迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

プロとしての“意識”と“使命”

今年もどうしようもないっすね、ジャイアンツ。選手自身が“ネームバリュー”に胡座かいてるというか、フロントが金満体質から抜け出せないというか…。そんな事だから人気が下落し、他局はともかく日テレでも中継しないという“非常事態”が発生してる訳であり、そのあおりとしてプロ野球全体の人気が落ちているんです。もちろん、この傾向は野球だけでなくサッカーでも同じで、こないだのワールドカップでもそうだが、実力はあっても“代表としての意識”が低すぎて、プレーがチグハグ…。こんなんじゃ、海外リーグ組はともかくJリーグに観客が集まらなくて当然です。
高校野球高校サッカーは盛り上がっても、その先の“国内プロ”がこうでは、やはり夢を海外に活路を求める者が増えるのも無理ない話で、良い人材が“逃げていく”事を、最高の地位や高額の契約料で食い止める事は、もはやできません。

コレは、自分の父親の“背中”を見て、その広さと逞しさをカレシに求める女性と、自分の母親の“胸の柔らかさ”を追いかけて、必然的にカノジョの胸元を見比べる男性と同じ心理です。つまり“理想の姿”がそこにあるかどうかであり、それを指し示す事ができる人物の元に、必然的に人材は集まってきます。コレが“カリスマ”の正体であり、それを巧みに“悪用”する事でカルト教団は若者(特に高学歴の学生)を喰いモノにして勢力を拡大させます。(でも、大概はどっかで嘘がバレて幹部はイタい目に遭うんだがw)
話が脱線したんで元に戻すが、職業おけるその道の“職人”とは、常に自分の仕事に誇りを持ちながらも決して驕れず、自分の持てる技術を更に向上させるべく腕を磨くモノ。つまり日頃から、自分の“仕事”を真剣にこなす努力を弛まない姿勢があります。コレが結果的にその人の“生きる価値観”を生み、更にそれを見た子供達はその姿に自分の“憧れ”を重ねて、様々な“生き様”を学ぶのです。
現在のプロ野球Jリーグに子供達が関心を持てないのは、そういった部分を身近に見る機会がなくなって、しかも関係各所が子供達との“交流場面”を制限(ファンクラブ会員のみとか、キャンプ期間中の野球教室だけとか…)してるのがマズい。確かに、ロイヤリティーの問題や選手生命に関わるケガをされては…という心配事はわかるんだが、そんな事に拘り過ぎて子供達の夢を、大人の(それもしょうもない)都合で“奪ってる”ってことに気付かないと、子供達はドンドン興味をなくし、その子供達が大人になると、更にファンは減ってしまい、最後には“廃止”という憂き目を見る事になります。
つまり、以前にも書いたとは思うが崇峻天皇御書の一文と同じで、“蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり”である。(要約すると、“どんなに貧乏でも精神面で豊かならば、かえってそれが幸福である”といって、心の大切さを説いた一文である。)コレと同じで、金銭や地位があっても、それに“幸福”を見いだせないのなら自分にとって“無意味”なのである。もっと言えば、結果を重視するのならば、自分が納得する結果を見いだす為に努力するのがスジであって、誰かに“評価されたい”が為のパフォーマンスは、結果的に“不完全燃焼”になってある日突然“暴走”する結果を生む。誰かの前でカッコつける事より、“ありのままの素直な自分”を見せる事によって、初めて“生きる喜び”を全身で感じる事ができるというもの。叱られる事も、笑ってくれるのも、全部“自分”を見て他人が感じたのなら価値があるモノであり、そういうのを一切見ずに他人が嘲る態度を取るなら、それはその人が“人間”である事を忘れた“哀れな姿”と思って、自分がそういう態度を取らぬ様戒めてこそ意味がある。それが“プロ意識”であり、本物のプロです。