迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

また、やってますなぁ…

埼玉の日蓮系某宗教団体が、はた迷惑なモンをバラ撒いているようで。(宗派は違うが)トラバ先の坊さんトコでも、なんか被害が発生してるみたいっす。
もちろん、コイツらは創価学会とは全く関係ない団体ですし、考えもかなりムチャクチャです。では何で、こういう事をするかと言えば…時期的に選挙も絡んでるが、最も言えてるのは“春期登山会”なるボッタくり行事関連です。現在でこそ学会は組織丸ごと“破門”状態なんで、日蓮正宗の本山に行く事なんて無い訳ですが、日蓮正宗の系列宗教団体では、毎回のごとく信徒からのお布施の巻き上げに躍起になってる訳で、その度に末寺は悲鳴を上げてるんです。

何度も言うが、正しい宗教団体は布教活動でも“摂受・折伏時によるべし”(業務連絡:佐渡御書からの引用)と言う様に、宗教を理解してもらうための手順というのがあります。“摂受(しょうじゅ)”とは、相手の思想や理念を理解し受け入れ、そこから自分トコの思想や概念を導きだす方法であり、“折伏(しゃくぶく)”は思想や概念の“誤り”を指摘し、正しい信仰のあり方や宗教思想を理解してもらうための方法です。
日蓮在世の鎌倉時代は、日本に仏法が渡来してからずいぶん経っていて、貴族や武家の人々の信仰が広まってきた事を受け、既成概念(身分や性別など)にとらわれない信仰のあり方と、教典に書かれている“末法時代(教主釈尊の法味が完全に消え去り、功徳を得られない時代)”故の終末思想を打ち消すために、既成概念にとらわれた他宗の坊主相手に問答による喧嘩を売った訳です。(この結果、様々な迫害に遭ったのは、説明不要かと…)
現在でも“折伏”を軸にした布教活動が“有効”なのは変わりないのですが、間違ってはいけないのは、信仰の自由は誰にでもあり、また、宗教はその教義を信徒以外の庶民に説く時に、相手の意見を聞かずに文化や思想を否定する事は、最もやってはいけない“ルール違反”です。
まして、自分達が“正義”であるのなら、相手を見下したり、コケにするのは失礼な話。対等な立場で話し合うからこそ、意見を聞いてもらえるもの。某国の日本に対する態度も、結局は相手側の“自己中心発言”である事に気付き、話題を変えて“答え”を導く方が賢明です。むしろ、他人の信仰をバカにする集団は、“宗教団体”の名を掲げる資格などありません。