迷馬の隠れ家 はてな本館

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あみだくじと談合の話

よく、何かを決める(例えばランチを驕る人を決める)時に“あみだくじ”を使いますよね?では問題、その“あみだくじ”の“あみだ”って、どっからきてるかわかります?実はコレ、阿弥陀如来像の“後光”(後ろのトゲトゲ)のカタチに似てるから、こう名付けられてるんですよ。今回は“哲学”ではなく“雑学”の分野で、日本の仏教についてちょっと説明しようと思う。
宗教に関する文化は、どんな国にも存在し、それが基盤となって今日まで発展し続けた訳である。例えば味噌と醤油は元来、中国から仏教とともに入ってきた保存食としての知恵であり、布教とともに全国に広まった食文化である。また、山岳密教の盛んな地域には、それに付随して薬に関する知識も豊富で、現在に至るまで古くからの寺院門前町には和漢薬の専門店が軒を連ねる光景が見られるわけである。

最初の方で“あみだくじ”と阿弥陀如来像の話が出たが、そもそも阿弥陀如来は念仏系宗派(浄土宗系)の本尊として崇められてるのだが、コレは爾前経(にぜんきょう:法華経以外の教典全般を指す、阿含経や般若心経等がコレに該当する。)で登場する釈尊(しゃくそん:お釈迦様のこと。)の前世の(てか、説法上に出てくる)仏様であり、法華経の中ではその存在は否定されている。(浄土宗系の信徒さん、および真面目に布教活動をしている僧侶さんへ。説明がマズいのは、あくまでもオイラが学会一筋で他宗派に対して勉強不足ゆえの話であって、決してあなた方の信仰を侮辱するつもりはない。ご了承あれ。)また、その後光を表現する際に、どうしても放射線状に伸びた棒を、そのままのカタチでキープする為に適当に支えの横棒を間に入れた為、あの様な状態になったとも言われる。
さて、ニュースなんかでよく、“公共工事をめぐる談合事件”とか“商取引による談合”なんて聞くが、実は本来“談合”と言う言葉は仏教用語だって事を知ってたかな?大概の場合は“事前に話を合わせる”みたいなニュアンスで使われがちだが、実際は法華経見宝塔品(けんほうとうぼん)第11の後半から出てくる多宝如来(たほうにょらい:虚空会(こくうえ)の儀式と言われる部分で登場する、虚空に浮かんだ宝塔の中にいる仏様。法華経が真理である事を証明したとされている。)と釈迦如来(しゃかにょらい:釈尊の事、ココでは多宝如来に宝塔の中で席の半分を譲ってもらい、一緒に座る事になる。)が同席し、釈迦如来法華経を説いていく時に、隣で多宝如来が頷きながら賛同する様を指している。わかりやすく言えば、クイズ番組でMC役が2人いて、片方が出題すれば、片方はその問題に対する解説を行う様な格好で虚空会の儀式が宝塔内で行われたと考えると絵的に理解できるかと…(誰だ、宝塔内で漫才をやってるなんて言った野郎は。)つまり、話の内容に応じて返答するのが“談合”であって、事前的に意見を合わせたという意味に使うのは、本来なら間違っているのだ。(関係者に業務連絡、青年教学1級受験者は、“大白蓮華”増刊号の“生死一大事血脈抄”の最初の部分らへんの解説を参考にしてくれ。)
仏教用語は時として、一般的な言葉として通用する部分もある。一度辞書や教典を片手に、実際に使われてる言葉を探ってみると、意外と面白いかもよ?!