迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

あなた一人の信心にあらず

とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず・信心をすすめ給いてかこの父母等をすくわせ給へ。日蓮生まれし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を題目を弘めんと思うばかりなり
(業務連絡、今月の座談会拝読御書です。詳しくは“大白蓮華”9月号、または聖教新聞の9月6日付7面参照)
これは、弘安2年(1279年)4月に駿河国(現在の静岡県中部)の富士郡上野郷の地頭で在家信徒だった南条時光にあてた御消息(指導も兼ねた返答文)です。そのためタイトルも“上野殿御返事”となっております。
この当時は、丁度日蓮自身に懲罰を与えてもへこたれない事に懲りた極楽寺良寛一派が、直接日蓮信徒に対してフルコンタクトをカマす様になった頃で、その最たる災難が、この消息文が届けられた後に発生した“熱原の法難(熱原郷に住む在家信徒が、念仏信徒だった幕府役人に無実の罪で逮捕され、そのうちの主犯とされた甚四郎、弥五郎、弥六郎の3人が磔刑で殺された)”というヤツです。

早い話が、“広宣流布を行なうためにも、迷う事なく法華経を信じなさい。だけどそれは、あなた(南条時光)だけが信仰するのではなく、多くの人々に信仰を弘めなさい。私(日蓮)自身もそのために戦ってきたのです。”と返答してて、何があっても、確信を持って信心に励む様指示しています。
また、本文で“過去の父母等”と書かれているのは、“一切衆生”の意義も込められていて、南条時光自身の信心だけじゃなく、多くの人々に対して、その(信心の)素晴しさを示して救っていきなさいと仰せです。言い方を換えれば、“あなた一人の願いじゃなくて、みんなを救う為の実践を”と指導してる訳です。
日蓮の生涯は常に、“法華経広宣流布”という大願をもっての行動であり、それに伴った格好で様々な大難に遭ってます。しかし、揺るがない信念をもって、あらゆる困難と立ち向かい勝負した人生でした。それが今日の学会精神にも繋がってるといえます。だから、信徒であり上野郷の統治者であった南条時光に対して、“何事があっても私と同じ様に、揺るがぬ心で乗り越えろ”と指導したのです。つまり、弟子である以上、師匠と同じ様に困難を乗り越えられると確信を持って信心に励め…と。
肝心なのは、法華経の行は自分ひとりだけの願いを叶える為の信心ではないという事。つまり、様々な悩みに苦しんでる人、人生に迷いが生じて混乱してる人を救う為に、そして自分自身の成長を促す為にも行動する事に意義があるのです。だから、他人の幸せも願ってこそ、自分自身の幸福にも繋がってくるのです。