迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

三災七難はなぜ起こる?

昨日の地震で被害に遭われた方、お見舞い申し上げます。でも、コレくらいでビクつかないで、むしろ、神戸や新潟みたいな被害が出なかった事に胸を撫で下ろすとともに、無事であった事を何よりの幸運と思ってください。被災者に気持ちはお察し申し上げますが、だからといって悲嘆に暮れず、日々大切に生きていきましょう。

っと、ここからが今日の本題。日蓮が説いた重要な御書である“立正安国論”には、様々な教典を繙いて“三災七難”が起こる事を予期している件がある。三災七難に関しては以前にも説いたが、ココでは、なんで“三災七難”というヤツが発生するかのメカニズムを、オイラなりの解釈で説明しようと思う。

立正安国論”の文章では、“ヒトの心に鬼が宿る(“悪鬼入其身”と説く)ため”とされている訳だが、この“鬼”とは一体何か?要するに慢心から来るエゴを指す訳で、自分の地位や財力等を背景に、他人に対する配慮や慈しみを忘れ、自分自身の快楽に溺れた精神を指す言葉として“鬼”と表現しているのである。言い方を換えれば、拝物主義や金満体質を批判してるのだ。更に、利己主義故に権力の魔性に呑まれ、僧侶の本分を弁えなかった他宗派の思想そのものを喝破するために、敢て“喧嘩を売った”のがこの“立正安国論”だとも言える訳である。(本文上では、特に法然に対する批判がダラダラと…w)
失礼ながらも、日蓮が言いたかったのは、為政者だろうが聖職者だろうが、“人間である”という根本的な自覚…つまり“法華経の教え”をもって自律していかないと、後で様々な災難に遭遇し不幸を嘆くだけの一生になると諭すために、時の権力者であった北条時宗に諌暁した訳である。それを見て激怒したのが、鎌倉幕府に召し抱えられて威張り散らしてた極楽寺良寛と、良寛の檀家で念仏信徒だった平左衛門尉だった訳である。つまり、時宗は最初から日蓮の話を聞こうとしていたのだが、その配下達が自分の都合だけでバッシングした訳である。
ここまでくれば大概の方でも気付くだろうが、要はどんなに時代が変われど、正論を述べる知者の存在は、悪行三昧の連中には都合の悪い存在であり、そういった聖者を合理的且つ秘密裏に抹殺しようと画策する。この図式は別に、鎌倉時代だけじゃなく、すべての宗教団体の開祖なら必ず辿った道である。そういう経歴がない宗教こそ、その教義を疑うべきであり、世間からかけ離れた空論的哲学は、民衆を救うための哲学ではないのである。