迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

組織という器にダマされるな

統一地方選まで1ヶ月を切った訳だが、ココにきて某政党のサギまがいな選挙活動にちょっくら“憤懣”を感じている。あえて政党の名前は挙げないが、いくらなんでも他党を批判するだけで、自分達の諸業を隠蔽する体質、まるでこないだ某球団がやらかした“栄養費問題”そのものじゃないっすか。
選挙に勝ちたい…あわよくば“政権政党”になりたいと願うのは良いが、自分達の功罪を認めず、他党を“戦犯”呼ばわりする姿は、まさに僻み根性そのもの。忘れちゃ困るが、日本はコレでも“立憲君主制民主主義(皇族の存在を認めた上で、憲法によって国民の議会で物事を決める政治)国家”であって、国民自身が“主権者”である。よって、政党がエラいのではなく、有権者自身の判断で“どうにでもなる”国である。(ただ、その“有権者”が政治不信を抱いてるんで、投票率が低いのがネックなんだが…w)

日本国憲法の第9条というのは、表面上では戦争を引き起こす原因になりかねない軍事力を保持しないという文言が書かれてるが、コレを裏返すと、近隣諸国からの侵略や植民地化を許す意味にも繋がりかねない。だが、コレを日本政府に提案したのは、実は反米感情からの報復を恐れたアメリカであって、たまたま政府もこれ以上の戦争は無益と考えたから受け入れただけに過ぎない。つまり、コレを真面目に守り続けた日本人は、諸外国からバカにされて当然であり、特に北朝鮮の態度が横柄なのもコレがある事を知ってるからである。もちろん、憲法第9条自身は、すべての国々が取り入れるべき“平和提言”であり、それを守り続けた日本人は、その事を誇ってもいい訳である。
そもそも、戦争(特に内紛)というヤツは、たった一人の権力者の我侭から始まるモンであって、そこに現代社会の“閉塞感”に嫌気を差した若者が勝手に暴れて既存のシステムをブッ壊すトコに至る訳である。それが更にエスカレートした果てが他国への侵略であったり、意見が喰い違う相手を抹殺しようと企てる方向になるのである。そうしていつしか“組織”だけが一人歩きして、その権威に庶民はひれ伏さなければ生きていけなくなる“仕組み”を作っちまう訳である。コレが“ホロゴースト”の正体であり、要は人間不信の“成れの果て”である。
社会共産主義というヤツは、そもそもキリスト教の教義に照らし合わせて、社会的な役割を“万民共有”という概念で成り立つモンであって、そういった意味での“平等”を保障する思想である。従って、医師は医師としての役目を、軍人は軍人としての役目を、生産農家は生産農家としての役目を…それぞれの立場が持ってる“重要性”を尊重しあって初めて成り立つのである。しかし、コレを提唱したマルクスレーニンは、現行の共産主義が自分達の意図するトコから完全に逸脱してる事を嘆くだろう。なぜなら、ドコの“共産主義国家”を見ても、自分トコの組織に逆らうモンを排除する事ばかり考えて、相手の立場や役目をバカにし、踏みにじってるからである。
故に医師といても、患者の生命を軽んずるバカがいるモンだから医療ミスを犯し、農家でも消費者の生命を預かっているという認識に欠けてるが為に作物の活用法が見出せず、政治家も支持者の意見を聴こうともせずに勝手にバカげた法案を提出する訳である。こういうバカがいっちょまえに、“自分トコの組織以外は悪党”と決めつけて批判するのはどうだろうか?要するに、今までの実績をキチンと報告できる程じゃないから見栄を張るのであり、故に他党を批判する“だけ”の演説となるのだ。
小泉前総理がやったパフォーマンスは、まさにそれを真っ向から否定し、本気である事を主張したから支持率が安定したのである。これを忘れてはいけない。常に“有権者様々”という姿勢だったからウケたのであり、政策を批判する以前に圧倒されたのはいうまでもない。政党という“組織”から逸脱した存在(もともと異端児扱いでしたからねぇ…w)だったからこそ、却って政党のイメージアップと党内の“族議員”掃討を遂行できたと言って良い。(とはいえ、安倍総理がボンボン過ぎるのが、ちょっとイタいかも…)