迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

何事も精進あるのみ…ですぞ!!

以前のネタのコメント欄で紹介した、“聖人御難事”というのに書かれてる言葉の詳しい解説です。

月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし
この御書の言葉は、学会員なら小学生ぐらいに習う御金言で、キチンと意味を踏まえた上で要約すると、『常々からの精進に励みなさい、少しでも油断をしてると、魔が差して堕落する事になりますよ。』という意味です。

いかなる偉人も、挫折する事はあれど、決して努力・精進を惜しまない。かの“発明王エジソンも、『天才は、99%の努力と1%の閃きを活かす』と述べてる様に、直感でやってる事でも、今までの経験や下積みがあってこそのモンであって、それが上手くいくかどうかは、その時の閃きです。しかし、兎角人間というのは努力を惜しみ、どんなに足掻いても報われないと思った途端に、描いた夢に対する情熱を失う。コレが、この“御金言”でのポイントです。
そう、ダイエットにしても、有名私学への受験にしても、日々の精進がモノをいう訳であって、それを活かすかどうかは、“その瞬間”に立ち会った時の行動です。つまり、せっかく減量できても、その後気を許してガバ食いすれば元の木阿弥ですし、どんなに勉強しても試験当日に体調を崩せば、無意味になります。こうなると、後は“堕落”のスパイラルです。
では、こういった“負のスパイラル”をどう乗り越えるか…、重要なのは、その結果に“満足しない”事です。言い方を換えると、そこが“終点”ではなく、“起点”と考えて更なる精進を重ねる事です。つまり、失敗してもそれを踏まえて、もう一度立ち向かう事なんです。成功したとしても、そこで終わりではなく、更なる“進化”を求めて励みなさいという事です。そのための“修行”が、健康増進のためのラジオ体操であったり、オイラみたいに毎日Blogを更新する作業を続けたり等の“毎日の習慣”なのです。コレを精神的に行なうのが、宗教における朝晩の祈りであり、教典や聖書等の拝読・研鑽等の“修行”なのです。(コレをサボってる、生臭坊主がどれだけいるのやらw)
そういった事をバカにする者は、結果を見た時に激しく相手を非難し妬みます。しかし、そんな輩を相手にする必要はありません。なぜなら、相手するヒマがあったら、自分を鍛え上げる事に精進する方が賢明です。メジャーで活躍するイチロー選手だって、怪我を押してフルイニングで奮起するダメ猫…もとい阪神の金本選手にしたって、それに似合うだけの肉体的&精神的鍛錬が成されてるからであって、そういう努力をしない同年代から見れば、妬みの対象です。しかし彼等は、そういったやっかみを相手にせず、坦々と鍛錬に精進を重ねたのです。その結果が今日の活躍であり、その先の“偉業”へと繋がる訳です。