迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“十如是”で見る、自分の“素顔”

青年教学2級試験の勉強、捗ってまっか?雑学感覚で学ぶ“仏教用語の基礎知識”(←いつからこんなの作ったんだ?)の時間がやって参りました。本日のテーマは、ズバリ“十如是(じゅうにょぜ)”に関する解説っす。
“十如是”とは、人間の本質を知る為の10項目のチェックポイントの事で、法華経方便品(の舍利弗との問答)で説かれている“諸法実相(しょほうじっそう:すべての理は、実際の世界とリンクしているという意味)”を解りやすく簡潔に述べたモノである。相手を見る時でも自分を見つめ直す時でも、コレを再度検証する事で本質的な人間性を、もう一度問い直すきっかけとなる。

では、どんな項目がリストアップされてるかというと…
1)相如是(そうにょぜ)=この場合は人相を指すが、基本的には“見た目”とか、最初の印象を意味している。また、殆どの場合はココですべてが解ると思ってるモンだから、後々で“騙される”ケースが多いw
2)性如是(しょうにょぜ)=その人の“性格”部分を指す。几帳面なヤツだとか、お調子者とか、付き合う上での自分との相性を問う部分ともいえる。
3)體如是(たいにょぜ)=身体的な見た目を指す事が多い。要は、体格の良さや服装等のセンスを見る部分。デブで汗かきな体質だとか、スリムで脚長でセンスの良い服をまとってるとか…(イイよ美形は、ココで点数稼げるから…トホホ)
4)力如是(りきにょぜ)=その人が持ってる“力全般”を指す。体力だけじゃなく、財力や知力等も含めた“才能”もココで見る。
5)作如是(さにょぜ)=その力を使い切れてるかどうかを見る部分。公共マナーもさることながら、どんなことをする事ができるかを見定める部分でもある。
6)因如是(いんにょぜ)=その人の世間に与える影響や、問題発生に至る原因を意味する。“なんでもないこと”が“とんでもない”出来事とリンクしている場合に見る。
7)縁如是(えんにょぜ)=そこに至るまでの“きっかけ”や“出逢い”を意味していて、コレにはその人が“影響を受けた”物事(出来事)が含まれる。
8)果如是(かにょぜ)=結果や功罪を意味する部分。“原因”があるからこその“結果”であって、だからと言ってココだけで語れるほど単純ではない訳であるw
9)報如是(ほうにょぜ)=それに対する“代価”というか、“応答”を意味する部分。結果を受けて自分はどうするべきか?それを問い、答えを求めるからこその“報い”である。
10)本末究竟等如是(ほんまつくきょうとうにょぜ)=“素顔の自分”を意味すると同時に、他人から見た“自分”をも意味する。つまり、総合的に見て、“自分”というのはどんな存在としてあるべきかを問う部分ともいえよう。先に述べた9項目から導かれる、本質的な“自分”をどう受け止めるかは、自分次第なのはいうまでもない。
つまり、見た目や噂だけで相手を評価して、“本質”を見ようとしない輩は、結果として“自分”の価値観までも見下してしまってる訳であり、本人をもっと知る為に最後まで付き合って評価しようとする者は、結果として“自分”の価値観を向上させることだってできる。もっと簡単に言えば、グダグダなのはわかるけど、“何もしない”のなら“何も変わらない”訳だから、自分自身の生きている価値観も薄らいで、結果“死ぬこと”を安易に考えてしまう。コレが“鬱”の原因であり、どんなに精神医で治療してもらっても、根本的な解決に至らずに終わるケースが多いってこと。
じゃ、どうすれば良い?答えは簡単!!どんなことがあっても、自分がやった事に対して責任を持つ事で、どんどん“自分にできること”を探し求めて動けば良いのである。そのきっかけとして、宗教学や哲学を学んだり、一人旅で自分が今まで行った事のない世界を探訪したり、ちょっとしたボランティアとして自分の住んでる地域を掃除してみたり…と、とにかく“自分探し”をやり続ける事である。コレが結果てして“人間(=自分)革命”に繋がるって訳である。“自分”が変われるのなら、世間だってそれに対応して変化する。コレが“法華経の理”なんです。