迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.30

はい、1日遅れですが今月もこのネタの時間がやってきましたw 今回の更新で本編の30人目(“NEXT”枠込みだと38人目)の紹介は、名古屋の雄CBC中部日本放送小堀勝啓アナです。オイラは昔、ラジオの遠距離受信にハマってた時代があり、その時に発売されてたラジオマニアの雑誌“ラジオパラダイス”は愛読書でした。で、この雑誌では毎月、全国の人気DJ・パーソナリティー投票というコーナーがありまして、この部門ではいつも上位5位圏内にピックアップされていました。オイラは直接この方の番組を聞く機会は無かったんですが、去年の日本シリーズ(公熊vsドアラ師匠w)で優勝したチームの地域にある放送局のアナで“My favorite announcer”をやろうとした際に手元に集めてたんですよ、コレがw(で、結局工藤アナになった訳で…w)という訳で、今回はその時の“リベンジ編”という事にしといてくださいな。

アナになりたい一心で放送局を目指したのに、最初の就職活動では玉砕した。てのも、履歴書の写真がどう見ても“ホストの顔見せ”っぽい写真で提出したモンだから、人事もさぞかし困惑したであろう。しかし翌年、その反省点を踏まえて清楚(?)な写真を用意したら、コレが正解だったらしい。しかし、最初っからアナウンサーとしてデビューしたのではなく、ちょっとこの時は“遠回りする事になる。実は、CBCが採用した時は“報道カメラマン”としてなのである。
アナウンサーを志望する多くのリクルーターにひとつ言っておくが、この人の“失敗”というのは、内定が決まり研修を受ける際の格好が、非常にマズかったという事である。てもの、当時のアナウンサーはいわゆる“銀行員カット”が定番であり、当時の努兄みたいな“ロンゲ&もみあげ”なんて御法度中の御法度である。(テレビだけじゃなくラジオでも…)そう、すべての民放がNHKのアナを模範にしていたため、そこから外れた人材は、たとえアナウンス技術に優れていても、見た目で他部署に配属されるのがオチであった。現在なら、テレビだと見栄え重視でアナウンス技術は二の次みたいな風潮がある容易だが…。
そのため、入社してから(確か)2年程は報道カメラマンとして、その後報道記者に転向し3年、入社6年目でやっとアナウンサーになったのである。記者時代でもロンゲ&ソバージュを貫き通していたんだが、アナウンサーに転向する事が決まった時、それまで伸ばしてた髪をバッサリと切ったのである。
さっきも出たが努兄が全盛期だった頃に学生だった者にとって、努兄のスタイルが憧れであり、それ故に真似てみようと必死になってた訳である。だからこそ厳しい現実の前に絶望し、多くのアナ志願者が挫折した。だけど彼は、“アナウンンサーになりたい!!”という一心で、カメラを担いだりメモをとってたのだ。コレが後に“名古屋のラジオスター”へ変革する修行だったと言えよう。
さて、アナウンサーになってから彼が人気者へなる“伝説”を生み出したのが“今夜もシャララ”という深夜番組。この番組を担当し始めた頃はアナの仕事に不慣れだった事もあってかなり堅苦しい感じだったのだが、パートナーに恵まれた(落合恵子等)事もあってだんだん“本性”を現した訳である。そしてこの番組の後継として始まったのが“わ、WIDE”て番組で、コレが後に全国のラジオマニアの間で、福岡のKBC九州朝日放送の沢田幸二アナと人気を二分する存在へと変わる訳である。(沢田アナに関しては後日、ちゃんと特集します。)
その後、一時はラジオから身を引いて昼間のテレビ情報番組“ミックスパイください”に出てたんだが、現在では再びラジオの世界に戻っている。(公式ホムペで確認すると、ラジオのみで3本レギュラーがある。)ま、ある意味一昔前の角アナと同じポジションなのが、現在の小堀アナと言っても良いかも知れない。