迷馬の隠れ家 はてな本館

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幻の“姫路市営ラジオ”の話。

ちょっと久々に“我等ラジ関ジェネレーション”ネタです。今回は、いつもお世話になっている、ラジオ関西ファン掲示板で、サイトの管理人さんがやっている話に、ちょっと面白いネタがあったんで、紹介も兼ねて。
民間放送の歴史は、今から55年前の1951年(昭和26年)の9月1日に、CBC中部日本放送とNJB新日本放送(のちのMBS毎日放送)がラジオの放送を開始した事から始まるとされていますが、その放送免許に関しては終戦直後から当時のGHQの指導に基づいた計画上、相当な混乱があった様です。その中には、地方自治体が独自で放送局を設けようと計画し、一旦はその放送免許を取得したという話が、最近になって発見された様です。

どうやらGHQとしては、NHK以外の放送局を開設する際、できるだけメジャー系新聞社(朝日・毎日・産経・読売)による思想の固定された報道を嫌い、なるだけ地域の報道機関として整備したかった様である。特に放送免許を発給する際にモメたのが、放送局の位置づけとエリア別の局数であった。おそらくGHQとしては、NHKは全国区の放送局、民放は地方“限定”という思惑があったのだろう。しかし、申請を提出した事業体は、殆どがメジャー系新聞社と自治体が一体になったカタチでのモノが目立った。そこで、当時の政府とGHQはある“制限”をつけて篩にかけたのである。それは、広域地域放送局はひとつのエリアに1局、それ以外は地方局扱いで電波の出力も(当時の電力事情も考えて)極力抑えて、申請後1年以内に開局できると判断された放送局だけに開局を許可したのである。これによって、仮申請時には100局もの候補があったのが、結果的に16局に絞られた。この申請で、実は兵庫県の意に反して、姫路市が単独で放送局を開設するための申請を出していたのである。実際にこの“姫路市営の放送局”には、時の郵政省(現:総務省)は申請こそ保留にはしたが、この時点で開局するものと思われて、キチンとコールサインを割り振ってあったのである。
以前、“コールサイン”の話をしたが、少し補足をしておくと、最後に“●R”と付く放送局がいくつかあるが、実は最後の“R”は、放送免許の取得が一番早かった放送局に与えられていて、“R”の前に付いているアルファベットが若い順に、実は免許が交付されたのである。つまり、CBCはあらゆる条件(親会社が地方紙の中日新聞で、既にスタジオとかが完成していた等)からみて、交付“一番乗り”(コールサインJOAR)となったのである。(ちなみに2番手は意外かもしれんがKBS京都で、察しが良い方なら判るが、CRKは3番手である。)そして現在はBSN新潟放送コールサインである“JODR"は、実は“姫路市営ラジオ”に一旦は“交付”されたのである。つまり、計画さえ頓挫しなければ、市町村クラスで初の単独運営のラジオ局が、しかも兵庫県下に2局も誕生していた可能性があったのである。
しかし、立地条件や地元の企業(姫路市の沿岸部は、戦前からの工業地帯である。)からの出資等が思う様にいかなかったらしく、結局せっかくの放送免許を“返却”せざる得なかった(らしい…)。そしてこの“JODR”というコールサインは、改めてBSNに交付されたのである。
ではなんで、姫路市がこんな事をやったのか?それには姫路市民(というより播州エリアの住人)の意識において、神戸市が兵庫県の“県庁所在地”であるという屈辱が許せなかったという背景が見え隠れする。こういった県民レベルでの詳しい事情は“ラジオ関西ファン”の管理人さんに説明してもらうとして、オイラから考えると、やっぱり昔の“市民”には、みんながみんなでチャレンジャー精神が旺盛で、いろんな意味で情熱があったのだろうと思われる。最近の“市民”には、そういった意識はあるのだろうか?