迷馬の隠れ家 はてな本館

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世界情勢と“立正安国論”

昨日、青年教学1級試験が無事終了し、これから本格的にネタ書きのための調べ事とかがやりやすい状況になりました。(ふぅ、やれやれ…。)
で、今日は早速、“御書”に照らし合わせた世界情勢の見方について、オイラなりに語っていこうと思う。タイトル通り、今回取り扱う“御書”は、中学〜高校の歴史の教科書でもその一文が載っているんでおなじみだろうとは思われる、“立正安国論”(りっしょうあんこくろん:“人間として正しき教えを立てて、国の内外を安定化させるための哲学理論”という意味。)から見た、世界情勢を考える話です。
この“御書”は文応元年(1260年)の7月に鎌倉幕府に提出し、当時の国家権力に対して諫行(かんぎょう)を初めて行ったとされるモノで、全文は“十問九答”(じゅうもんくとう:問いかけが10項目あって、その答えが9項目ある)の問答形式で書かれている、創価学会のみならず日蓮系の宗教団体なら必ず学ぶ、重要な御文です。

書かれてる文章とかは、図書館にも“御書”は置いてある(当然だが、宗教の項目のとこに“日蓮大聖人御書全集”という名前で置いてある。)んで、興味ある方は一度全文を読んでもらうとして(古文が苦手な方には、いい“睡眠薬”にはなるが…苦笑)、簡単なポイントを書いておくと、権威やチカラに自惚れてる輩が庶民を見下したり、庶民や国家からの恩恵をムダにする様な行為を放置してると、いずれ国が衰退し、その隙を狙ってクーデターや他国からの侵略を許し、国家だけでなく民族までも滅亡する危険性が高まるとし、今すぐ間違った宗教論や人権無視を助長する法律を破棄せよと明記されている。それを意味する言葉として、“如(し)かず彼の万祈(ばんき)を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには”とか、“唯須(すべから)く凶を捨てて善に帰し源を塞ぎ根を截(た)つべし”という言葉がある。
この言葉自体は本来、(浄土宗及び浄土真宗系関係者には悪いが…)法然に対するバッシンング(一般信徒ならびに修行僧に対して、法華経は理解しにくい教典なんで、捨閉閣抛(しゃへいかくよう:“すてよ、とじよ、さしおけ、なげうて”という意味。)せよと言った事は間違いであるとの指摘)で書かれているんだが、この言葉を受けてのちに鎌倉の念仏(浄土宗)系の有力僧侶だった極楽寺良観と幕府の一部官僚が結託して、チカラによるバッシング(不当逮捕による流刑や深夜の襲撃事件等)を行った訳である。(その後、この“御書”に書かれた“予言”が的中し、それを機に鎌倉幕府が滅亡に向かったのは、いうまでもないが…。)
しかし、現在の世界情勢をこの“御書”の一文で眺めてみると、該当する混乱がアチコチで発生してる事に気付く。例えば、イスラエル問題は、そもそも国(てか、アラブ社会)を追われたユダヤ人の精神的な弱さが生んだ悲劇であり、北朝鮮や中国の民主化が遅れているのも、庶民が権力の“正体”を知らずに恐れ、根本的に保守的な考えで堕落しているからであり、アメリカの放蕩三昧も“物質的な豊かさ”ゆえの精神的な歪みである。これらを糺すと、アフリカやアジアの貧困は多少は改善するし、経済も(低水準にはなるが)安定化する可能性がある。
まして、この“御書”に書かれている言葉は、決して過去の“デタラメ”を書いているのではないし、過去の出来事として見過ごしてはいけない。これは現在でも通じることであり、読み方次第では未来の人々に対して過去の時代から、あらかじめ予測される事態に対する“警告”を発してるのである。実のトコを言うと、法華経も本来は釈尊が、“過去から未来へ”託した人間回帰への“希望”なのである。
こう考えると、なんで学会員が躍起になって“人間革命”(同名の小説があるのは知ってるが…)を呼びかけるのか、少しは理解できるのではないかと思われる。しかしそれが“理解できない”というのならば、おそらく学会員の説明不足か、相手が最初から“対話”をする気がないのだろう。後者であるならば、それが原因でいずれは自分が、あるいは親族を含めた関係者全員が苦しむ事になる。
そもそも、“ヒトが言う”と書いて“信”という漢字が生まれてるんだから、疑心暗鬼な状態で“信仰”を教えるのは難しくて当たり前なんだけどね…。