迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.28

今月の“My favorite announcer”は、“あどランOFF強化月間”という訳で、必然的にMBSからのピックアップです。今日は皐月賞(JPN-1)という事もあって、競馬実況の経験もあるこの方にしました。“VOICE”の前身である“MBSナウ”で長年キャスターを務めた、平松邦夫アナの話です。もともと馬好きが高じて競馬実況の仕事を志願してたのだが、“ある失敗”をきっかけに報道へ転換したという経緯がある。言い方は悪いが、大八木アナが彼とまったく同じ道をたどってる事も踏まえて、その先駆者としての存在を、今一度振り返っておこうと思う。去年紹介した通り、彼の同期には佐々木アナや野村アナがいる。また、同級生として守タン(本当は1歳年下なんだが、1月生まれなんでw)も該当するし、そういった意味では地味な存在であった。しかし、MBSの報道番組におけるエースとしての存在感と“あどラン”における文系の“芸達者”振りは、他の追随を許さぬ弱さ…もとい、頼もしさを持っていた。そんな“歌って踊れるニュースキャスター”の話を…。

MBSナウ”では常に標準語(@関西アクセント)を使い、OFFのトコでは関西弁(どっちかと言うと摂州弁)を使う二面性があるが、そもそも出身は尼崎市。見た目によらず、かなりドロ臭いトコが彼の故郷だ。どうやら園田競馬場が近所だったらしく、幼少期から馬が好きで、いつか競馬に関する仕事がしたいと考えてたフシがある。そういう意味ではMBSへの入社は、競馬実況アナとなるにはうってつけだった可能性がある。
また、同期が同期だけに、普通の事をやっても自分の存在を示す事ができないという状況を考えれば、競馬実況アナになるという発想は、むしろ賢明だったと考えても良い。ただ、競馬アナとしては近眼である事がハンデであったのはいうまでもなく、その事がある年の有馬記念での失態を招く結果となった様である。“MBSナウ”が始まった時も、それまでと同じ様に競馬実況を二足の草鞋でやっていけると思っていたのだが、結果的にその“甘い考え”が競馬アナの道を諦めざる得ない事となる。その“失態”というのは、有馬記念の実況で2着馬と3着馬を取り違えたのである。現在の様に“一枠一頭制”というルールではないとはいえ、当時の競馬ファンから大顰蹙を買い、本人も“今の自分には、競馬実況に向いてない”と感じ、それ以降競馬中継から降りた。しかし、古い競馬ファンに言わせると、競馬実況に関しては薫兄よりも正確で上手かったらしい。それ故に守タンと同じ失敗が原因で、競馬実況を引退したのがもったいなかったそうな。
関西の報道番組がワイド化するきっかけともなった“MBSナウ”は、そもそも腸捻転ネット状態が解消されたのが機となって、“地域密着型のニュース番組を”という制作方針に従って生まれた番組である。そのテスト放送時のキャスターとして登場したのが、当時の人気クイズ番組のMCだった小池清アナである。その補佐役(レポーター)として候補が何人かいた訳で、その中に平松アナも存在していた。で、絵的な部分も考慮して、本格的に軌道に乗ってきた頃には、小池アナと担当を分担し、サブ(予備)キャスターとして正式に登場する事になる。その時期に“あの失態”をやらかした訳であり、これ以降は“ナウのキャスター”というスタイルへ進化する事になる。そして、小池アナが引退後は、メインキャスターとして放送開始から18年間も“MBSナウ”の顔として活躍する事になる。
“あどラン”での活躍で目立つのが、いわゆる“文系”の企画部分で、特に有名なのが声楽に関する部分であろう。とにかくバラード系を歌わせると、その味のある声がハーモニーを生み、聞き手を酔わす魅力があった。また、絵画に関してもその腕はセミプロ級で、特に競馬実況アナだった事もあってか、馬の絵を描かせると毛並みまで艶やかな絵を仕上げる。オイラも実物を見に行った(番組企画で茶屋町本社の近所にある画廊で公開した事があった)事があるが、すごく丁寧な描き込みと静観した表情が、いかにも“生きてる”様に感じたぐらいだった。(プロの画商でも、かなりホレボレする様なモンだったらしく、本人と売買取引の話が出たとかw)そして、誰よりもこの分野(文芸一般)に関しては負けたくなかった事もあって、未経験分野の部分でも積極的に練習し、それを本番中にはしれっとこなす憎らしさもあった。だが、“あどラン”の中ではそれが魅力であって、それ故に他の追随を許さぬ部分でもあった。また、標準語の時とのギャップも平松アナの“おもろい一面”として認識され、特に松竹新喜劇を手本とした舞台劇での演技は、その部分を活かした配役になっていた。
MBSナウ”の全面刷新に伴い、その後継が公表された時、彼は番組降板とともにアナとしての一線を退いた。そして、ニューヨーク支局長として海を渡った。現在は帰国して、役員室長を務めてる様だが、たまに野村アナや近藤(光)アナが担当しているラジオ番組で、その“留守番役”として登場する事がある。それは、かつての同期だからこそできるファンサービスという点もあるが、本当のトコはもっと活躍してほしかったという思いもあったのではと考えられる。アクの強い同期二人よりもクセのない風貌、そして器用さは今でも多くのファンが支持するトコではあるが、当の本人は年齢な事も考え、自ら表舞台に立とうとは考えていない様である。