迷馬の隠れ家 はてな本館

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My favorite announcer vol.31

今月は参院選選挙という訳で、“My favorite announcer”も参院選関連です。“タレント議員”というと、自分の思い通りにならないからといって、任期途中で辞表を出したり、無所属だったハズなのにいつの間にやら既成政党の“看板議員”に祀り上げられたりするフシがある。しかし、この方は、そんな熾烈な政権争いに揉まれながらも、最後まで自分の意志を貫き、政治家である事より一人の“ラジオパーソナリティ”という肩書きに立ち戻った勇者である。という訳で、今月はABCアナにして衆・参両議員を経験した“元祖・浪花の虎オヤジ”中村鋭一アナの話です。なんと言ってもそのエピソードは、大阪の民放の歴史とともにあるという方で、ABC開局時の“スターティングスタッフ”としても、その名前が存在します。でもなんで、局アナから代議士という道を選んだのか?その辺を考えると、やはり避けて通れない2つの出来事…OTV大阪テレビ放送開局→吸収合併とそれに伴う腸捻転ネットの解消…があったからです。

守タソと同じ栗東出身…と言えばアレだが、当の本人は今でも“滋賀県栗太(くりた)郡金勝(こんぜ)村”と出身地を述べる。若干話が脱線するが、この件に関して、どうも中央政府に対する一種の“憎しみ”があったと思われる。てのも、“栗太郡”というのは、その昔草津市大津市に吸収された西部と現在の栗東市(と、一部守山市)の東部とに集落があって、様々な村が寄り添っていた。が、西半分が大津市草津市に吸収合併し、残った東半分を統合して“栗東町”となった歴史がある。この時に、自分の故郷が事実上“消滅”する憂き目にあっており、そのため何らかのカタチで政府の闇を暴く立場になりたいと願ってた様である。(ちなみに旧・金勝村は現在の地図上でいうと、栗東トレセンの近所ですw)
戦後早々、HNK以外で民間の放送局を作る計画が進む中、丁度大学生だった鋭ちゃん(この方のニックネームっすw)は、ABCの社員募集の情報を得る。この当時はとにかく、放送に興味のあるヤツや喋りに自信があるヤツを、手当り次第に募集して開局当日に間に合わせようと、各局必死になってた時代で、学歴とかは不問だった。(それ故に、松本アナがCRK開局前にスカウトされ、アナウンサーデビューするのは、“われラジ”および“My favorite announcer NEXT”で解説した通り。)鋭ちゃんもそんな一人で、一時は草津市の中学教員(なんでも、英語と社会科を教えてたらしいw)だったが、1951(昭和26)年の11月、ABC開局のスターティングスタッフとして関わる事となる。そして主に、スポーツアナとして駆け巡る一方で、中国や北陸の民放開局にも関わったらしいが、真贋は不明。ともかく、開局時からオールラウンダーとしての素質があって、そのクセ意外と“天然”な部分もあるとかw (昔読んだ、ノコさんが書いたエッセイの中で、甲子園球場での実況で、日差しが眩しかったからと言ってサングラスしたまま実況しようとしたという失敗談がある程w)そんな鋭ちゃんにとって激怒する様な出来事が発生したのが、OTV開局時から言われた“呉越同舟”の弊害で、NJB(現在のMBS)側の一方的な撤退から始まった訳である。この騒動に阪急の小林一三が仲裁に入り、結局NJBが改めてTV免許(準教育放送扱い)を取得する事と、OTV社員をABCに迎え入れる事が双方の社長の間で決まってしまった。ま、この時はまだそこまでの怒りではなかったのだが、決定打になったのが“腸捻転ネット解消”に伴うドタバタである。この“戦犯”が郵政担当時代から民放のあり方についてイチャモンを付けてた田中角栄であり、コレの騒ぎに巻き込まれたのが道上アナだという話は、道上アナの回でも解説したが、ココで意を決し、放送開始から6年経っていた“おはパソ”を道上アナに譲って、ABCに辞表を出した。そして鋭ちゃんは、その年の参院選に大阪選挙区で立候補する訳である。ただこの時、こないだ亡くなった横山ノックに負けて、落選するんだが…その3年後の参院選で見事に当選。この時からいわゆる既成政党ではなく、いわゆる“ミニ政党”に所属して政界を駆ける事になる。が、その6年後(参議院は任期6年で、定数の半分ずつを3年ごとに改選する。)に今度は西川きよしに負けた。しかしその3年後、選挙区を出身地である滋賀県に変えて当選。その後所属政党と意見が合わなくなって、当時の連立与党から生まれた新進党の議員として、今度は衆議院大阪第14選挙区から出馬。1期務めたのち、新進党が内部分裂して解党した事もあって、再びミニ政党の比例区で出馬するが、落選したのを期に政界から身を引く事になる。
代議士時代に築き上げた人脈が、現在でも鋭ちゃんの“政界復帰”を願う声が止まないという。しかし、代議士になって痛感した事は、胸に付けた議員バッジのせいで、一番大事にしなくてはいけなかったリスナー…つまり庶民の声が聞こえなくなった事である。だから鋭ちゃんは、再びラジオマイクの前に座り、一人の“パーソナリティ”として、政界の“親友”とリスナーの架け橋として活躍する事を選んだ。遠回りしながらも、一番大切な“使命”に気付き、傍観者ではなく最前線で庶民と為政者を繋ぐ戦いを、古稀を過ぎた現在でも続けているのです。