は、自分達ひとり一人が、何だかのカタチで影響を及ぼし合って初めて“社会”が成り立ってる事を知っていなければ、どっかで他人に迷惑をかけて、それが原因で自分が叩かれる事となる。
仏法にはこの事を言い表す便利な言葉に、“一念三千”てのがある。(正確な講義をやると、時間がいくらあっても足りないんで割愛しとく。)つまりは、過去の事柄は現在を作った礎であり、現在の行動は未来を予測した上でのモノでなければいけないという事。また、歴史を研鑽するという行為は、未来を予測する上での“データの解析”であり、そこからあらゆる事柄に当てはめて考えると、おのずとその先の答えが見つかる訳である。
“モラルの低下”とは、すなわち宗教思想や人間道徳を疎かにしてきた社会の罪であり、それにかこつけたマスコミの報道倫理の崩壊は、自分達が主張する“報道の自由”と“表現の自由”を侵害する原因でもある。以前、オイラが書いた事…“襟を糺してモノは言え”とは、まさにこの事である。